偶然は出会いのために
彼は・・・・俊は当てもなく車を走らせ、しかし、なぜか一番足の向けたくないところに、向かっていた。つい先日まで自分の意志とは無関係に出向いていた場所。
土地勘のない彼は、目に着いた駐車場に車を止め、人込みの中へと足を向ける。少しだけ流れの速い人込みの中でほんのちょっとだけ空いた隙間に彼は立ち止った。そこには花束がたむけられていた。
新しい花。
「まだ、忘れられてはいないんだな」
呟いて、花束に向けて手を合わせる。忘れられるわけもないか、凄惨な事件だ。3か月くらいじゃ記憶からなくならないよな。ワイドショーも見る回数は減ったとはいえまだにこの事件を追っている。
そして辺りを見回した。ここであいつらは殺されたのか。警察に無理矢理見せられたときとは景色が少し違って見えた。それもそうか。あの時はこの小さな空間しか見ることが出来なかった。いや、記憶になかった。
雑踏の中にいるはずなのに、まるでそこだけ無重力のバリアに包まれているかのように静寂と孤独と闇が張り詰められていた。
それは怒りというより、無力感喪失感だけで彼の体を満たしていた。
「一緒にくればよかったな」
苦笑にもならない。失ったものの大きさが、笑みの挟む余地を彼から奪っていた。
人生が、一変したかと思う。人との関りを断ちたい・・・そう思って会社を辞めた。なんとか貯金があるから食いつないでいるが、その内また人の中に戻らなければならないのかな。戻りたくないな・・・。
「5人の人が殺されたの。中には子どもが二人もいたわ」
「ああ」
後ろから女性に話しかけられて、意識が戻る。聞き覚えのある声に、彼は軽くため息をついた。
「なんでヒトはヒトを殺せるのかしら」
「・・・ヒトを殺すことで、超越者にでもなった気分にでもなるんだろ」
「ここであった事件、追って来たの? 記者さんだった?」
「興味本位で人の死に場所へ向かうほど趣味は悪くない」
心の中で記者という仕事に謝罪しながら彼は振り向かずに応える。誰も好き好んで人の死を見たいわけではないのだから。
昨夜の様な表情が隠せる程度の街灯の下ではない。全てが曝される明るい太陽の下、彼は表情を隠す自信がなかった。
「意外と運命とやらを考える時間が短かったね」
「そうね。というより考えてなかったでしょう?」
「妻と子どもたちだった・・・」
さらりと紡いだ短い言葉に彼女が息をのんだのを感じ、彼は振り返った。笑顔のつもりだったが明るい表情は、やはり作ることはできなかった。
「俺は仕事が忙しくてね、東京なら何度も遊びに来ているし、3人でよこしても平気だと思っていた。ただの旅行だと、思っていた」
「ええ」
「まさか、あんな事件に巻き込まれるとはね。花を供えてくれていたのはあなただったのか」
話しながら、彼女の胸に抱かれている大きな花束に気がついた。
「あなたから、どうぞ」
美紗はその花束を俊に渡す。彼も軽く会釈して受け取った。そして静かに事故の現場に花束を横たえる。
「ありがとう」
長い間、手を合わせた後、美紗に振り返って礼を言う。涙があふれなかったことが不思議なくらい、静かな時間だった。
「埋め合わせにお茶でもいかが? 昨日より運命とやらを感じていただけたなら、少しお話したいわ」
肩をすくめるのとため息をつくのを器用にも同時に行いつつ答えてみた、さもいやいやのように。
「そうだね、昨夜そう言ったばかりだからね。出会って早々、嘘もつきたくない」
「ではこちらへ」
美紗はまるでバレエのような動きで腕を大きく回し駅の方向を示す。
「立ち話もなんでしょ?」
主体性なく美紗の後ろに従って電車を乗り継ぎ、二人は吉祥寺駅近くの喫茶店に入った。店に入るなりコーヒー二つ、俊には何も聞かず、ショートカットのいかにも真面目そうなウェイトレスに勝手に注文し、美紗は一番奥の席にさっさと座る。
気のせいだろうか、ウェイトレスは冷たい目で美紗をじろりと見て心なしか勢いよく水の入ったコップを置く。
「今日はお支払いくださいね。あたしのバイト代がなくなります」
「は~い」
おどけて返事をする美紗を疑う目つきで彼女は背を向けて店の奥に向かう。
俊は物珍しそうに周りを見回す。アンティークの狭い店に、客は入口に一番近い席でスマホを触りながらコーヒーをすする男が一人いるだけだった。
「ここのコーヒーは絶品、あなたが嫌いだと言っても、きっと飲んだ後には価値観変わるくらいよ」
「残念ながらコーヒーには舌が肥えている」
美紗は軽く声を出して笑った。
「彼も呼んでいいよ。後ろから睨んでいるくらいなら近くにいたほうがいいんじゃないか?」
「早いわね、見つけるの」
入口に背を向けて座っている俊の背中を、それまでゲームをしていたとは思えない変貌ぶりで睨みつけていた。
「敵意には慣れているからね」
「いいの。今日の彼はボディーガードですから」
「彼氏ではないんだ?」
「残念で寂しいことにフリーですよ、私は」
「美人だと逆に声をかけづらいか」
「お世辞でも嬉しいわね」
上っ面ばかりな会話を交わしているとコーヒーが運ばれてくる。初老のマスターが美紗に気遣わしそうな目を向け、しかし巧みに無関心を装っていた。俊にはまったく通用しなかったが。いや俊が気付いたのは、マスターも夜の民で、美紗の知り合いだということだけだけど。
「夜の民の店か、ここは」
「なんでしょうか、夜の民とは」
心外そうな表情を繕ったマスターは俊の前にコーヒーを置いた。そのままレトロに響く入口の鐘に導かれるように、半ば逃げるように彼らの前から去っていく。俊もその後ろ姿を追う気もなかった。
「あなたたちの言葉でいえば、使い人、かな。後ろのお兄さんも、だろ?」
「どこからいらしたの?私たちとは、少し違う感じがして」
美紗はその問いに答えることもなく、さらりと無視をする。お互いに信用するには何も情報がなかった。昨夜、彼女が誘って来たのは単に目的が一致していると思っただけ。
「北海道は札幌からだよ。ここに来たのは、さっきあなたと会ったことがきっかけ」
「妖魔を倒しに来たわけではないのね」
「そんな高尚な理由ではないよ。昨夜は車を走らせている最中に、たまたま闇の民を見つけただけ。間違いなく・・・人を殺してきた奴をね」
そんな言葉に美紗は小首を傾げ、じっと俊の瞳を見返してくる。俊にとっては正直そこまで真正面から目を合わせるのは得意ではなくつい目を逸らす。
「昨日から思ってたの。どうして闇の民、って呼ぶの?」
そう言ってふと思い出したように付け加える。
「夜の民、って私たちのこと?」
今度は逆に俊が首を傾げる。皆が同じ認識を持っていると、勝手に思い込んでいたらしい、そんな思いを、しかし口に出す。
「一族によって、とらえ方が違うんだな、きっと」
謎かけが続くような会話で、噛み合っていない。自分の人生そのものだ、と俊は思った。ただこの際、噛み合わせる必要性があることに、まだ救いようがあることに気付くことが出来た。
「よく父親が話してくれた話だよ。聞くかい?つまらん昔話だけど」
そんな言葉に少し微笑んだ美紗はテーブルの上に静かに手を重ねて置いて、無言で頷いた。
興味を持っていただけたら幸いです。