会いたい人
興味を持っていただけたら幸いです。
急いで車まで戻りエンジンをかけると、家に灯りが点る。中からは先ほどの老人が出てくる。そうなると無下にもできない。美紗が車から降りると、彼はさも驚いたかのように美紗の手を取った。
「お嬢、無事でよかった」
「心配してくれてありがとうございます。彼のおかげで私は戦わないですみました」
笑いながらさりげなく手を引こうとするが、彼はがっちりと掴んで離さない。
「女の子を戦わせるなんて男のすることじゃない!」
きっぱりと言い切るのに、深く賛同する俊。むろん内心は穏やかではない。目の前で子どもが殺されたのは、精神的には堪えた。何気なく探索の風を飛ばしているが、先ほどの男女はすでにその場にはいなく、パトカーは別の場所に行ったのが分かった。
あれだけの騒ぎを民家の近いところでおこしても何もリアクションがないのが怖い。
「遅くなったし、今日は泊っていきなさい」
強引に美紗を家に入れようとする木村に、俊は窓を開けて一言返す。
「要は明日、早くから会合なんですよ。無理にでも今日帰らないと間に合わないんです」
必死に頷く美紗。
「すみませんね、実家のほうにも木村さんのことは伝えておきますから」
「おうおう、お父さんにもよろしく伝えてください」
ようやく手が離れた。美紗も再び手を取られぬよう、車に乗り込む。
「ではお世話になりました」
「それはこっちのセリフだ、鬼退治ありがとうな」
「しばらくは戸締りしっかりしてくださいね」
そう言いながら車を発進させる。
東京の事務所へ向かおうとする俊を制し、美紗は一本の電話をかける。二言三言の会話だけであったが、市内のホテルに泊まれるように手配したようだった。美紗が助手席からカーナビを操作し、それに沿って俊が車を走らせる。
ホテルに着くまでの車内は沈黙が支配していた。ホテルに着きチェックインというよりも、フロントが美紗を見るなり二枚のカードキーを渡しているのも、俊の目にはどこか違う世界のように映っていた。
美紗に促されるままカードキーの一枚を手にし、エレベーターに乗り込む。
無意識のうちにカードキーで開錠し、部屋に入るなり、大きく息をつく。
少し疲れたと思う。遠征までして・・・いやもともと北海道から流れてきた身、遠征ごときで疲れるわけではない。助けられなかった子どもの姿が、今は亡き自分の子と重なる。
「五色さん?」
いつの間にか部屋の入口には美紗がいた。入ってきたことに気がつかないほど、どうやって鍵を開けたのかも考えがいたらないほど疲れていたのか、それとも動揺していたのか。どちらにしても今の俊は隙だらけではあった。精神的にも。
「美紗」
「何?」
無防備に歩み寄ってきた美紗の手をとると、力任せにベッドに押し倒す。
「え? ちょっと・・・まっ・・・」
強引に唇を奪うと、そのまま有無を言わせずに体をまさぐっていく。美紗の抵抗も、すぐに止んだ。
力任せにことを済ませて・・・失礼にも冷静さを取り戻した彼は背後から美紗を無言で抱きしめていた。美紗もただ彼の腕に身を委ねていた。何度も口を開けては閉じるを繰り返していた俊は、ようやく言葉を発した。
「ごめん」
美紗は思わず噴き出す。こういうときにこういうことを言うか、と言わんばかりに。少なくとも美紗は嫌いではなかったが。
「こういうとき、女は謝られるほうが傷つくんですけど」
「あ、いや、悪い」
美紗が笑いながら身をよじって真正面を向き、奇麗な二本の腕を俊の首に絡めてくる。
「大丈夫、私だってこんな歳だし、そんなに純情気取っていませんよ」
今度は美紗のほうから唇を重ねてきた。心が温かいものに満たされていく気がする。美紗の治癒能力のせいだとは、思えなかった。
「だからといって、誰でもいいわけでもないんだからね。そこら辺はご理解願います」
「はい」
クスクス笑う美紗に立場が逆転したような感じで、俊は苦笑した。それを見た美紗がその胸に俊の頭部を抱き寄せる。
「少し、全部忘れて寝て下さい。私が、ここにいますから」
「ありがとう」
美紗になされるまま抱きしめられ目を閉じながら俊は口を開く。
「美紗は夢のお告げ、って信じるか?」
「また唐突ね」
そういってクスクス笑う。まるで姉のように優しく返す。
「私はあまり夢を見ないから信じないかな。俊の勘は夢からなの?」
「いや、知らない子どもの夢をよく見るんだ。俺を呼んでいる。男の子か女の子かも分からないんだけど、いや場所も分からないんだけど」
「それが夜、あまり寝られない理由?」
「眠れないのとはまた違うんだけどね。ただ・・・」
「ただ?」
「じゃっかん怖い」
会話の流れだけなら笑われても仕方のない内容だと思う、しかし美紗は笑うことはなかった。ただ抱きしめる腕に力を軽く込めただけ。
「胸に埋ってるよ」
「恥ずかしいこと言わない」
俊の位置から美紗の表情は見えないが、顔を真っ赤にしているんだろうな、などと考えてみる。考える間もなく、睡魔が襲って来たのだけれども。
「俊?」
美紗の呼びかけにも、もう俊は眠りに着いていた。
外で救急車のサイレンが鳴っている。そして改造したマフラーで爆音を鳴らす車やバイクのエンジン音。普段は気にならない音が、今晩はうるさく感じた。
深い寝息を立てているのを確認して、美紗は体を離してガウンを羽織り、自分の部屋のハンドバッグから短剣を4本持ってくる。刃に文字が彫っている特注品。それをベッドの足もとに刺す。土の属が使う簡易結界であった。
次元のずれが生じ、中にいる俊と美紗の周りは完全な静寂に包まれる。ただただ俊を静に眠らせてあげようとした美紗の配慮であった。俊のためになった、という自己満足をかみしめながらベッドに潜ろうとして、結界の中で感じないはずの気配を感じ、振り返る。そして目に映るあり得ない光景に恐怖のあまりその場にへたり込む。
結界の外が切り取られたように、別世界になっている。まるで古民家がそのまま移動してきたような光景。VRでも見る思い。
子ども。蝋燭の明かりに照らされているのは男の子か女の子かは分からない、おかっぱ頭に真っ赤な着物をまとった子。7,8歳くらいか。何よりも無表情に見つめるその瞳はまるで宇宙の深淵のように底のない闇。まるで空洞のように感じる虚無であった。
「小癪な真似をしたのはお前か、この土蜘蛛風情が」
地の底から響く声。結界などないように声が響く。とても子どもの声ではない。
訳も分からず思わず頷く美紗。逃げようにも金縛りとでも思いたいくらい、自分の意志で体が動かない。恐怖のあまり硬直するという現象を、美紗は初めて体験していた。声が喉の奥にひっついたように体の外へ出ていかない。
「君の側室のつもりか!この痴れ者が!」
感情のこもった声ではないことがかえって美紗には不気味であった。声は強いが表情も声色にもまったく感情はこもっていない。
「次にこのような真似をしたら生まれてきたことを後悔することになるぞ」
それだけを告げるとその光景は唐突にホテルの物にとって代わった。虚空の空間を見つめていた美紗は全身から汗が噴き出るのを感じた。そして同時に背筋に冷たいものが走るのも。
我に返るなり俊に抱きつく。今、彼女がすがれるのは何も知らずに眠る彼だけであった。
俊の言う子、音にはならないが口の中で呟く。俊の言う怖いを、身を持って体験した。しかし別のことが彼女の中で引っ掛かっていた。俊を「君」と子どもは呼んだ。そして美紗を「土蜘蛛」と。
「五色の一族・・・」
それしか考えられない。俊を呼んでいるのは五色の一族。父親からの聞きかじりの知識を記憶の隅から引きずり出す。
「杜の巫女」
杜の巫女が俊を見守っている。そして常に共にあろうとする。だからこそ美紗が作った結界で、彼(彼女?)の繋がろうとする意志を断ち切ったから怒りに触れた。冷静になるにつれ美紗の思考は現実を読みとろうとしていた。
「・・・私がこんなに怖い思いをしたのにスヤスヤ寝て・・・」
ゆっくり眠らせようとしたにもかかわらず、思わず愚痴が出る。眠れない夜が案外長いことを、美紗は久々に体験した。
まだ完全に夜が明けない時間、俊はふと目が覚めた。誰かに見られているような気がして、まだ眠い目をしっかり開けると、美紗とばっちり目が合う。
「おはよう」
裸で微笑みながら言われると、妙に緊張する。しでかしたことの責任の重さを感じる。
「・・・ごめん」
「だから謝られたほうが傷つくって」
笑いながら返される。そして不意に美紗が抱き着いてくる。
「おいおい・・・」
何か気の利いた冗談でも、と思ったが彼女が震えていることに気付く。
「何か、あった?」
「・・・俊が言う子に会った。男の子か女の子か分からない、真っ赤な着物を着た子」
「・・・実在するのか」
呆れたように言ってみて、ふと気づく。どこで?なぜ?どうやって?瞬きが多く視線があちこち彷徨う表情が、驚愕と疑問符を伝えていた。
「杜の巫女、ご存じ?」
「知らなかったら五色じゃないな」
笑いながら返す。そしてふと・・・。
「巫女か?あれは」
「気づくのが遅すぎます。それから私が恐怖におののいているのにまだ気づいてないあたりが鈍すぎます」
「あ、ごめん」
「またすぐに謝ればいいと思って」
そのまま彼にのしかかり唇を重ねる。
「少し恐怖を忘れさせてください。本当に寿命が縮むかと思ったんですから・・・」
頻繁に現れる闇の民、杜の巫女、本来、相容れないはずの四属の夜の民が集結する美紗の事務所、何かが動き出すような、思い過ごしが彼の脳裏に浮かんでいた。
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