二九話 リフレッシュ休暇
「ふぉっ、〔盗神〕とな……。まさか、生きているうちにお目にかかれるとは思わなんだわ」
僕らは山頂にあるドジャルさんの小屋に来ていた。
そこで改めて自己紹介をしたわけだが、ドジャルさんは〔武神〕の息子である僕の素性にも驚いていたものの、それ以上に〔盗神〕の名に瞠目していた。
やはり元盗賊として、〔盗神〕の存在は特別なものなのかもしれない。
聞くところによれば――過去に〔盗神持ち〕の盗賊が大陸全土を派手に荒らし回っていた事があるようだ。
そして、盗神には国庫も襲われており、国の不名誉ということで〔盗神〕の存在は一般には隠匿されていたらしい。
そんな事情から民草での認知度は低いが、盗賊界隈では〔伝説の大盗賊〕として語り継がれているそうである。
……それを聞いた僕は、意外には思わなかった。
むしろ様々な事柄が腑に落ちたと言える。
神持ちとはいえ、ルピィさんの能力は高過ぎると常々思っていたのだ。
神持ちと一口に言っても、〔武神〕に代表されるように、レアリティが高く強大な力を持つ加護が存在するのだ。
盗神がそれほど特別な加護であるならば、ルピィさんのデタラメぶりも納得だ。
そんなルピィさんは、盗神の名が意外にもビッグネームだったことで……すっかり天狗になってしまっている。
「いやぁ〜、おじいちゃん、非礼を詫びて土下座なんてしなくていいよ〜〜」
もちろんドジャルさんは土下座をしていないし、そんな素振りも見せていない。
これは暗に〔土下座して詫びろ〕と言っているのだろうか……非礼を詫びるべきはルピィさんなのに!
そんな無法を許容出来るはずもないので、僕はすぐに話題を切り替えた。
「それではドジャルさん、しばらくの間お世話になりますね。投擲術だけと言わず、僕ら三人に盗賊のイロハを叩き込んでやって下さい!」
そう、以前からルピィさんの〔盗神〕の才能を活かす為にも、盗賊の技術の数々を学びたいと考えていたのだ。
せっかく元大盗賊から教授を受ける絶好の機会なのだから、この機に解錠術から変装術まで色々教えてもらおうというわけだ。
「えっ、俺もかよ……」
「何言ってるんだよレット! 『ここで俺がピッキングさえ出来れば、捕まってる仲間を助ける事ができたのに……』なんて事になったら、後悔するのはレットなんだぞ!!」
せっかくのチャンスを棒に振ろうとしているので、僕は厳しく叱責してしまう。
わざわざ山頂まで何をしに来たというのだ、この男は。
いつまでもハイキング気分では困るというものだ……!
「どんなシチュエーションだよ…………だがしかし、アイスたちなら実際に起こりうるのが嫌だな」
「ちょっとレット君、失礼でしょ! ボクは捕まるようなヘマはしないよ!」
耳聡くもアイス『たち』という言葉に、自分も含まれている事を察したらしい。
……捕まるような犯罪を犯すことは否定しないようだ。
ルピィさんに弱いレットが「すみません……」と謝罪させられているが、失礼と言うならルピィさんほど失礼な人間を僕は知らない。
傍若無人なルピィさんに失礼だと注意されるレットの無念。
いつか親友として、僕が晴らしてやろう……。
「――それでは頼むよドジャル爺さん。ぼくも毎日様子を見に来るからさ」
そう言い残してジェイさんは空に消えていった。
……ふむ、盗賊の技術も学びたいが、やはり〔空術〕も気になるな。
風を操り風圧で浮いている訳でもなく、重力を操っているわけでもない。
なんというか……磁石で少しずつ金属片を動かすように、自身の魔力を大気の魔力と反発させて浮いていると言えば良いのだろうか……?
ジェイさんは何でもない事のように行使しているが、並外れた高等技術だ。
だが、僕には空術が習得不可能だとは思えない。
数カ月は空術の練習に専念する必要があるが、いずれは体得出来るだろう――そんな確信がある。
現状ではそんな時間を費やす余裕は無いが、父さんを救い出す事に成功して、時間にも心にも余力が出来たら練習してみるとしよう。
――――。
それからの僕らは、一流の盗賊になるべく鍛錬に明け暮れた。
……なんてことはなく、たまの連休に田舎の祖父の元に訪れた孫のような生活をしていた。
もちろん毎日訓練に励んではいる。だが、そもそも日常的に苛烈な鍛錬をしていた僕たちだ。
ドジャルさんが課す課題が、僕らには厳しいものには感じなかったのだ。
そして、ドジャルさんが教えてくれる技は多岐に渡っていた。
カギを開ける解錠術から、縄で拘束された状態での縄抜けに至るまで、多種多様である。
僕には器用貧乏の自覚があったが、実際、あらゆる技術を人並み以上に習得出来たらしい。……ドジャルさんが、僕はスジが良いと褒めてくれたのだ。
盗賊としてスジが良いことは、手放しに喜んで良いことなのかは分からないが。
訓練仲間のレットも物覚えが良い方なので、ドジャルさんは『教えるのが楽しくなってきたわい』と、嬉しい事も言ってくれている。
何の利益にもならないはずなのに、僕らへと熱心に技術を伝えてくれるドジャルさんには、もうただただ頭が下がる思いだ。
そう、僕とレットは良いのだ。
問題は、かの御仁――ルピィさんだ。
ルピィさんが弟子としての気概に欠けているという話ではない。
相変わらずドジャルさんへの敬意は無いが、知らない技術を吸収しようという意欲は存外に高いのだ。
意欲が高いだけなら喜ばしいだけなのだが……問題は、ルピィさんの物覚えが良すぎることにあった。
あらゆる技術を〔触り〕だけ教わっただけで、あれよあれよと言う間に自分の技術として完成させてしまうのだ。
そしてその技量は――ドジャルさんをも超えてしまっていた。
ドジャルさんは高齢とはいえ〔投神〕なのに、投擲勝負でもルピィが勝ちを収めてしまうのだ。
ちなみに投擲勝負とは、互いに距離を取った二人が〔投げた石を衝突させ合う〕という常軌を逸した勝負だ。
それも、ただの小石をぶつけ合うのではない。
投擲する石にはしっかりと魔力が籠められているのだ。
――ドジャルさんから教えを受けた技術で、最も僕の役に立ったと言えるのがこの〔魔力操作〕と言えるだろう。
僕は魔力操作には自信があり、実際、魔力操作の精緻さにおいてはドジャルさんに勝っていたと自負している。
だが、ドジャルさんのそれは――早い。
無機物に魔力を籠める速度が、僕よりも格段に早かったのだ。
小石を手に持ったと思った瞬間には、もう魔力を籠め終えている。
魔力操作自体は荒々しくて無駄が多いのだが、とにかくその速度が早い。
そう――僕の魔力操作と比べて、より実戦的なものと言えるのだ。
もちろん僕もルピィさんも、ドジャルさんの技術を積極的に取り入れた。
魔力操作に無駄が多くとも、それを補って余りあるほどの利点なので当然だ。
ドジャルさん命名するところの〔投石相撲〕においても、当然この技術は取り入れられている。
……というより、この投石勝負では魔力を籠めた小石を投げないと、相手の投石に対抗出来ずに貫通させられてしまうのだ。
二人の投石相撲の様相は「ガンッ! ガンッ!」と、常に石がぶつかり合う白熱した勝負だったが、時間の経過に伴い――余裕の表情を崩さないルピィさんに対して、ドジャルさんは見るからに疲労困憊としてきたので、見ていられなくなった僕が慌てて止めたのだ。
ルピィさんは不満そうだったが――ここでの勝利に意味など無い。
わざわざ師匠であるドジャルさんのメンツを潰す必要など無いのだ。
しかし……実質ドジャルさんを負かしたとも言えるルピィさんは日に日に調子に乗っており、今日も高い技術をこれでもかと悪用していた……。
『世間の非常識が僕の常識――そう、僕がアイス=クーデルンさ!』
「……ルピィさん、僕の声で変な事言わないでください」
変声術を体得したルピィさんは、面白がって僕の声音でおかしな発言をするのがお気に入りになっていた。
あまり笑い声を上げないレットが思わず噴き出したこともあり、ルピィさんの〔鉄板ネタ〕のような扱いにされているのだ……。
だいたい、僕のような常識人を捕まえて非常識扱いするなんてありえない事だ。
「ルピィの嬢ちゃんは傑物じゃのぉ……。ここに来てまだ三週間とは思えんわい」
「ボクをそんじょそこらの凡人と一緒にされたら困るねぇ。――まっ、ジャル爺も頑張ってる方だよ!」
何故か上から目線のルピィさんだ。
教授を受けに来た立場だということをすっかり忘れているに違いない。
ちなみに、僕らは二週間ほどであらかたの技術を会得していたが、まだズルズルと滞在を続けていた。
その理由は他でもない――居心地が良かったからだ……!
……だが、もちろんそれだけが理由では無い。
ドジャルさんが、ルピィさんの煌めく才能に打ちのめされて自信を失っていたので心配だったのだ。
なにしろ自分が数十年掛けて培ってきた技術の数々が、〔盗神持ち〕とは言え、ぽっと出の若者に凌駕されているわけである。
見るからに意気阻喪としてやつれていたので、「お世話になりました」などと、すぐに去っていくような恩知らずな真似はできるはずもない。
とくに、ルピィさんに投擲技術で圧倒されてからは老け込みが激しく、放っておくと「さらば現世!」な事になりかねなかったのだ。
そんな事情もあり、僕らは休暇も兼ねて山生活を満喫しているわけだ。
そう、責められるような事は何もない……!
「ドジャルさん。今日は活きの良いイノシシが獲れたので〔ボタン鍋〕にしてみました。山菜もたっぷりで栄養満点ですよ」
「おぉ、こいつは美味そうじゃのぉ。アイス坊の料理はどれもハズレが無いから楽しみじゃわい」
最近ではルピィさんに傷付けられた心も癒えてきたのか、ドジャルさんもすっかり元気になってきている気がする。
……というより、もはや僕らは〔祖父と孫〕のようになっていた。
僕の父さんも母さんも孤児だったので、僕に祖父と呼べる人間はいないのだが、実際に祖父がいたならばこんな感じだったのかもしれない。
「――ここを訪れる度に、ますますアイス君はこの家に溶け込んでるなぁ。もうここの家の子みたいじゃないか。ドジャル爺さんが羨ましいな……」
今日の晩御飯はジェイさんも一緒だ。
ジェイさんは約束通り、あれから毎日この家を訪れているのだ。
まだ僕と一緒に暮らす事を諦めていないのが気掛かりだが、いずれ時間が解決してくれることを願うばかりである。
「僕もここを離れがたいのですが、そろそろ当初の目的を果たさねばなりません。明日には山を下りようと思っています」
この山での生活は快適で心地良いものだが、いつまでもこのままという訳にはいかない。
束の間の休息としてはもう十分だろう。
……元々は修行に来たはずだったが。
「そうか……アイス坊たちがいなくなると寂しくなるのぉ……」
ドジャルさんのその声は、心から寂しそうなものだった。
これまではずっと一人で生活してきたはずだが、この三週間の賑やかな生活に慣れてしまったのかもしれない。
「大丈夫ですよドジャルさん。これからも毎日、ジェイさんがここにやって来てくれますから! それに僕らだって、クロマグロを獲ったらお裾分けにまたここに来る予定ですから」
「えっ!? ……そ、そうだね、アイス君。ぼくに任せておきたまえよ」
そうなのだ。
心優しいジェイさんが孤独なお年寄りを放置するわけが無いのだ。
本当ならドジャルさんには山を下りて人里で暮らしてほしいところだが、一応ドジャルさんは帝国でのお尋ね者だ。
悪評高い金持ちばかりを狙っていた義賊とはいえ――帝国の賞金首が堂々と民国の街中で暮らすことは、国家間の問題に発展する恐れすらあるのだ。
外界から断絶されたこの山奥だからこそ、民国は黙認しているのである。
至極当然の事ではあるものの、ジェイさんが今後もドジャルさんとの親交を約束してくれたので、ルピィさんも嬉しそうだ。
にやにや笑いながら僕らのやり取りを観察しているのだ。
そう、ルピィさんにしては珍しいことに、ドジャルさんには心を開いていると言えるのである。
――意外にもルピィさんは心の壁が厚い。
表面上の浅い付き合いは得意なのだが、そこから一歩踏み込まないし踏み込ませないのだ。
顕著なのが〔呼び名〕だろう。ルピィさんはまず他人を名前で呼ばない。
『聖女ちゃん』や『空神』のように、よく知られた通称で相手を呼称するのを常としている。
そのルピィさんが、ドジャルさんのことは『ジャル爺』と呼んでいるのである。
盗賊技術の数々を教えてくれたことを内心で感謝しているのかもしれないが、実に喜ばしいことだ。
今回民国を旅立った後も、将来的にまたこの地を訪れたいと考えているが、きっとその時にはルピィさんも賛成してくれることだろう。
あと三話で間章は完結予定です。
次回、三十話〔砂上の対決〕




