失踪
誤字・脱字等ご連絡お願いします。
朝食・昼食は自動的に運ばれてきて、身の周りだけ気を使い、借りた部屋を巣として活用している身分はなかなかに悪くなかった。怠惰は生まれつき。それを十全に全うできる今を、少々申し訳なく思いながらも満喫していた。
この事務所に出入りしている夜の民とも挨拶は済ませ-----普通の人は一人もいなかった-----厄介者の視線を受けて少しは働かなきゃだめかな、と思いながら何をしていいかも分からず、とりあえず無視していた。
何気なく新聞を読み、そしてまた何気なくおくやみ欄を見やったとき、俊の目はある名前から目が離せなくなった。
笠原琴美(32歳)喪主笠原敏也
見覚えがあるわけではない。ただ何かが引っ掛かる。見覚えのある名前ではないけど、どこかで聞いた。
不意に脳裏で言葉が蘇る。
「琴美、帰るよ」
闇の民を倒した場所にいた女性。
「要!」
「はい!」
突然呼ばれて思わず返事をしてしまった美紗ではあるが、びっくりしただけである。しかし俊の顔は真剣そのものであった。
「この笠原って、顔写真とれるか?」
「どうしたの?」
「いや、どうしたわけではない・・・いや、引っ掛かるだけ・・・なのか?」
「勘、ね?」
「分からないけど、風間さんや要と初めて会ったとき、闇の民を屠ったろ」
「ええ」
「そのあと、暗い表情をした女性とぶつかったんだ」
「ええ」
「2体目の民を倒した時も」
「偶然にしちゃ良く会うわね」
この程度の情報では美紗もまだ茶化す程度の話でしかなかった。
「すごい目で睨まれて、憎まれている感じだったんだよな。『あなた愛する者を失ったことがある?』なんて言われて」
「初対面ですごいこと言う人だわね」
「その女性が琴美って呼ばれてた。相手は敏也、と」
「それがそのお悔やみの人だと?」
「分かんない・・・分かんないけど、何かの糸のような気がする」
俊は言葉を切って下を向いて目を閉じる。あの時、睨んできた彼女の顔が瞼の後ろに映る。だが仮に本人だとして、亡くなったことに何が引っ掛かる?病気には見えなかった。まだ若い。だが不慮の事故だってあり得る。だけどあれから1週間も経っていない。事象自体には何も疑問はない。だけど何かが・・・。右往左往する思考は、胸をどんと叩いて仁王立ちする女の子によって吹き飛ばされた。
「分かった!あたしが行ってやろうさ。葬儀に行って適当に写真撮ってくればいいんだろ?」
「歩美ちゃん・・・」
いつの間に室内にいたのか。とても風間の妹とも思えないが、やんちゃで可愛らしい娘。だが俊にはとても自分の手に負える相手でないことをよく分かっていた。
「こいつに貸しを作っておけばなんかいいことあるんだろ?」
「何もない」
咄嗟の反応だった。絶対にろくなことはない。絶対にろくなことはさせられない、勘が鋭くなかろうと思われることだった。
「とりあえず行ってくるから、黒い服貸して、美紗ちゃん」
「あ、ああぁぁ、はいはいはい」
剣幕に押されておばあさんのような対応をしながら美紗が奥に消えていく。たったそれだけの間に一瞬、俊の視界が暗転し、少しの映像が流れて、そして普通の視界に戻る。
「風間さん、やっぱりいい」
「何言ってんの?気になるんでしょ。夜寝れないよ」
「構わない、行かなくていい」
嫌なビジョンが見えたのはもちろん俊だけで、唐突にやめろと言われても、歩美には意味が分からないのも当然。俊にはこのコントの様な一瞬に、襲われる歩美が見えていた。
「俺が夜寝れない以上に悪いことが起きる。だから行かなくていい」
気になることを軽率に口に出した自分を悔やむ。
そこへ礼服を持った美紗が戻ってくる。
「私のだけど、歩美ちゃんなら着れるでしょ?」
「胸のところきつい」
「・・・まだ着てないでしょ」
「見るからに」
「悪い要、それ必要なくなった」
言い始めも唐突だったがそう切り出したのも唐突で、いない間にどんな会話があったか聞いていない美紗は戸惑うばかり。
「だってさ、なんか悪いことが起きるんだって」
つまらなさそうに呟く歩美に察したような表情の美紗。だいぶん俊の唐突な勘に慣れてきてはいるが、それは五色を特別視しているからに過ぎないことを俊は知っている。
「五色さんが言うなら、やめたほうがいいと思う」
「そういうシチュエーション、燃えるんだけどなぁ」
「燃えるのは違う機会にしてくれ」
大げさに肩をすくめる歩美のことはすでに無視して、俊は再び新聞に目を落とした。活発なズケズケものを言う若い娘は苦手である。
「つまんないから帰ろ」
「あら、来たばっかりじゃない」
「あんた、いつもここに泊ってんの?」
唐突なのは俊だけではないようで、美紗は少々疲れ気味である。
「飽きたら徘徊している」
「家に来るかい?たまに刺激的なのもいいじゃん」
「遠慮しておく。ゆっくりできたほうがいい」
「おもてなしくらいするよ」
悪戯っぽく手を振りながら、ドアを出ていくというよりすり抜けていくというのが表現としては適切なような身のこなしで視界から消えていく。
次の日から彼女が彼らの前に姿を現すことはなかった。
歩美の風を辿って行きついた先は、やはり闇の民を葬った場所の近辺。琴美と呼ばれた女性と出会った場所だった。何かあるから行かせたくなかったが、単独で向かって行ったらしい。好奇心の強い彼女の興味を煽った自分の短絡な言葉を悔やんでいる。
「ここから、風が唐突に消えている」
「自然の力がなくなってますね。他のものも応答しない」
自ら責任を感じているから他人事のように言うつもりはないのだが、無責任な発言になるのは人徳のなさか。
「こんな場所があるんだな」
風間は苛立ったように探索の風を飛ばすが、ある一定の空間から先はかき消されてしまう場所がある。それは俊にしても同じだった。風だけでなく、地面を伝って気配を探っても消えてしまう場所は、風の気配が消える場所と一緒だった。
「とりあえず、歩いてみましょう。多分、行先は分かっているはずだから」
「あのバカはこんな異常な場所にも気づかないで出向いたのか」
「力を使わないで突っ走ると気が付かないかもしれません」
とは言ったものの、力がかき消される地点を通り過ぎる時に覚悟していた違和感は全くない。やはり普通の空間にしか見えない。
試しにそこから風を送るが全く反応しない。
「これでは分かりませんよ」
「・・・俺たちには天敵な場所だな。目的地はどこら辺だ?」
「二本目を右折ですね。気を付けて進みましょう」
普通の道路を歩く会話ではない。普通の人間であればなんの変哲もない道路であろうが、彼らにとっては能力が使えないだけでも、何か罠がある、とでも思ってしまう。
「つか、静かすぎる街だな。新興住宅街に見えるが、区画自体が少ないのか・・・全体で20件くらいか」
「平日の昼だから仕事に出てると思えば・・・でも子どももいないですね。この山の麓、市街化調整区域ですよね・・・なんでこんなに家が建っているんだ?」
住宅地ならば当たり前の風景なのに、何かが足りない。そんな感じ。足りないのは人が住んでいる気配。
「とりあえず曲がって奥の家・・・」
二人は角を曲がって思わず立ち止まる。巨大な蜘蛛。大きさにして1メートルほどか。俊は何度か北海道で遭遇して、主にそれを駆除していたから、大嫌いにしても見慣れはいる。が、今は状況が悪すぎる。
二人とも能力が使えない。
「走ります!」
俊は最初こそ風間の腕を掴み走り出す。我に返った風間も自力で走る。そのあとを追ってくる蜘蛛。もちろん早い。
50メートルほどの全力疾走。その間だけ追いつかれなければいいと後ろも見ずに例の地点を通り過ぎ、風間が振り返ったとき、追ってきた蜘蛛は宙に浮いていた。緩慢な動きで足をばたつかせている。
そして不意に燃え始める。
そこで気が付いて俊を見ると、彼は振り返ることもせずに力を使っていた。程なく蜘蛛は灰すら残さず燃え尽きていた。
「力を使うのが早いな。ていうか、どれだけ力を使えるんだ?」
「・・・すみません、見るのも嫌なので」
風間は苦笑する。本当に怯えている俊が憐れに見えてくる。
「あれに襲われたのかな・・・」
ポツリと呟く風間に、俊は返す言葉がなかった。刹那、頭に映像が流れる。いつも勘と呼んでいる何故か知りたいものの情報。
歩美は縛られた状態で監禁されていた。通常なら力を使えば逃げ出せるであろう、あまりに簡素な普通の縄で縛られている姿。イメージは一瞬流れただけ、もちろん場所も分からないが、生存だけは理解できた。
「風間さん・・・いい加減なことは言いたくないですけど・・・」
「歯切れ悪いな、ずいぶん」
躊躇いながら再び口を開く。
「ここかは分からないのですが、歩美さんは生きています。監禁されて・・・」
「・・・おとなしく捕まっている性分じゃねえぞ」
「力が使えなければ、俺たちを捕らえるのは普通の人間と同じですよ」
「・・・だな。それならばやはりここ、って考えるのが自然だな」
もう一度振り返る。そこから侵入するには、まだ情報と装備が足りない。
「今日は帰ろう」
「風間さん・・・」
「奥まで行ってまたあんなのに襲われたら太刀打ちできん。それに家の向こう側、森になっている。蜘蛛以外にも何かが出てくるかもしれん」
全面的に賛成だった。こういうところでは、人が妖怪と呼びたいものも出てくる。
「ところで、向こうではあんなのばかり相手にしてたのか?」
「そうですね。蜘蛛とかカマキリとか、クマもありましたけど」
思案深げに顎に拳を当てながら風間は嫌なことを言い出した。
「見てないと思うけど、今の蜘蛛見たか?」
「・・・見るわけないでしょう、あんな気持ち悪いもの。やめてください、固有名詞聞くのも嫌だ」
「じゃあ、スパイダー」
「やだ。英語にしただけじゃないですか」
「八本足」
「・・・もうどうでもいいです」
「嫌いなもののことを言うのは嫌いなんだが・・・」
「なんです? これ以上あれを嫌いになる話ですか」
「燃え尽きる前に頭を見たんだがよ」
「・・・よく見れますね」
「八本足の顔のほかに、妖魔の顔があった」
思わず目を見開いて風間を凝視する。あり得ない、あり得ない。あれは妖魔なんて異次元から来た生物ではない、自分らと同じ地球上の生物。
風間が闇の民のことをどう思っているかは分からないが、俊の知っている闇の民は、力強く進化しただけの、人と同じ生物だ。
だがあえてその言葉は飲み込んだ。
「・・・風間さん、今晩泊めてくれませんか?」
「嫌だ。すがりついてくる男と寝る趣味は持ち合わせてない」
「変な夢を見て眠れなかったら、おぞましいことを言ってきた風間さんのせいですよ」
「自分でなんとかしろ。いっそのこと要でも誘うんだな」
「・・・できるわけないでしょう」
肩をすくめて風間は早々に身を翻す。帰ると決まれば行動も早い。
「調査の上でまた来ましょう。できれば人数を連れて」
「早めに来るぞ」
「はい」
二人はおとなしく戦略的撤退を行った。
興味を持っていただけたら幸いです。