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09,囚われの姫と白馬の王子


 ヴズリフ火山、山頂。


 溶岩の海に浮かぶ陸地、その中心に佇む巨大な影。


 全身を隙間無く黒鋼くろがねの鱗に覆われた巨体は、まさしく竜種ドラゴン

 二つの眼窩がんかうごめく無数の眼球が見下ろすのは、一方的な暴虐劇。


「ヴァハハハハ!! 愉快愉快!!」


 漂白剤に浸した様な白い牙を剥き出しにして、竜は笑う。

 ――極竜魔王ストラフィンペラトル、かつてそう呼ばれ恐れられた竜の王、ファヴニル。


 その眼下で跳ね回るのは、二つの影。

 一つは朱色の団服に黒いコートを羽織った褐色肌の少女、ジュリ。

 溶岩の熱にやられ、汗だく、余りの熱気に息をするのも辛そうだ。


 そんな彼女と対峙しているのは――異形。

 体躯はジュリの軽く倍。まるで、紅蓮の宝石が人型に寄せ集まった様な、紅い岩の巨人。


 真紅くれないのヴティア、その真の姿である。

 ヴティアは魔術を行使したりはしない。ただただシンプルに、その肉体を肥大化させ、表皮を紅い岩の様に硬化させる事ができるのだ。

 そしてその岩の肌は、銃弾程度では傷ひとつ付かない。


「くッ……そ!!」


 暑さなどとうの昔に通り過ぎ、熱い。

 それに、もう流石にもう予備の銃も尽きた。

 片手に封印された聖剣を構え、もう片方の手に最後の拳銃を握りしめ、ジュリはコートを脱ぎ捨てる。


「ヴァハハ、随分と苦しそうだな。聖剣の加護があればこの程度の熱さでへばるはずもないが……加護が薄いと見える。ああ、そうか、ブルムハートの封印のせいか。ヴァハハハハ! 聖剣に選ばれただけで、所詮は凡庸か!!」

「だま、れ!!」


 ジュリはファヴニルに向けて発砲。鱗を避けてその無数の眼球を狙うが、瞼の鱗で簡単に防がれる。


「おお、恐い恐い。ヴァハハハ!」

「ッ……!!」

「おい、君の相手はこちらだぞ」

「!」


 ヴティアが、紅い岩の拳でジュリに殴りかかる。

 ジュリはそれを咄嗟に回避。


 紅岩の拳が大きなクレーターを刻み、土くれを弾き飛ばす。


 ……これでも、加減されている。

 ジュリは察している。ヴティアが本気で殺しにくれば、自分では一撃目すらかわせない。


 何故、ヴティアはわざとジュリに避けられる攻撃をしているのか。

 理由は単純。


「良いぞ、ヴティアよ。もっと踊らせろ、もっと無様を晒させろ。その小娘をもっと苦しめろ」

御意ぎょいに」


 それが、ファヴニルの指示。


 かつて己を討ち払った忌々しい双剣の片割れ、聖剣ザイフリート。

 その聖剣と、聖剣が選んだ者を、嬲る、嬲る、嬲る。


 それがたまらなく愉快であるらしい。


 趣味が悪い、とジュリは唾を吐き捨てる。地に落ちた唾がジュッと音を立てて蒸発した。


 この火山口は本来、常人であれば三分と耐えられない程の高温に包まれている。

 そんな場所で、もうかれこれ一〇分近く、ジュリはヴティアと戦闘……いや、ヴティアからの一方的な攻撃を受け、回避し続けているのだ。

 ジュリが未だに立てているのは、ジュリ当人の鍛え方が尋常ではないのと、誰に知られる事もなくジークフリートが頑張って自力で封印の一部を解除し、その加護(相性的な問題で女性に対してはかなり効果薄め)をどうにかジュリに適用しているおかげだ。


 それでも、やはり限界は近い。

 ジュリは疲労と熱中症により、激しい目眩めまいに襲われていた。


「……すまない、聖剣使い。苦しいだろう。だがもう少し我慢してくれ。王がそれを所望している」

「……っとに、趣味が悪いわ……!」


 ヴティアは、本当に申し訳が無さそうだ。

 この男も、ナウディアーと同じだ。邪悪ではない、自身の中に善悪の指標を持っていない。持つ気も無い。

 ただ、王を正しいと思い、その命令を迷わず実行しているだけ。


 だから、ジュリの現状を本気で哀れんでいる。本当に可哀想だと思っている。

 でも、王の命令だから仕方無いと割り切っている。


「……悪役はわかりやすく悪役然としろってのよ……!!」


 拳銃の残弾は残り二発。正真正銘ラストの二発。

 もう、暗中模索でとりあえずぶっ放すなんて使い方はできない。


 拳銃は腰のホルダーに収めて、聖剣の柄を両手で握る。

 訪れるかどうかも定かではない千載一遇のチャンスまで、残る銃弾は温存する。

 決して、諦めはしない。


「ふんッ!」


 ヴティアがまた、殴りかかってきた。

 ジュリが躱せる様に加減して。


 ファヴニルの望み通りに踊り続けるのはしゃくだが、だからと言って死んでやるつもりは毛頭無い。

 躱し続けて、チャンスを模索――


「――ぁ」


 限界だ。一瞬、意識が飛んだ。

 膝から、崩れる。その膝が地につく前にどうにか持ち直し、体を起こしたが、駄目だ、もう、躱せない。


「なッ……!」


 ジュリの異変に気付き、ヴティアは急いで拳を減勢。王はまだ殺せと言っていない、殺す訳にはいかない。

 だが、拳を完全には止められなかった。

 ジュリは咄嗟に聖剣の刃を盾にしたが、その弱りきった足腰で踏ん張れるはずもなく。


 紅い拳に薙ぎ払われ、ジュリの小さな体は派手に宙を舞った。


 その落下点は――溶岩の海。


「ッ、クソ、が……!!」


 死ねるか、死んでたまるか。例えもう、早いか遅いかの問題だとしても。

 それでも、諦めてなどやるものか。


 ジタバタと、もがく。醜悪でも、死を受け入れない。


 ……しかし、人に翼は無い。

 もう、どうしようもない。


「アタシはまだ、死ねない……!!」


 背後に、熱が迫る。溶岩が、近い。


「……ローランド……!!」


 最期に口をついて出た名前は、つい数時間前まで共にいた男の名。

 そして、思い出の――


「ジュリ!!」


 声がした。


「……え……?」


 聞き間違えるはずも無い、その声は、


「ロー……!?」


 ロー……ローランド・モンテスギュル。

 一体どこから調達してきたのか、雄々しい銀のたてがみを風になびかせる美しい白馬に跨った、いかにも貴族らしい眉目秀麗の優男。


 ジュリと視線を交わし、ローは笑った。

 間に合ったと安堵する様に。


 そして、彼はその手を差し出した。


「手を!!」

「ッ……!!」


 精一杯に腕を伸ばして、指の先までピンと張って、ジュリは差し出された手を目指す。


 そして、掴んだ。しっかりと。

 指と指を絡ませて、堅く、握り合う。


「よし!!」


 力強く、ローはジュリを引っ張りよせ、白馬の上で抱き寄せた。


「ごめん! 大丈夫……な訳ないよね! 超汗だくだし顔色ヤバいしどう考えても超ギリギリだったし今の!! 本当にごめん!!」

「……なん、で、あんたが……」

「ん? いや、それは決まっているよ」


 ローは叫ぶ、宣言する。

 堅く堅く、手を握り合って、指を絡ませあって、絶対に離すものかと互いに噛み締め合いながら。


「君を、迎えに来たッ!!」




 ――きっとあなたは、思い出した訳ではない。


 一〇年以上も前、あなたとわたしは、既に出会っていた事を。

 隣国からの来賓として、あなたはこの国を訪れた。

 そして御城のパーティで、わたしに出会ったあなたは、わたしの暗い表情を見過ごさなかった。


 当時、わたしはとても厳格な家の子だった。

 しかもアタシと違ってわたしは、グズで、間抜けで、愚鈍だった。

 自由なんてなくて、何もかも押さえつけられて、罵倒や折檻は日常で。

 閉塞感の中で窒息しかけていた。


 そんなわたしに、あなたは言ってくれた。

 今すぐは無理だけれど、大人になったら迎えに来てあげる、と。

 わたしを連れて、一緒に逃げ出してくれると。

 逃げ出したら、森の中で、誰にも見つからない様に、狩りでもしながら静かに暮らしていこうと。


 厳格な教育を受けて歳不相応に賢かったわたしは、わかっていた。ただの子供の戯言だって。

 ぬくぬくと育つ甘ったれた世間知らずが、ただ「辛そうにしている女の子を見たら寄り添い慰めろ」と言う貴族男子の常套教育に則って行動し、その場の思い付きで言葉を並べ立てているだけだって。


 だって、あなたは余りにも簡単に言ったから。

 きっと、わたしじゃなくても、わたしと同じ様な子をみれば、同じ事を言うのだろうと想像できた。それが、あなたの当たり前なのだろうと、すぐにわかった。


 人は、無責任な発言は記憶にとどめておけない。無意味な記憶をいつまでも保持できない。

 あなたはきっと、大人になったら綺麗さっぱりと忘れている。仮におぼろげに覚えていたとしても、約束の相手がわたしである事までは覚えていられないはず。


 ……それでも、良い。

 嬉しかった。とても。思わず、泣いてしまうくらい。


 あなたは、貴族として、人に施すべき優しさを見せただけ。


 そう。わたしの事を人として扱ってくれたのは、あなたが初めてだった。


 わたしを救われるべき女の子だと見てくれたのは、あなただけだった。


 わたしは、その日から変われたんだ。

 わたしは、無価値じゃないと。わたしにも、人として誰かに認められる価値はあると、信じられる様になった。


 腐って、自分を卑下して、理不尽を前に仕方無いと諦めるのは、もうやめた。

 欲しいものを、人として望んで良いものを、諦めたりはしない。


 ……それから程なくして、わたしは「手に負えない」と今の家に養子に出される事になるが、構いはしなかった。

 むしろ、わたしのやりたい事にいちいち口うるさい元の家は、邪魔だった。


 今の両親は、とても良い人だ。

 わたしを決めつけない、わたしの可能性を否定しない。何より、わたしを人として愛してくれる。

 血の繋がりなどと言う形式的なものより人の親として重要なものを父と母は持ち、そして、それを何の躊躇も無くわたしに向けてくれた。


 だからわたしはアタシになれた。

 そのきっかけとも言えるあんたには感謝してるわ。本当に、心の底から。

 例え、あんたに取っては、条件反射に近い戯言だったとしても、おかげでアタシはこうして、自分を信じて生きていけてる。


 感謝の敬愛は、一方的な想いを募らせる日々の中で別の熱を帯びた。


 あんたのいる国に行く機会がある度、あんたの情報を集めた。

 王太子主催のイケメングランプリではもちろんあんたに投票したし、あんたの宣伝ポスターは無理言って譲ってもらい、実用のために一〇枚、保存のために更に一〇枚ほど複製した。

 ……我ながら、ちょっとアレよね。うん。でも、なんでだろ、やってる時は幸福感しかなくて、その後もしばらくは達成感と充足感しかなかった。


 あんたを候補に含む政略結婚の話が出た時は、不謹慎とは思いつつも、ぶっちゃけ「魔王、よくやった」とか思ってしまったりもした。

 でも、すぐに冷静になった。あんたは当然、アタシの事なんて覚えているはずがない。

 だって、あんたに取ってアタシは、なんとなくその場の勢いと浅はかな思考で、息をする様に手を差し伸べただけの少女でしかないだろうから。


 それに……政略結婚なんてのも、

 もしも、もしもあんたと結ばれるのなら、そんな念願が叶うのなら、アタシは、あの約束を果たして欲しい。


 そう思った時、気付いてしまった。


 アタシは何を奥手になっているんだと。

 アタシにだって何かを望む権利は確かにあり、そして欲しいものはどうやってでも手に入れる。

 そう決めたじゃあないかと。


 なら……そうだ、アタシが仕向ければ良いんじゃん。


 あんたが、あの約束を覚えていなくとも、今のアタシに惚れて白馬に乗って迎えに来てくれる。


 そんな風に、仕向ければ良い。


 じゃあ、やろう。


 そのためにはまず、魔王が邪魔だ。殺そう。

 もちろん、殺す者の責務として、その死は最大限に利用する。殺す過程も、まんべんなく。

 あんたと二人で、旅をするの。魔王を殺すと言う大義名分を掲げて。距離としては大したものではないけれど、きっと濃密な体験になる……してみせる。そして二人で大業を成し遂げて、アタシの背中に惚れさせてやる。


 聖剣も見つかったし、どうにかなるでしょ。

 ……まぁ、でも、あれは流石に驚いたわ。部屋で聖剣を取り出したら、いきなり壁に飾ってたあんたの写真に突き刺さるんだもの。


 そして、それすらも利用してやる事にしたわ。


 だからアタシは、絶対に魔王を殺してみせる。何がどうあっても、殺してみせる。


 あんたが白馬に乗って、アタシを迎えに来てくれる。アタシを連れて、どこか遠くへ逃げ出してくれる。二人だけの世界へ、抱きしめ合って辿り着く。

 そんな願望を、叶えるために。




「迎えに……来た……?」

「ああ!」


 ――きっとあんたは、思い出した訳じゃない。


「ジュリ! 僕と一緒に……逃げてくれますか!?」


 これはきっと、きっと、ただの偶然でしかない。


 でも、それでも――


「……ええ……喜んで!」


 思わず泣いてしまう程に、最高の口説き文句(エスコートワード)だった。



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