十五話 相互理解
「――これは裁定神様。本日も聖女様とご歓談ですかな?」
客室に戻りかけた僕らを呼び止めたのは小太りの男。
この教国の重臣――神官長だ。
その傍らには太鼓持ち、いや部下と思われる男たちを伴っている。
教国における象徴的意味合いでのトップが聖女だとすれば、この神官長は実務面でのトップだ。
実質、この神官長が教国を動かしているといっても過言では無いのだが……僕は、聖女や付き人さん以上に、この神官長を苦手としていた。
なにしろこの神官長は、初対面で丁寧に挨拶をした僕を完膚無きまでに無視しているのだ……。
聖女たちもかなり差別意識が強いが、この神官長に至っては、従者である僕らを人間とすら見做していないようである。
話し掛けたら罵倒してくる聖女たちの方が、よほど人間味があるというものだ。
「……どうも」
当然ながらレットもこの神官長にはそっけない態度だ。
仲間が無視されているのだから、レットの愛想が悪くなるのも仕方がない。
……そしてこの神官長も、口調こそ慇懃だがレットの存在を快く思っていない節がある。
「長い時間話されていたようですが……どういった事を話しておられるのですかな?」
神官長はさりげなく聞いたつもりだったのかもしれないが、その眼はレットの事を探るように不躾な視線を向けている。
〔裁定神の予知夢〕の事を警戒しているのかは分からないが、この神官長に事情を話せるはずも無い。
嘘が苦手なレットの為に、ここは僕が一肌脱ごうではないか……!
「いやだなぁ、神官長さん。若い男女が密室で二人……詳細を尋ねるのは野暮ってものですよ!」
「――――」
完全に無視されてしまった……! ううっ、心が痛い……。
神官長は感情のない瞳で僕を一瞥しただけで、何事も無かったかのようにレットの方を向いたままなのだ。
レットの方は「アイス黙ってろ……」みたいな顔をしているので、この場の全員に無視されているわけではないのが救いである。
「……俺はもう休みますので、これで失礼します」
結局レットは神官長の質問に応える事なく、神官長から顔を背けるようにして立ち去った。
神官長は何も言わなかったが、背中越しのその視線は、レットを追い掛けているような気がしてならなかった。
――――。
客室に戻った僕は仲間たちに所感を告げる。
「うん、僕もだんだんと聖女たちの信頼を得られているね」
「どこが!? 今日も『お黙りなさい下郎!』とか言われてたじゃん!」
僕の感想は即座にルピィさんによって否定された。
ふふ……だがその発言こそが、僕と彼女たちの心の距離を示しているのだ。
「そう、その通りですよルピィさん。初めて会った時は『黙りなさい』だったのが、今や『お黙りなさい』に変化しているんです――着実に心を開いている証拠では無いですか!」
ともすれば聞き逃しそうな小さな変化だが、この差は大きい。
初対面時より僕に気を使っているという事ではないか。
将来的には『黙らないで下さい!』まで発展するに違いない……!
「え、えぇぇ……そうかなぁ〜、変わんないでしょ~。アイス君って、時々謎のポジティブさを発揮するよね……」
ルピィさんからの称嘆を受けるが、喜んでばかりもいられない。
この牛歩の歩みでは、相互理解を得られるまで年単位の時間が掛かりかねない。
……しかし晩成型の僕とは違い、レットの動きは早い。
「レット、付き人さんは自死を思い留まってくれたんだよね?」
「ああ、聖女が説得してくれた。ひとまずは早まった真似はしないだろう。……二人とも心中する覚悟を決めてるみたいだが、今はそれでも良い」
僕とルピィさんが芸術に傾倒している間にも、聖女たちの話し合いは一応の決着を迎えていた。
対象の二人にどういったやり取りがあったのかは、僕には知る由も無い。
それこそ僕が口を差し挟む権利など無いのだ。
「うん、確かに悪くない。このまま順当にいけば三日後に襲撃があるってことだね。なら僕らがやるべき事は――暗殺者を撃退すれば良いだけだ」
〔裁定神の予知〕の特性を鑑みれば別の要因で二人が死んでしまう可能性はあるが、僕はその事については心配していない。
勘としか言いようがないのだが、それほど二人に〔死の強制力〕のようなものを感じないのだ。
僕の懸念材料は〔先走ってどちらかが自決する事〕ぐらいだったので、二人が運命に準じて心中するつもりなら悪くはないと言える。
――既にこの件は僕らにとっても他人事では無い。
〔裁定神の予知〕通りに聖女が命を落とすような事があれば、事前にそれを知っていた僕らが罪に問われる可能性もあるのだ。
教国サイドからすれば『なぜ付き人を殺さなかった』という事になるのである。
それでも僕やルピィさんが気楽にしているのは、何とか出来ると考えているのもあるが、それ以上に――思い詰めているレットの為だ。
なにしろ、世界の重みを一人で背負っているような顔をしているのである。
僕らまで暗い顔をするわけにはいかないだろう。
「――大丈夫だよレット君、アイス君が何とかするって! 最悪、聖女たちが死んでも痛くも痒くもないしね!」
ルピィさんもレットを気に掛けてくれているようだが…………後半の本音っぽい台詞は胸に仕舞っておいてほしかった……!
明日も夜に投稿予定。
次回、十六話〔後始末〕