十二話 近付く身体と心
僕は槍神の呼吸を読み、先程までは欺瞞していた本来の速度で――槍神の眼前へと踏み込んだ。
「なっ……!?」
槍神が言葉を発する隙も与えないまま、槍神の両肩を掴んで押し倒す!
さらに流れるような動作で彼女の上に座り込む。
そう、これは――〔マウントポジション〕だ……!
急展開する状況に槍神は目を白黒させている。
だが僕はそれには構わずに、暴れないように両腕を抑えつけつつ、患部へと治癒術を行使し始めてしまう。
そして僕は治療をしながら、凍てついた槍神の心を溶かすように――ふわりとした暖かい笑顔で声を掛ける。
「もう少し待っていて下さいね。すぐに治してしまいますから」
「ち、ちかい、顔が近いぞっ! そ、その顔を私に近付けるなぁぁ……!」
僕の暖かい声に、槍神の凍りついていた心が熱を帯びてきたのだろう。
凛とした顔を真っ赤にしているではないか。
顔を近付けるなとは随分な言い草だが、少なくとも先程までとは違い意思疎通が出来ている気がする……!
うむ、これはいい調子だ。
鉄は熱いうちに打て――この好機を見逃す僕ではない!
「そうだ、まだ自己紹介もしていませんでしたね。僕は〔アイス=ガータス〕、十六歳です。……君の事も教えてくれるかな?」
さりげなく親しげな口調に切り替えつつ、心の距離を埋めにかかる。
――そして当然のように偽名である。
僕の父さん、武神〔カルド=クーデルン〕の名前は他国においても有名なので仕方がない。
もちろんレットと同じ〔ガータス〕の姓を名乗る以上、その姓を汚すような事は出来ない。
行動には細心の注意を払っているのだ……!
「ぅぅっ……ぅ」
僕の優しい性情が伝わったのだろう。
槍神は爆発しそうなくらいに顔を赤くして、弱々しい声を漏らしている。
……よし、もはや陥落寸前だ。
和解を通り越して〔親友〕になりそうな勢いじゃないか!
僕はトドメの一手を打とうとして――
「――アイス君? 女の子を押し倒したりしたら、ダメでしょ?」
ルピィさんの冷ややかな声に止められた。
発言内容は優しいが、聞いただけで凍傷を起こしそうなくらいに冷たい声音だ。
きっと、ルピィさんが気に入らない人間と仲良くしていたせいだろう……僕の勘違いじゃなければ、とても機嫌が悪そうだ。
そしてルピィさんの行動は制止の声だけでは留まらなかった。
僕の背後に回り込み、器用に両足を絡めて――僕の両手を掴んで後ろに倒れ込む!
これはまさか――つり天井固め!?
なるほど、押し倒すようなやつは押し上げてやろうというわけか!
これは一本取られた――ついでに、骨の一、二本も取られそうだ!!
「ル、ルピィさん……腕が外れそうなので、許してもらえませんか……?」
僕は痛みを堪えながらルピィさんに許しを乞う。
正直なところ、僕は謝罪するような悪い事などしていないのだが、このままでは身体に支障が出てしまうのは明らかだ。
僕の背中は反り返り、腕も外れそうなのだ。
……まさに背に腹は代えられないというやつだろう。
「大丈夫大丈夫! アイス君は腕が使えないぐらいで丁度いいって!」
えぇぇっ……この人は何を言っているんだ。
腕が使えないのが丁度いいとは、常時介護を受けながら生きていけというのか。
きっと今のルピィさんは、正常な判断力を欠いているのだろう。
ここは――
「――槍神さん、悪いんだけど助けてもらえないかな……?」
かつての敵に助けを求める僕。
だが槍神は顔を赤くしたまま、座り込んだ状態でズリズリと後退っていく。
ふむ、腕はちゃんと治ったようだが、ルピィさんに苦手意識が出来てしまったのだろう。……助けは期待出来なさそうである。
こうなればレットだ。親友が僕の危難を見逃す訳がない…………なっ!?
レットは上を見上げて天井のマス目を数えている!
――まさかの現実逃避をしているではないか……!
天井を見上げるのは僕だけで十分なのに……。
――――
……僕は脱臼した両肩を治療しながら現状を確認する。
これだけ騒いでいたのに、謁見室には誰もやってこない。
どうやら防音はしっかりしているらしい。
警護上の観点からすると不用心とも言えるが――謁見室には聖女と護衛、二人の神持ちがいるのだ。
普通の襲撃者であれば難なく撃退することであろう。
向こうの誤算はこちらに神持ちが二人もいた事だ……レットは良くも悪くも何もしなかったのだが。
……とりあえず、まだご機嫌斜めであるルピィさんのケアをしなくては。
「いやぁ、それにしてもアッパレな抜き打ちでしたね。気配を殺して忍び寄り、息つく暇も与えず高速の抜き打ちとは……アッパレアッパレですよ!」
「……ボクはアイス君の手の早さにビックリしてるけどね。――まっ、これぐらいボクにかかれば、ちょちょいのチョイだよ!」
さすがはルピィさんだ。
ビックリするぐらいの速度で調子に乗り出したぞ!
僕の手が早いというのは、治癒術の手際の良さの事だろう。
しかし当然の事だ――怪我人を放っておくわけにはいかないのだ……!
とにかくだ。ようやく場も落ち着いたことであるし、本題に入るべきだろう。
「レット、もうこの場で伝えた方が良いんじゃないかな? これ以上を望むのは難しいよ」
本来ならば、予知夢の対象である〔聖女〕と〔もう一人〕のみに伝えたいところだったが、この流れで槍神に退室してもらうのは困難極まる。
何故か槍神は、自らを負傷させたルピィさんではなく、僕の顔を睨みつけているのだ…………その槍神の様子は、とにかく落ち着きが無い。
乱れてもいない服をしきりに直したり、ポニーテールの毛先を忙しげにイジイジしているのだ。
そして僕を凝視しているわりには、眼が合いそうになるとサッと逸らす。
……強引に治療をしたせいか、すっかり嫌われてしまったらしい。
そんな槍神を半眼で見ているルピィさんは実に面白くなさそう――このままではルピィさんの暴発は明白!
レットも、現状は最良では無いものの妥協点だと考えたのだろう。
厳しい顔付きをしたまま、レットは重い口を開いた。
「連れがお騒がせして申し訳ありません。……今日はあなたたち二人に大事な話があって伺いました」
…………二人?
……という事は、予知夢の対象の二人がここに揃っているという事だろう。
レットの視線から察するに、〔聖女〕と〔付き人〕か。
予知夢の対象となるのは家族や恋人のような親しい間柄であるはずだ。
見たところ血縁関係は無さそうなので――姉妹に近い関係、或いは歳の離れた親友、といったところだろうか?
しかし失礼な話ではあるが少し意外だ。
高慢そうな聖女に、気の強そうな付き人、どちらも他人にやすやすと心を許しそうなタイプには見えないのだ。
二人とも僕とは到底ウマが合いそうに無いが、誰にでも特別な人間はいるという事だろう。
「いいでしょう、発言を許します」
相変わらず偉そうな聖女だ。
レットが見下されると、僕がバカにされるよりよっぽど嫌な気持ちになる……。
だからと言って、僕は聖女が死んでも良いとは思わない。
僕が好ましく思わない人間である事と、死んでも良い人間である事は、イコールでは無いのだ。
さすがに僕はそこまで傲慢な人間ではない。
……それにこれは、聖女が悪いと言うより、育った環境が悪かったのだ。
礼儀を知らないからと言って怒るのも大人げない。
「チッ」と、大人げないルピィさんが舌打ちをするが、聖女は聞こえているはずなのに視線をやろうとはしない……ルピィさんの危うさを学習したのだろう。
そしてレットも何事も無かったように話を続ける――さすがは不屈の男、レットである。
「あなたと付き人さん……二人を、俺の夢で観ました」
「は? ……え、ちょ、ちょっと待ちなさい。それはまさか……」
最初はレットの言葉の意味が分からなかったようだが、レットが〔裁定神持ち〕である事を思い出したのだろう。
聖女は尊大な態度を捨て、年相応の顔を覗かせて動揺している。
「はい――〔裁定神の予知夢〕です。これから四日後、何者かにお二人が殺害される夢でした」
レットの予言を聞いて顔面蒼白となる聖女たち。
神持ちに詳しい〔教国育ち〕だからこそ、レットの言葉が余計に重みを持って聞こえるのだろう。
――混乱冷めやらぬままに、聖女がこちらを指差して喚き立てる。
「こ、この者たちが犯人に決まってますわ!」
すごい名推理だ――奇しくも僕と同じ意見ではないか……!
しかし何故、聖女の指は〔僕〕を指しているのか。
……そこは僕じゃなくてルピィさんだろう。
ルピィさんを刺激するのが怖いからって、僕を槍玉に上げるとは!
こっそりと僕が横に動くと――半ば無意識のように聖女の指先も追尾してくる。
さらに僕がこそこそと横に動くと、執拗に指先も追いかけてくる。
……おのれ、見ているがいい。
少しづつ少しづつ移動を繰り返した僕は、ついに目的地へと辿り着いた。
何処あろうここは、レットの後ろである。
そう、今や聖女の指先は――レットを指しているのだ……!
僕が自分の仕事に満足して頷いていると、ルピィさんがニヤつきながら僕を見ているのに気が付いた。……元凶にも関わらず完全に他人事のようではないか。
明日も夜に投稿予定。
次回、十三話〔戦力外通告〕