第7音
「はいどうぞ。弾いて」
もはや見るのも面倒になったのか足を組んで受験者のデータを眺めながらそう言い放つ試験官に、心底苛立ちを隠せなかった。
頑張れユズリ、君ならできるはずだ。
「はい。」と言ってユズリは横笛を手にして構えた。
スゥと息を吸う音がする。口を横笛に近付けた瞬間、肩が動いた。
それは、なんとも美しい音色だった。
技術は特別高いわけでもないのだが、なんだろうか。この優しく、溶けるような一音一音に魅了された。
滑らかでいて繊細。女性らしく柔らかい音は、彼女自身を体現しているようだった。
先程まで下を向いて期待すらしていなかったような試験官も目を見開き、聴き入っていた。
しかしそれでいて冷静で、何かを見極めているようだった。
ユズリの演奏は素晴らしかった。しかしなにか、引っかかるところがある。問題は無いのだが、どうも違和感があるのだ。
演奏が終わり、試験官は何かを書いた紙を隣の案内係に渡し、
「お疲れさん。帰っていいよ」
とだけ告げた。
頭が真っ白になった。
ダメだったのか。彼女ほどの実力を持っていても。
他の受験者たちも同じことを考えていたようで、みんな下をむいて黙ってしまった。
ユズリはというもの、光のない目をして呆然と立ちつくしていた。
そして案内係にこちらへ、と声をかけられ出口へ一緒に出ていってしまった。
ーユズリがこちらを見ることは無かった。
「次」「はい次」「お疲れさん」「帰っていいよ」
その後は続々と演奏を途中で切り上げられ、この言葉だけが並べられていた。
俺も正直、もういいかなと思ってきていた。ユズリと学校には通えないんだ。
でもせっかくの機会だ、受かりたい。ユズリの演奏を卑下にした試験官に目に物見せてやりたかった。
「次235番、どうぞ」
俺だ。右手に受験番号の書かれた紙を握りしめながら、ゆっくりと試験官の前に立った。
左手に持ったロールピアノを拡げる。
不思議だ。いざピアノを拡げてみると父さんが優しく弾いている姿が思い浮かぶ。笑いながら、「上手いだろう」と自慢げに笑う父さんの姿だ。
怖くない。いける。今なら俺は、完璧に弾ける自信がある。
息を大きく吸った。曲はそうだな、一番難しくて、一番得意なあの曲にしよう。
ピアノに指を掛け、試験官に一言だけ告げた。
「よろしくお願いします」