二六話 世界のバランス
「綺麗な海ですねぇ……海底が透けて見えそうですよ。泳いでみたいところですが、海に入るとすぐに襲われるんですよね? ――神獣に」
海に生息する神獣。
それこそが民国を悩ます存在であり、僕らが請け負った仕事だ――そう、僕らに託された荒事とは、〔神獣討伐〕である。
ジェイさんほどの実力者が手を焼いている存在。
その事がまず疑問だったが、海生の神獣であれば納得だ。
空を主戦場とするジェイさんとは相性が悪すぎる。
もっとも、僕らにしたところで相性は良くない。
僕らは三人とも泳ぎには熟達しているが、海に生きる生物……しかも〔神獣〕が相手となると簡単な仕事ではない。
なにしろ、攻撃手段が少ないのだ。
武器を持って近付くにしても、海中を泳いで神獣に迫るのは至難の技だ。
強力な遠距離攻撃の手段があれば良いのだが――相手は神獣である。
〔魔術系の神持ち〕による攻撃でもなければ、致命傷を負わせることは叶わない。
ジェイさんも魔術系の神持ちではあるが、〔空神の加護〕というのは攻撃よりも移動に特化した加護らしいので、戦闘向きの加護ではないようだ。
というより、普通の〔空の加護〕であれば、空術を行使することが出来るわけでもなく、明日の天気がなんとなく分かるくらいの使い道しかないのだ。
加護には使用用途がよく分からないようなものも多いので、空の加護のようなものは珍しくもない。
むしろ〔神付き〕となるだけで利便性が飛躍的に向上する〔空神〕のような存在は、加護の中でも珍しい部類と言えるだろう。
つまり、大空を自由に飛行出来る〔空術〕は空神の専売特許というわけだ。
民国において〔天空の王〕などと大仰な通り名で呼ばれているのも頷ける話である。
そんなジェイさんであっても、海中にいる相手が敵となると分が悪い。
ジェイさんの攻撃手段としては、〔風術〕を高いレベルで行使出来るらしい。
だが〔風神の加護〕を持っているわけでもないので、強力な風術といえどもその威力には限界があるようだ。
さすがに海中の神獣に大きなダメージを与えることは難しいのだろう。
〔火神の加護〕のような攻撃向きである神持ちがいれば楽なのだが、神持ち全体でも希少な〔魔術系の神持ち〕で、しかも攻撃系ともなると、国同士が奪い合うほどに珍しい存在なのだ。
軍国の軍団にもいないくらいなので、僕らの周囲に都合良くいるはずもない。
「――それで、この海を縄張りにしてる神獣は魔力反応を感知して襲ってくるんだっけ? 他に情報は無いの? 加護の種類とか、ベースの生物の種類とか」
ルピィさんが珍しくまともにジェイさんに話し掛けた。
さすがに僕らの身の安全に関わる事なので、普通に問い掛けてくれたようだ。
そして、魔力反応を感知して襲ってくるというのが重要な問題なのだ。
数年前から、神獣により民国の船が何隻も沈没させられているらしいが、どうやら船に乗った人間の存在を察して、自分の縄張りを守るように攻撃行動を取っていると推測されているのである。
それはここの海が強い青色――コバルトブルーの透き通った海であることにも関係している。
件の神獣は、魔力反応のある生物、つまり人間だけではなく〔魔獣〕も平等に駆逐しているらしいのだ。
海と言えば魔獣の巣窟というイメージが強いのだが、皮肉な事にこの一帯の海域は〔神獣のおかげ〕で、人間も魔獣もいない綺麗な海となっているというわけだ。
「その神獣は、常に高速で動き続けていることから〔回遊魚〕の類だと推測出来るが……とにかく速すぎるから種別までは分からないんだ。そしてその尋常じゃない速度から、〔速神の加護〕を持つ神獣だと予測している」
ルピィさんには酷い態度しか取られていないはずのジェイさんだが、穏やかな笑みを浮かべながらルピィさんの質問に答えてくれた。
「それだけ? 使えないなぁ」などと言っているルピィさんとは大違いの人格者である……。
それにしても回遊魚に〔速神〕とは嫌な組み合わせだ。
ジェイさんが魚の種類の判別すら出来ていないということは、水の抵抗があるにも関わらず桁外れの速度で泳いでいるのだろう。
しかも神獣ということは、小型の魚ではなく巨体の魚が高速移動していることになる。……体当たりされるだけでも、動きが不自由なところを馬車に轢かれるようなものだ。
――ちなみに僕も〔速術〕を行使可能であるが、僕でさえ数倍の速度で走ることが出来るようになるのだ。
これが〔速神〕ともなれば、ジェイさんが『尋常じゃない速度』と形容するのも理解出来る気がする。
「神獣は数年前から活動しているとのことですが、繁殖の兆しはありますか? 他に大型の魔獣が近郊で確認されたりはしていませんか?」
ルピィさんに続くようにレットも質問する。
レットが危惧しているように、稀ではあるが神獣が繁殖することもある。
原種と比べてそもそものサイズが違うので滅多に無いのだが、神獣以外にも〔豊の加護〕あたりを宿した魔獣などは、神獣並のサイズだったりするのだ。
人間からすると、神獣と見分けがつかない上に、放っておくとその巨体を活かして神獣と繁殖する可能性があるので非常に迷惑な魔獣と言える。
「ふん……レット=ガータス、つべこべ言ってないで早く海に入りたまえ。神持ちの君なら、すぐに神獣が寄ってくるだろうよ」
ひどい……! レットへの扱いがひどすぎる!
懇切丁寧に答えてくれる流れでは無かったのか。
傍若無人なルピィさんにすら愛想良く対応しているのに、なぜ丁重な態度のレットに嫌悪感を剥き出しにするのだろう……やはり僕のせいなのだろうか。
「ジェイさん……」
「あっ……いや、すまないアイス君。そんな顔をしないでおくれ……。この男の顔を見ると、憎しみが抑えきれなくなってしまうんだ」
僕の悲しみが伝わったのか、ジェイさんは慌てたように弁明する。
しかし、顔を見ただけで憎しみが抑えきれないとは重症ではないか。
いや待てよ……教国の聖女であるケアリィも、僕に面と向かって『わたくしの視界に入らないでください』などと、聖女の資質を疑いたくなるような事を言っていた……!
そう考えれば、国が変わることで僕とレットの立場が逆転しただけだ。
僕にせよレットにせよ、何もしていないのに相手に嫌われているのだから。
そう、この世界はバランスが取れている。
ならば僕がレットに同情する必要はない――いや、同情してはならないのだ。
それは、自然の摂理に反する事だから……!
「いえいえ、つい憎んでしまうなら仕方が無いですよ。……まったく、レット! いい加減にするんだ!」
調子に乗ってレットを叱責してしまう僕。
……レットは悟りを開いた修行僧のような顔で、僕の理不尽な罵倒を聞き流している。
うむ、諦めの境地に達したようだ。
「そうだよレット君、ちゃんと空気読みなよ!」
当然のようにルピィさんも僕に追随する。
しかし、誰よりも空気を読まないルピィさんからの『空気を読め』発言だ。
これはさすがに苛立ちが隠せないのではないか?
無念無想――今のレットからはあらゆる感情も感じさせない。
うむ、我が親友ながら見事……!
だが、さすがにレットが少し気の毒になってきたので本題に戻るとしよう。
「それじゃあ、舟で沖に出てみましょうか。まずは神獣が見てみたいです」
明日も20:30頃に投稿予定。
次回、二七話〔疾走する海の風〕




