二七話 疾走する海の風
舟を漕ぎ漕ぎ…………僕ら四人は、陸地が辛うじて目視可能なほどの沖合へとやってきた。
さすがにここまで来ると水深が深いだけあって、海の底までは見通せない。
ただやはり、見える範囲には魔獣の姿が確認出来ないようだ。
なるほど……これだけを考えると、海も綺麗な上に魔獣もいないので、神獣の存在がそれほど〔悪〕とは思えない。
しかしここの神獣は、船を沈めるのだ。
他大陸との交易が収入源となっている民国にとっては死活問題だろう。
人間の魔力反応を感知しているとはいえ、海中ならともかく海上を航行していれば全ての船が攻撃されるわけではない。
だが、大型の交易船が数隻沈められるだけでも、民国にとって大打撃となるのは想像に難くないことだ。
――ここには〔神持ち〕が三人いることに加えて、僕の魔力量も神持ち相当。
放っておいてもそのうち神獣が襲ってくるだろうが、長時間舟の上で待ち続けるのも退屈だ。
なにより、短気で飽きっぽいルピィさんが同じ舟に乗っているのだ。
この人がふざけて舟を沈めだす前に、手っ取り早くおびき出すとしよう。
「本当にアイス君が囮になるのかい? 危険すぎるよ、こんな時の為のレット=ガータスじゃないか」
そう――僕が海中に浸かることにより、僕の魔力を目印に神獣を誘い出すという作戦である。
どれほどの速度で迫ってくるかは分からないが、多分僕ならば即死するようなことは無いだろう。
一応、皆も水中戦を想定して〔水着〕を着用済みではあるが、狙われる人間が絞られていた方が対応しやすいというものだ。
ちなみに、ルピィさんだけは普段着のままだ。
何故かルピィさんは、水着に着替えるのを強く拒んだのだ。
曲がりなりにも一人だけ女性なわけなので、男集団の中で肌を晒すのを嫌ったのかもしれない。
常日頃の奔放さを考えれば違和感はあるが、無理強いするようなものでもない。
「大丈夫ですよジェイさん。僕は身体が丈夫なことだけが取り柄ですから。……それに、レットは囮要員ではありませんよ」
心配してくれるジェイさんを安心させつつ、またしても雑な扱いになっているレットのフォローもしておく。
実際、〔盾使い〕であるレットの性質は水中戦向きでは無い。
魔力量にしても、この中では僕が一番多いのだ。
ここは僕が囮になるのが妥当なところだろう。
「大丈夫っしょ。アイス君は殺したって死なないからね!」
模擬戦で毎回僕を殺害しようとしているルピィさんだけあって説得力は抜群だ。
だが覚えておいてほしい……僕だって、傷付く心を持っているという事を……!
「――あ、気持ちいい……。どれくらいで神獣がやってきますかね……っ!」
僕が囮になるべく海に入り、ぷかぷか浮かんだ――と思った瞬間には、急速に接近する魔力反応を感知した。
強大な魔力を有する神獣が魔力を全く抑えていないので、かなり遠くからでもその存在が知覚出来る。
――しかしこれは想像以上の速さだ。
これほどの速度ともなると、直前で回避することは難しいだろう。
急いで舟に上がればやり過ごせるだろうが、神獣の力を見極めておきたい。
ここは逃げることなく正面から受け止めてみることにしよう。
……防御に集中すれば、万一の事態もあるまい。
舟に乗船しているメンバーも実力者が揃っているということで、この場の全員が迫りくる神獣を察知しているようだ。
わずかな音も聞き逃さないように、全員が無言で、固唾を呑んで見守っている。
しかし速い。陸上で馬が駆ける速度よりも更に速い。
ましてやここは水中なのだ。驚異的な速度だと言えるだろう。
そして神獣は寸分の迷いも無く――そのままの速度のままで僕に激突した!
「ぅっ……!」
まさに激突だ。全身を砕くような圧倒的なエネルギー量。
速度も恐ろしいが、この衝撃力を生み出しているのは神獣ならではの〔質量〕だろう。
魚影を見る限りでは全長十メートル近くはありそうだ。
これほどの巨体でこの速度が出せるとは、〔速神〕であるというジェイさんの推察に間違いは無いだろう。
――いや、そんな事を考えている場合ではない。
気になって気になって仕方がない事柄があるのだ。
僕の見立てに間違いが無ければ、コイツは…………僕は自分の推察に興奮していた。
だが、沈思の最中であっても事態は動き続けている。
今この時も、僕の身体は神獣を受け止めた状態なのだ。
両手でガッシリと魚の先端(口?)を掴みつつ、猛烈な勢いで運ばれ続けている真っ最中である――そう、今の僕は〔海の風〕……!
自身の魔力で身を守ることに集中していたので怪我は無いのだが……遠くからジェイさんの悲鳴のような叫び声が聞こえたことからも、心配を掛けてしまっているのは間違いない。
海を疾走するのを楽しんでいる場合ではない。そろそろ片を付けるとしよう。
僕は片手を神獣から離して、空いた手で魔力を纏わせた〔抜き手〕を神獣に浴びせようとするが――
神獣は唐突に――停止した。
ありえない! と思ったが、現実は非情だ。
片手を離して不安定な状態となっていた僕は、高速移動の慣性のままに――神獣から勢いよく飛び立った!
さながら小石で水切りでもするかのように、海面をバウンドしながら飛ばされていく僕。
最終的には砂浜にゴロゴロと打ち上げられたところで、ようやく僕の身体は静止した。
……やれやれ、酷い目に遭ってしまった。
派手な有様のわりには軽い打撲で済んだが、これは完全に僕の油断だったと言えるだろう。
あの質量の生物が〔急停止〕することなどありえないと思っていたが、あの神獣は〔速神持ち〕だ。……速度を自在に操る事などお手の物ということだろう。
だが予想外の収穫もあった。
これは俄然ヤル気が湧いてきたぞ……!
「――アイス君、大丈夫かい!」
つらつらと思索していたら、空を飛んでジェイさんがやって来た。
僕が思ったより元気そうだったので少し安堵したようだが、まだ不安は拭えていないようだ。
「大丈夫です、はい。ご心配お掛けして申し訳ありません……」
余裕を見せて油断していたばっかりに、こんなにもジェイさんを心配させてしまったのだ。……猛省しなくては。
傍から見れば無惨に即死したようにしか見えなかったはずである。
ジェイさんが真っ青になっているのも無理はない。
「――アイス君、アイス君!」
舟のオールを目まぐるしく動かして、あっという間にルピィさんたちも砂浜にやって来た。
ルピィさんの表情には、僕への心配など微塵も存在しない……それどころか、むしろ喜びに弾んでいる。
だが不謹慎などと言うつもりは無い。
なにしろ――僕も同じ気持ちだったのだ……!
「ふふ……その様子だとルピィさんも気が付いたようですね」
「もちろんだよ! アレは間違いなく――」
「「――クロマグロ!!」」
僕とルピィさんの声が重なった。
「えっ? クロ、マグロ……?」
息の合った僕らの様子に、ジェイさんが困惑しているようだ。
事前にジェイさんは〔回遊魚〕である事しか分からないと言っていたので、余計に混乱が深いのだろう。
しかしあれはどう見てもクロマグロである。
察するに、ジェイさんは魚の種類には詳しくないのだろうか……?
――ならばここは僕の出番だ!
「おやおや、ジェイさんともあろう方がクロマグロをご存知ない? ジェイさんは〔天空の王〕と呼ばれているらしいですが、クロマグロは〔マグロの王〕と呼ばれるほどの貴重なマグロなんですよ。本マグロと呼ばれたりもしますが」
かの有名なクロマグロを知らないようだったので、僕は得意げに語ってしまう。
そして……そう、クロマグロである。
何を隠そう僕とルピィさんは、教国滞在中に市場でクロマグロを探し求めていた過去があるのだ。
一度で良いからクロマグロを食べてみたかったので、毎日市場に水揚げされていないかチェックしに行っていたのだが、結局、クロマグロと出会うことなく教国を発ったのである。
諦めていたクロマグロ。
彼とこんな場所で運命の出会いを果たす事になるとは思わなかった。
家で探し物をしていて、もう見つからないと諦めていた時に――『こんにちは!』と、探し物が出てきたようなものなのだ。
これが興奮しないではいられようか……!
「そ、そうかい。回遊魚だとは分かっていたが、マグロか。……しかし、なぜアイス君はそんなに嬉しそうなんだい?」
「なぜって……クロマグロですよ? それもあれだけの巨大なマグロですよ? 討伐した暁には〔マグロパーティ〕が待っているんですから、嬉しいに決まってるじゃありませんか!」
「し、神獣を食べるのかい……?」
んん……?
なんだろう、意見の食い違いがあるようだ。
――そうか。
軍国では僕の父さんが気軽に神獣を狩っていたので、王都民の食卓にも〔神獣肉〕が当たり前に出てくる事があったが、他国ではそうもいかないのだろう。
〔武神〕の父さんなればこそ、幾多もの神獣をあっさり討伐していたが、一般的には神持ちであっても討伐が困難な存在なのだ。
ここ民国では討伐ばかりに意識が向いてしまい、食べるという発想に至らなかったのではないか……?
その点、軍国では巨大な神獣が討伐される度に、安価で〔神獣肉〕が出回っていたのだ。……王都民で神獣を食べたことがない人間はいないくらいだろう。
何しろ神獣は体積が大きいので、市場に安値で卸せるぐらいの余裕があるのだ。
だが安値だからといって、原種と比較して味が劣るかといえばそうでもない。
当たり外れはあるが、原種より神獣の方が美味ということは往々にしてあるのだ。
「ふふ、クロマグロ君を狩ったらジェイさんにも振る舞いますから、楽しみにしてて下さい」
ジェイさんはまだ懐疑的な表情をしているが、論より証拠だ。
その固定観念を打ち崩してみせようではないか……!
――――。
意気揚々とまた沖にやって来た僕らだったが、思わぬ誤算があった。
「神獣、来ねぇな……」
レットが肩透かしを食らったようなボヤキを漏らすのも当然だ。
最初は先程と同じように、僕が一人でじゃぶじゃぶ泳いでいたのだが……神獣は、遠く離れた場所を周回し続けているだけで近付いてこないのだ。
痺れを切らしたレットやジェイさんが、僕と一緒になって海中に身を沈めてみたが――神獣は警戒したように一定の距離を保ったままなのだ。
「アイス君が相手じゃ勝ち目が無いって悟ったんじゃないの? 野生の勘とかでさ」
信憑性の高そうな意見だ。
ジェイさんの話では、神獣が過去にこんな行動を取ったことは無いらしいので、十分考えられる話ではある。
そんな意見をくれたルピィさんだが、ルピィさんは一人だけ海に入ることなく舟上で昼寝をしているような体勢のままだ……。
こういった事には積極的なはずのルピィさんらしからぬ態度だ。
泳げない訳でもないようなので、家族サービスで子供を海に連れてきた引率者みたいなポジションなど、実にルピィさんには似つかわしくない。
僕の知る彼女は、真っ先に海へと飛び込む人であるはずなのだ。
だが……それはそれとして、こんな状況になってしまった以上、神獣対策を一から練り直す必要性があるだろう。
海中にいる〔速神〕が逃げに徹するとなると、討伐は極めて困難だと言わざるを得ないのだ。
強力な遠距離攻撃手段でもあれば話は別だが、僕の投げナイフ程度では神獣を仕留めるのは厳しいはずだ。
――ここは急がば回れでいこう。
「ジェイさん、ここは一度引きましょう。僕に考えがあります」
「ああ。近付いてこない以上は撤退せざるを得ないが……何か妙案でもあるのかい?」
「そうです。……ジェイさんは投擲名人の盗賊をご存知ですか?」
明日も夜に投稿予定。
次回、二八話〔許されざる盗賊〕




