二三話 作られた三角関係
――その男は空から現れた。
高所から飛び下りて着地したのではない。
空中に浮かびながら現れ、ふんわりと僕らの前に着地したのだ。
街の噂で聞いた通り、整った端整な顔立ちをしている。
宿している高い魔力量から言っても、この男が〔空神〕に間違いないだろう。
……空神持ちでこのルックスとなれば、女性が放って置かなさそうだ。
空神は、まだ殺気を発しているルピィさんを意外そうな表情で見やっている。
白昼堂々と挑発行為に及んだ人物が、想像より若い人間だったからだろうか。
空神は二十歳らしいが、ルピィさんはまだ十八歳であり――しかも童顔なので若く見えるのだ。
……客観的な判断をすれば、十六歳くらいの〔少年〕といったところだろう。
というか、空神を誘き出すことに成功したのに、何故ルピィさんは警戒態勢を解かないのだろうか……。
僕がルピィさんの腕をちょいちょい引っ張っていると、空神は初めて僕の存在に気付いたようだ。
そして僕の顔を見た瞬間に――眼を見開いて硬直した。
なんだこの反応は……?
どこかで会った事があるわけでもない。
僕の顔立ちは母さんによく似ている――以前に母さんと面識があったのか……?
……いや、そんなはずが無い。
空神はまだ若い青年なのだ。母さんの知己としては年齢が合わない。
――いや、思考に意識を割いている場合ではない。
僕らは敵だと認識されているかもしれないのだ。
警戒心を解きつつ、相手の懐に入りこむような親しみを感じさせなければ。
僕は人懐っこい笑みをイメージしながら、空神に対して長年の友人であるかのような気持ちで挨拶をする。
「どうもこんにちは。僕の仲間が驚かせてしまったようですみません。僕の仲間はお金持ちを見ると殺意を向けずにはいられない性質を持っているだけですので、あなた個人に含むところがある訳ではないんですよ」
ルピィさんには空神を引っ張り出すのに一役買ってもらったので、一方的に悪役扱いしてしまうのも申し訳ない。
そこで僕は空神に笑顔を向けながら……ルピィさんの労をねぎらうように、暴走を抑えつけるように――ルピィさんの肩を揉む!
「ちょっ……ぁ」
ふふ……僕は時間があればレットにマッサージをしてあげて腕を磨いているので、按摩の技術はちょっとしたものなのだ……!
しかし、レットの肩がいつも凝っているのと比べると、ルピィさんは全く凝っていない……ストレスが溜まらなさそうな生き方をしているだけある。
だがそんなルピィさんにも、僕のマッサージは効いているようだ。
小さな声を上げつつ、腰が砕けて立っていられなくなったように座り込んでいるのだ。
――好機!
今ならば、いつもやりたい放題やっているルピィさんとて思うがままだ。
マッサージを受けるレットは、いつも途中でそのまま寝てしまいがちなのだ。
レットと同じように、このままルピィさんを眠りに誘うように全身マッサージへと移行しよう――いざ、夢の世界へ!
「――き、君……」
おっと、すっかり空神の存在を失念してしまっていた。
夢中になると、つい周りが見えなくなってしまう。
僕の悪いクセだ……反省、反省。
まだルピィさんは座り込んだまま、顔を赤く染めて恨めしそうに僕を見ている。
言いたい事が多すぎて何を言ったら良いのか分からない、といった様子だろうか?
さすがに路上で全身マッサージに移ろうとしたのは失敗だったかもしれない。
ルピィさんからの恨めしそうな視線。レットからの呆れたような視線。
僕に集中している視線は、仲間からのものだけでは無かった。
空神だ。
空神はレットやルピィさんに目もくれず――僕だけを純粋そうな瞳で真っすぐに見詰めている。
その瞳は、どこか舞い上がっているような情熱的な眼差しだ。
そして空神は、情動のままに口を開く――
「――ぼくと、結婚してくれないか?」
…………ん?
……落ち着け、落ち着いて整理しよう。
たしかに僕は、空神と友人関係を構築する為にやって来た。
だが、友達どころか親友も飛び越えて婚姻関係とはこれ如何に?
――うっかり性別の壁も超えてしまっているではないか!
もちろん原因に検討はついている。
彼は僕のことを〔女の子〕だと思っているに違いない。
忌まわしい記憶だが……以前にも勘違いされて男性に告白されたことがあるのだ。
……しかし、やっぱり噂は当てにならないな。
仮に僕が女だとしても、初対面の女性にプロポーズをするような人間は常識的な人格者とは遠い存在だ。
まずは友達から、というのが筋というものである。
この人もまた〔神持ち〕らしく、非常識というわけだ。
その事実は残念だが、僕が空神に好印象を与えているのもまた事実。
考えてみればこの展開は悪くない。
ここは、そそかっしい空神を傷つけないように優しく真実を告げてあげて、それから改めて友人になればいいのだ。
「よく間違えられるんですが、僕は男ですよ」
僕は内心のうんざりした気持ちをひた隠しにしながら、いたずらっ子を窘める〔子供好きの保母さん〕のような温かみのある笑顔で応えた。
「分かっているとも! 私は女性には興味がないんだ!」
――ゲーイ!
なんてことだ……これは想定以上にヤバいやつが現れたぞ!
僕の容姿に一目惚れをしたということで、僕に似た妹には絶対に会わせまい、と思っていたが――これは別の意味で会わせるわけにはいかないな。
……いや、待てよ。
近年では同性愛者は増加傾向にあるらしい。
軍国では一般的では無いものの、この民国では石を投げれば同性愛者に当たるぐらいにポピュラーな存在なのかもしれない。
ならば僕は恥じるべきだ――僕は自分だけの価値観で、他国の文化を一方的に否定していたのだから。
それでなくとも、誰にも迷惑を掛けていないのなら誰にも文句を言われる筋合いなど無いのだ。
「……ひょっとして、この国では同性愛者の方が多かったりしますか?」
僕はやや怯えながら空神に質問した。
もしかしたらこの国では〔異性愛者の方が少数派〕である可能性もあるのでは? と危惧していたのだ。
少子化問題が深刻過ぎるではないか……!
「残念だが……あまり多くはないね。――でも、大丈夫だ。籍を入れることが出来なくても、一緒に暮らしてくれるだけで良いんだ」
何が大丈夫だと言うのだろうか。
……なんだか頭が痛くなってきた。
そんな僕を見かねたルピィさんが口を挟んでくれる。
「ちょっと。アイス君が困ってるから、それぐらいにしてくれる?」
「なんだい君は? ――嫉妬をしているのかな?」
「なっ!?」
ルピィさんが驚きの声を上げて動きを止めた。
「悪いけど、ぼくは君とは付き合うことは出来ないんだ。女性にはまるで興味が沸かないんでね」
やれやれ、と頭を振りながら空神は答えた。
ルピィさんが――気が付けばフラれている……!
「……アイス君、こいつ、殺してもいいかな?」
ゆらり、と一歩を踏み出そうとするルピィさんの腕を慌てて掴んで止めた。
こんな人でも民国の英雄なのだ――殺してしまうのはまずい!
混迷しつつある場で、レットが僕の腕を軽く叩いて注意を引く。
「アイス、この人が本当に〔空神〕なのか?」
空を飛んでやってきたのでレットにも分かっているはずだが……信じたくないのだろう。
その気持ちはよく分かる。
「おい、そこの男。ぼくのアイス君に軽々に触れないでくれないか」
もう、どこから突っ込めばいいのか分からないぞ……!
『僕のアイス君』などと勝手な事を言っているが、僕はまだ自己紹介すらしていないのに!
どうやらルピィさんたちが僕の名前を呼んでいたので名前を知られてしまったようだが、人を勝手に所有物にしないでほしい。
そして一連の反応を見る限りでは、この人にとって恋のライバルとなるのは女のルピィさんではなく――男のレットだ……!
しかし勢いに流されてはいけない。
ここは毅然とした態度でもって、相手の非礼を指摘することから始めよう。
「お待ち下さい。こちらはまだ、あなたの名前すら伺っていませんよ。これはいくらなんでも礼を失しているのではありませんか?」
礼儀知らずの神持ちに一般常識を語る僕。
何故かレットが「こいつ、どの口で言ってやがる」という呆れ返った視線で僕を見ている気がするが……きっと気のせいだろう。
ことの始まりは、仲間であるルピィさんが挑発行為を行っていた事が原因のような気もするが、物的証拠は何も無いのだ……!
『殺気を感じた? ははん、何言ってんですか?』というわけだ――そう、つけ入る隙なんか与えないぞ!
……おや、そういえば、僕は何をしにここに来たのだったのかな?
「すまない、アイス君の言う通りだ。ぼくとしたことが我を忘れていたよ。改めて名乗らせてもらおう、ぼくは〔ジェイ=エグロスト〕。人々からは〔天空の王〕と呼ばれている」
通り名を自分で名乗ってしまうのか……!
しかし大変礼儀正しく謝罪されてしまったので、まるでこっちが悪者のような錯覚を受けてしまう……。
これはいけない、僕も丁重に名乗り返すべきだろう。
「いえいえ、些細なすれ違いは、いつどこでも起こりうるものですからね。僕の名前は〔アイス=クーデルン〕です。人々からは〔軍国の良心〕と呼ばれています」
対抗心を燃やして通り名を捏造してしまう僕。
そして、今回はしっかり本名を名乗ることにした。
礼節には礼節で返すべきなのだ。
偽名を名乗るなんて、嘘を吐くなんて……許されないことだ!
……そういえば、アイファたちに偽名を訂正し忘れていた。
友達に偽名を教えたままなのは心残りだが、あの二人には礼節が欠片も無かったので良しとしよう……!
「……クーデルン? 軍国の良心といい……アイス君は〔武神〕の親類なのかい?」
もしやと思っていたが、遠く離れた民国でも〔武神〕の勇名は響き渡っていたようだ。
父さんが有名人なので、家族として誇らしい気持ちになってしまう。
さりげなく〔軍国の良心〕という単語を刻み付けることが出来たのもグッドだ。
「はい。〔武神〕カルド=クーデルンは僕の父です。……それより、こんな所で立ち話もなんですから家の中で話しましょうか」
「なんでアイスがそれを言うんだよ、客の立場で図々し過ぎるだろ!」
奥ゆかしいレットがまたも僕の意見に反発する。
だが、そんなレットの声に不満を露わにしたのはジェイさんだった。
「……君、さっきから僕のアイス君に慣れ慣れしいじゃないか。節度を守ってくれたまえ」
慣れ慣れしいのはどう考えてもこの人の方だろう。
ある地方では、人の好意を四回断るのは逆に〔無礼〕と言われてしまうそうだ。
別にレットは三回も遠慮したわけではないが、レットには謙虚過ぎるきらいがあるのも事実だろう。
しかし僕の親友であるレットがショックを受けた顔をしているのだ――まるで『なんで俺が怒られてんだ……』という顔だ。
これを捨て置く訳にはいかない……!
「おっと、そこまでですジェイさん。たしかにレットは慮外者ですが……こんなやつでも僕の友人ですから、それ以上悪く言わないでもらえますか?」
以前にレットが、僕を擁護する為に言っていた言葉だ。
これ幸いとばかりに僕も活用させてもらおう。
レットも過去の自分になぞらえられた事に気付いているのだろう、屈辱を噛み締めているような表情をしている。
……ふむ。レットを庇うつもりが、ついからかってしまった。
きっと僕の心に、教国で虐げられていた頃の無念が根深く残っていたのだろう。
恨みつらみとは恐ろしいものだ……!
「さて、それはともかくとして行きましょうジェイさん。……あ、今日の宿をまだ決めていないので、ついでに泊めてもらってもいいですか?」
ジェイさんが「いいとも、いいとも!」と心から嬉しそうに了承してくれている姿を、レットは諦念したように見ながら何も言わなかった。
明日も夜に投稿予定。
次回、二四話〔五芒星の夢〕




