一話 二人の始まり
「ボクがいれば他に仲間なんかいらないよ。二人で王都に行こう!」
レットが一人で旅立ち、僕とルピィさんが残された。
そして、二人で今後について話し合いを始めてすぐの――この発言だ。
そもそも僕は、ルピィさんを危険な事に巻き込むつもりはない。
帰る場所を失くしたルピィさんを他の街にでも連れて行き、生活の目処が立ちそうなのを見届けてから、袂を分かつつもりなのだ。
旅の同行者という眼で見るとしても、ルピィさんは軍国を――軍団長たちを軽視し過ぎている。……しかし、それは意外な事ではない。
ルピィさんは盗神の加護持ち、〔神持ち〕だ。
これまでの半生では、闘えば勝つのが当たり前だったのだろう。
しかし今回は、相手が悪すぎる。
軍団長ともなると〔戦闘系の神持ち〕であることが基本な上に、日々を自己鍛錬に費やしているのだ。……神持ちとはいえ、戦闘訓練をまともにしていないルピィさんが敵う相手ではない。
だが、これはまずい。
このままではかつての僕と同じように、初めての挫折が取り返しのつかない失敗に繋がる恐れがある。
ルピィさんは敗北を、挫折を、知らなくてはならない。
ならば、僕がルピィさんを躓かせる石になろう。
ルピィさんを傷付けるのも、ルピィさんに嫌われるのも嫌だが、ルピィさんが後悔するような事になるのは――もっと嫌だからだ。
「――ルピィさんでは力不足です。神持ちの軍団長を侮り過ぎですよ。今のルピィさんでは僕にだって勝てないことでしょう」
「ふふっ……アイス君はボクを舐め過ぎじゃないかな? ちょっと心得があるみたいだけど、神持ちでもない相手にボクが遅れを取るワケないでしょ」
プライドを傷付けられたせいだろう、ルピィさんは笑顔だが眼は笑っていない。
そう、僕は神持ちではないどころか、戦闘系の加護すら所持していない。
それをルピィさんも知っているからこそ、身の程知らずの妄言と受け止めたのだろう。
「でしたら、模擬戦でもやってみますか? 僕が負けたら何でも言うことを聞きますよ」
思惑通りではあるが、内心ハラハラしながら重ねて挑発する僕。
「へぇ……面白い、後で泣くことになっても知らないよ? 得物はどうするの? その辺の木の枝でも使えばいいかな?」
「ルピィさんは好きな武器を使って構いません。僕は素手で十分なので。……手加減もしやすいですしね」
ルピィさんの怒気にドキドキしながらも、僕は挑発する事を止めない。
この人は気が短いようなので、勝負で平静さを失うことの危うさを、この機会に自覚してもらおうという訳だ……!
「ふふっ、ふふふ……アイス君は愉快な子だね。これはお仕置きが楽しみだ……」
うっ……僕は負けたらどんな目に遭わされるのだろう……?
いや、これもルピィさんの為だ。毒を喰らわば皿まで。
挑発するからには、徹底的にだ……!
「どうぞどうぞ。いつでもかかって来てください。僕の胸でよければお貸ししますよ」
「……」
ルピィさんは無言になってしまった。
なぜだろう、逆鱗に触れてしまったかのようだが……〔胸〕というキーワードで耳がピクリと動いた気がしたので、自身の胸囲が控え目な事を気にしているのかもしれない。
べつに『胸が無いようなので――僕の胸をあげますよ!』という意味ではないのに……!
無言でゆらゆらと歩いてくるルピィさんだったが、ある地点まで到達すると、いつ踏み込んだのかを悟らせないくらいに自然な動作で、唐突に数メートルもの距離を埋めてくる。
間合いを詰めるのと同時に、ルピィさんの緩く握られた右拳が僕の顎を狙う。
顎先をかすめさせて脳を揺らすであろう一撃を、僕は上半身だけで躱すが――躱した先に、僕の眼を目掛けて小石が飛んでくる。
左手からの指弾だ。見事な腕前ではあるが……それも見えている。
僕は飛んできた小石を――指先で摘まむ。
ふむ。怒っていたわりには、眼球を直接狙う訳でもなく数ミリずらしてくれている。
それに小石に魔力も籠められていない……いや、これに関しては魔力操作がまだ未熟なのだろう。
もしくは、魔力を籠めて投石するという概念自体を知らないのかもしれない。
「――なっ!? ウソでしょ……」
小石で注意を逸らすまでが牽制の一部だったのだろう。
小石を摘まんだという事実は、牽制を完全に見切っていたことを意味する――それに気付かないルピィさんではない。
ルピィさんは攻撃の体勢に入っていたが、動揺しながら数メートルは飛び退く。
「ルピィさんはやっぱり優しいですね。……でも、本気でやってくれて構いませんよ。僕は、誰にも負けません」
僕に大怪我をさせないように、ルピィさんが手加減してくれていたのが分かる。
その気持ちは胸が暖かくなるくらいに嬉しかったが、それでは意味が無いのだ。
ルピィさんには自身の力不足を実感してもらう必要がある。
本気で向かってくるルピィさんを圧倒してこそ、意味があるのだ。
「――っ! 上等だよ!」
カッとなるルピィさんだったが、これでいい。僕は嫌われても構わない。
僕は、これがルピィさんの為になると信じている――
――――。
「――もう、止めませんか……?」
どれだけ僕があしらっても、ルピィさんの心は折れなかった。
まるで、退いてしまったら自分の全てが終わってしまうかのように、ルピィさんは何度も何度も僕に挑戦してきた。
これは、負けず嫌いという言葉で片付けていいものではない。
自分の強さを心の拠り所にして――その拠り所だけで生きているような印象を受けてしまう。……僕はそんなルピィさんを見るのが辛かった。
ルピィさんは両親を早くに亡くし、病気の姉を一人で支えて生きてきた人だ。
敗北など、負けることなど、彼女には許されなかったのかもしれない。
『負けてもいいんです』――僕にはその言葉が言えなかった。
ルピィさんの必死に生きる姿をみても、僕の持論は変わっていない。
ルピィさんは敗北を知り、敗北を味わうべきだ。
勝ち続けた人間が、初めて敗北して動揺することにより――致命的な失敗を犯す。
そんな事になるよりは、自分が負けるという事に慣れておいた方がいい。
ある意味では、ルピィさんにとって〔姉の死〕は初めての敗北だったのだろう。
だからこそ、自分に残った拠り所である〔強さ〕に縋り、僕との闘いで敗北するなんてことが認められないのだ。
ならば、僕のやるべき事は簡単だ。
ルピィさんに〔自分は負けてもいい〕と分からせよう。
だから僕は、もうルピィさんと闘いたくなくても、何度でも闘い――何度でも敗北させる。
「――――もう! いいよ、ボクの負けで! アイス君強いくせに……泣きそうな顔しないでよ」
根負けしたのはルピィさんが先だった。
闘って勝てないからではなく、僕の辛そうな顔を見るのが耐えられなくなったようだ。……この敗北宣言は、本来の目的にはそぐわないかもしれないが、今はこれでいいと思う。
ルピィさんの変わらない優しさが、素直に嬉しいのだ。
「……僕は泣きそうな顔なんかしてませんよ。では、ルピィさんの怪我の治療をしますね」
僕はルピィさんからの不名誉な指摘を否定しつつ、治癒術を行使し始める。
なにはともあれ、ルピィさんが諦めてくれて良かった。
……これでようやく、スタートラインだ。
一緒に旅を続けるかどうかは別の問題として、僕はルピィさんに稽古をつけてあげるつもりなのだ。
最低限の身を守る力を得てもらわないと、今後の事が心配でならないのである。
「まさか掠り傷一つ与えられないとは思わなかったよ……ホントにアイス君は神持ちじゃないの? どう考えてもおかしいんだけど」
「今まさに、治癒術を使っているじゃないですか。僕は武神と剣神に手ほどきを受けてますからね、これぐらいは当然のことですよ」
そう、〔治癒の加護持ち〕しか使えない治癒術を行使している時点で、僕が嘘を吐いていないことは明白だ。
そして、僕は父さんとネイズさんに鍛えられているのだ。
戦闘の素人とも言えるルピィさんに負けてしまったら、二人に怒られてしまう。
……いや、あの二人は怒らない。無言で訓練を厳しくするだけだろう……。
「そんな問題かなぁ〜〜。…………まぁ、軍国の軍団長がとんでもなく強そうって事は分かったよ」
まだ納得してなさそうなルピィさんだったが、少し自信を喪失しすぎている気がする。
もしかして、やり過ぎてしまっただろうか……?
僕としては、ルピィさんに敗北の味を知ってもらう事で、酸いも甘いも噛み分けた飄々とした自信家になってほしいのだが……。
よし、ここはきちんとフォローしておこう。
「大丈夫ですよ、ルピィさんには非凡なセンスが見受けられます。ちゃんと鍛錬さえ積めば、軍団長に負けないくらいに強くなりますよ」
これは嘘ではない。
今回、僕の一方的な展開に終わったのは、ルピィさんにまともな戦闘経験が無い事もあるが、僕とルピィさんの〔相性〕の問題が大きいのだ。
ルピィさんが搦手を得意とするタイプなのに対して、僕は相手の攻撃を読むのが得意なタイプだ。
そしてルピィさんの技術は、僕から見ればまだまだ拙い――読みやすいのだ。
しかしながら、ルピィさんは戦闘センスが図抜けている。
これで技術に磨きをかけようものなら、誰にも止められなくなる事だろう。
「くぅ〜っ! カワイイ顔して、上から目線が腹立つなぁ〜! こいつめ、こいつめ」
「やえてくああい……」
僕は理不尽に頬を引っ張りまわされる!
さっきまで僕に一方的にやられていたので、鬱憤が溜まっていたのだろう。
……これぐらいでルピィさんの気が晴れるなら、甘んじて受け入れよう。
結局、勝っても負けても、僕が〔お仕置き〕される運命からは逃れられなかったのだ……。
本日の夜にまた投稿予定。
次回、二話〔トビウオの記憶〕