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「なろう」ラスボス ヤマダヒフミさんの文芸評論

 さて、最後ご紹介するのはヤマダヒフミさんのエッセー、あるいは文芸評論です。

 難解な”ヤマダヒフミ論”。いよいよ登場したラスボスを前に、闘志がみなぎる以上に、萎縮した自分、逃げ出したい自分がいます。

 これまでだれかが「なろう」内で”ヤマダヒフミ論”を書いていたとしたら、是非読みたいものです。

 

 私がはじめて読んだヤマダさんの作品は「最近の日本文学とこれからの日本文学」です。

 この作品を「なろう」で発見したとき、正直な感想は、たとえばTポイントカードがたまってスーパーで弁当が無料で買えたときのような、金銭的に得したといったセコイうれしさでした。

 つまり、本来、「文学界」や「ユリイカ」など文芸雑誌を買わなければ読めない、ほとんどプロレベルに近いハイクオリティーの文芸評論が、「なろう」で無料で読めたからです。

 「文学界」なら公共図書館で無料で読めるよ、といったツッコミはさておき、本格的な文芸評論が無料で読めるとは、いい時代になったものだとつくづく思いました。



1. ドストエフスキーこそ世界文学の頂点

 

 ヤマダヒフミさんのエッセーでは、”古典文学への回帰”とでも言うべきテーマが繰り返し主張されています。

 昔の古典文学はすばらしいが、最近の小説は、社会構造の中に安全に取り込まれ過ぎていて面白くない、といった意見です。

 そして、すばらしい古典文学の典型としてよく引き合いに出されるのがドストエフスキーです。

 

 実は私も若い頃、ドストエフスキーの文学的洗礼を受けた一人であることを告白しておきましょう。

 「カラマーゾフの兄弟」、「罪と罰」、「悪霊」など、人生に真剣に向き合った小説、人生の深刻な懊悩を描いた小説という意味で、ドストエフスキーは世界文学史上、他の追随を許しません。

 ヤマダさん自身は、独我論まで行きつきそうな”自意識”を最大限強調したドストエフスキーの描写に瞠目しているようです。


 戦前、戦後と日本の文壇には、広義のドストエフスキー信者だという作家は枚挙にいとまがありません。おそらく本国ロシアよりも日本の方がドストエフスキーの人気は高いのではないでしょうか。

 太宰治の「人間失格」は、近代日本文学史上、夏目漱石の「こころ」と並ぶ、屈指のベストセラー小説ですが、この作品はドストエフスキーの「地下生活者の手記」の私小説バージョンといった趣があります。

 太宰自身も他の私小説で自分の目標はドストエフスキーであることを主人公に述べさせています。



2. 与えられたゲームからの脱出


 「思想としての文学」や「言語ゲームとランキングと神」といったエッセーでは、世の中が与えたゲームに私たちが疑いなく参加していることに、ヤマダヒフミさんは警鐘を鳴らします。

 「なろう」ではポイント数、ブックマーク数が多い方がいい小説。プロの世界では芥川賞、直木賞を受賞した小説がいい小説。

 これが世の中が私たちに与えたゲームのルールです。

 そこでたとえばいい小説を書くこと以上に、芥川賞を受賞した事実をより重視する、といった矛盾に多くの人が陥っている。ヤマダさんはそう主張します。


 やはり、小説は自分が読んでみて主観的に面白いかどうかが重要であり、本質であるということなのでしょうか。



3. 自分自身の心理分析


 ヤマダヒフミさんのエッセーは難解で、哲学や文学などにある程度基礎知識がなければ、完全には理解できないようです。

 かくいう私もよく理解していません。

 またヤマダさんのすべての意見に賛成というわけでもありません。

 たとえばヤマダさんのエッセーで、源氏物語を読まずに、源氏物語の解説だけ読んで、源氏物語の感想を書くという試みがありましたが、これなどは邪道かなと思いました。


 ところがヤマダさんがエッセーを投稿すると、私はほぼ必ず目を通します。ときには最後まで熟読せずブラウザバックすることも多いのですが、彼のエッセーがどうしても気になります。


 すべてを理解できるわけでなく、すべての意見に賛成というわけでないのに、なぜそれほどまでに彼のエッセーに引き寄せられるのか、その理由を自分でもうまく言語化して説明できません。


 そこで自分自身の心理分析を以下のように”ヤマダヒフミ流”で試みました。


「たとえば古典文学の回帰といった、自分がかつて信奉していた価値観ながら、昔、何らかの敗北や挫折の理由でそれを封印して意識の彼方に追いやったところ、昔の価値観と似た思想の持主が現れたため、当惑と憔悴の混じった、やりきれない感情に揺さぶられた」


 おわかりになりましたでしょうか。書いている私自身も、うまく説明できないもどかしさがあります。


 表現が舌足らずになってしまいましたが、私がヤマダヒフミさんに注目する理由は、彼の思想に共鳴するからだけではなく、それ以上の魅力または魔力のような何かを感じさせるからであり、私の中ではここ最近、彼こそがキング・オブ・「なろう」作家に君臨し続けています。




拙作エッセーも紹介させていただきます。


①空気や日光の所有権を主張する人々

②「C:富士山を探せ!」時事問題のプロパガンダ分析


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