01,政略結婚と暗殺旅行
子供は、簡単に約束を交わす。
実現性を加味もせず、簡単に、本当に簡単に、思い付きで約束を交わす。
「じゃあ、僕が迎えに来てあげる! 御伽噺の王子様みたいに、白い馬に乗って!」
本当に簡単に、約束してしまう。
覚えていられもしない癖に、無責任に。
「そして二人で逃げ出すんだ! 森の中に逃げ込んで、そこで二人で狩りをして、それから……えーと、あの絵本だと、他に何してたかな?」
空想と現実の境も曖昧な分際で、世界の全てを知った気で、
「……わかった、待ってるね」
「うん! 約束だね!」
羽毛の様に軽い気持ちで、その指を交わらせる。
「約束破ったら、銃で撃つね」
「ッ……!? う、うん……!」
吐いた言葉も、交わした指の感触も、すぐに忘れる癖に。
……わかってる。
どうせ、あなたは覚えちゃいない。
幼い日、ただただ子供らしく、深い意思も思考もなく、交わした約束。
あの日のあれは、ただただそれだけの事。
まだ足もおぼつかない幼児が将来の伴侶に父や母を選ぶと宣言する様に、「こう言えば喜んでくれる」とわかっているから、そう言うだけ。そんな戯言めいた約束。
わかってる。
だとしても、それは救いだった。
わたしだって望んでも良いのだと、気付く事ができたから。
「……ありがとう、小さな王子様」
――例え、あなたが忘れてしまったとしても。
あなたが教えてくれた価値を、わたしは忘れない。
◆
――貴族の子息様は良いモンだ。
パレードの喧騒の中で、そんな言葉を聞いた事がある。
衣食住に不自由しない事と引き換えにその他の全てが不自由である貴族の子息をつかまえて、「良いモンだ」ときた。
まぁ、隣の芝は青く見えるものだと言う。
現に、僕は庶民様の自由が羨ましい。
何せ彼らは、「抱き寄せる相手を選べる」と言う、僕が最も欲する自由を持っている。
彼らはそれを、大した事の無いありふれたものだと思っているのだろう。きっと貴族の子息でも当然に持っている自由だとでも勘違いしているのだろう。
それが無性に腹立たしく、そしてどうしようもなく羨ましい。
「まだ不貞腐れているのか、ロー」
「……もう二度と話しかけないで欲しい、とお願いしたはずですが。モンテスギュル卿」
僕の隣で馬車に揺られるむさくるしい巨漢がいきなり話しかけてきた。
その大柄で筋肉質な体と、剛毛質で立派な髭面、威厳を鋭さに集約した眼光。まるで獰猛な熊だ。御上品な服など脱ぎ捨てて山に帰ってしまえば良いのに。
「ロー、ああ、ローランド。いい加減、以前の様に父とは呼んでくれんか」
「今すぐこの鎖を解き、馬車は引き返してくれるのならば、考えましょう。まぁ、失った信頼と言うものはそう簡単に戻るものではないので、期待は程々に」
父? はッ、なんと御機嫌な冗談だろう。
多少の筋肉質は遺伝したが、僕は貴方ほど獣めいてはいない。外面から血の繋がりなど見えはしない。
そして僕はつい先程、貴方に対するありとあらゆる敬意を失った。内面においても貴方との繋がりは掻き消えた。
どうして僕が貴方を父と呼ぶ道理があるのでしょう。森に消えろ。
「なぁ、お前は今まで私の言う事を何でも守ってくれた良い子じゃないか。何故よりにもよって、今回ばかりはそんなに強情なんだ」
「それを尋ねる貴方に、説明した所で無駄でしょう」
隣国の貴族令嬢との政略結婚? 絶対に嫌なんですが。僕はいつか自分で見定めた御姫様を白馬に乗って迎えに行く。
いや、まぁ……今の所は特にあてもありませんけど、そこだけは譲れません。譲ってはいけない気がするんです。
そうひたすらに抵抗し、ついに今日、実の父だと敬愛していた人物に一服もられて目を覚ましてみれば鎖でぐるぐる巻きにされて隣の国へと向かう馬車の中。
この状況で腐る僕の心情が理解できない? それこそ理解できない。
僕達はお互いにお互いが理解できないときた。つまり平行線だ。平行線はご存知で? 未来永劫絶対に交わる事の無い線です。つまり交わる努力は無意味。
……まぁ、僕だって、この縁談の重要性はよく理解している。
今、隣国は大変な危機に見舞われていると聞いた。
まるで御伽噺の様で信じ難い話だが、魔物の王様による侵略を受けているらしいのだ。
隣国は戦争絶対反対主義の商業国家。自国内に戦力らしい戦力はほとんど無く、防衛力の九割方は同盟国任せ。
はい、で、僕はその同盟国の貴族子息です。
この政略結婚を口実とし、僕の安全確保を謳う事で、隣国へ更なる支援を送る事を国民に納得させる。
ああ、とても重大な事だ。うん、これ以上に世のため人のためとなる政略結婚も珍しいだろう。
――で……なんで僕?
こう言うのって普通さ、もっと上の貴族とか王子ーズから選出するものでは? そっちの方が絶対に国民の支持も得られて合理的ですよね?
相手方の令嬢様が僕を気に入った? は? その御嬢様は話に聞く切迫した状況下で何を選り好みしていらっしゃるので?
納得いく? 無理では?
「……そんなに、この政略結婚が納得いかんのか?」
「ほぉ、わかった上でこの扱いでしたか。それはそれは」
極まったな、ミルドランド・モンテスギュル。このローランド、貴様の面と名を生涯忘れる事はないぞ。無論、怨敵として。
「確かに、何故に相手方がお前に拘るのか、お前よりも適任はいるんじゃないだろうか、それは私も思う。しかし仕方無かろう。隣国の経済的支援がなければ我が国だけでなく多くの国が困窮する事になる。かの国は世界経済の心臓なのだ。また自国を豊かにするための戦争が戦争を呼び世界大戦が日常となる時勢に戻す訳にもいくまい」
「故に、向こうの意見を尊重し、速やかな手続きのため、僕はこのザマであると」
「あー……もう、こら、そんなにプンスカしていてはせっかくの御尊顔が台無しだぞ☆」
「人の頬を気軽につつくな下郎!!」
「ごふぁ!? お、おまッ、父の腹に蹴りっておまッ……!! あと父に下郎て……!!」
「? 何か間違った事でも?」
まったく、手が自由だったらば首を絞めている所だ。命拾いしたなモンテスギュル卿。
「いやもうほんと……私もこんな事はしたくはなかった、それだけは信じてくれ」
「言動と行動が伴っていないぞ、このサイコ野郎」
「息子の言動がすごくやさぐれてる!!」
……ふん。まぁ、僕だって、弁えてはいるさ。
所詮、これが貴族の息子、その末路だ。
衣食住に不自由しないだけで、その他あらゆる自由が存在しない。わかっていたとも。理解していたとも。
ただ、理解できるからといって、納得する義理は無い。
僕は一生、この事を道理の通った話だとは思わない。理不尽でしかないと腐り続ける。
それがせめて、貴族の息子にできる運命への抵抗だ。
◆
「ローランド・モンテスギュル。聖剣はあんたを指し示したわ」
………………何が、どうなっているのだろう。
馬車に揺られる事、二日。
ついに辿り着いた隣国との国境には既に仰々しい部隊が展開していて、その陣営の中心に構えられたテントに連れ込まれたと思えば……
僕は今、ある人物とテント内で一対一で対峙している。
どこかで見た様な気がしないでもないのだが……よく思い出せないと言うか……
「……? 何をきょとんと……ああ、ごめん。今のは第一声として不適切だったわ。改めて名乗りましょう、アタシの名はジュミリエイル・キャピレーン。形式上、これからあんたの婚約者になる者よ」
「……は?」
ジュミリエイル・キャピレーン……?
それは確か、僕と結婚する予定だった隣国の貴族令嬢の名だぞ……?
顔……ああ、確かに言われてみれば、写真で見た顔だ。ミルクを混ぜたチョコめいた褐色肌、透き通った金の瞳、漆を塗った様な黒い髪……間違い無い。
しかし、その装いは……貴族令嬢のイメージとは、余りに乖離していた。
朱色を基調とし、金色の線がいくつも入った正装……確か、隣国唯一の戦力、王室直属の騎士団の団服だ。その上からこれまた騎士団に支給される黒いコートを羽織っている。
団服の左胸には二列目に突入した勲章群。ベルトに差し込まれた剣の柄装飾の宝石は度重なる実戦をくぐり抜けた証とくすんでいる。剣とは反対側に差し込まれているのは……最新式の拳銃か。ハンディサイズだのにライフル銃に見劣りしない威力があるんだとか。
で、その美しい黒髪の結い方も、雑だ。
写真では丸めた髪を小さな三つ編みで束ねると言う「これセットに何時間かけたのだろう」と言う感想がまず出てくる様な髪型だったのに、今は後方で一房、馬の尾の様に束ねているだけ。
ついでに言うと、目つきも写真の三割くらい、キツい。
……これではまるで、歴戦の女騎士ではないか。
年齢は僕より二つ下の一六歳だと聞いていたが、風格がティーンエイジャーのそれじゃない。
僕より歳下である事が伺える要素は、僕より頭ひとつ分ほど身長が低い事だけだ。
「何で名乗ったのに未だにきょとんとしてんのよ?」
「……いや、事前情報と、かなり違うなぁ、と」
「ああ、まぁそりゃあ。あれはキメッキメに盛って作ったからね。今もアタシが昔通り温室育ちの御嬢様だと思った? 残念、権力を利用して騎士団に入団してたやんちゃしてるバリッバリのアクティブ派よ。悪い?」
「……それはまた、どうしてそんな……」
「アタシ、狩りの趣味に目覚めたの。そして狩りで獲物を仕留める度に思っていたわ……人を撃ってみたい、って。騎士団なら防衛任務でほら、たまに撃てるじゃん?」
危ない奴だ。危ない奴が今、僕の目の前で銃を所持している。
誰か鎖を解いてくれ。逃げるなと言うならば逃げない。戦うから。僕はこう見えてあの下郎譲りの戦闘能力はあるし、日々の教育事で剣術も修めている。きっとやって勝てない事は無い。
と言うか、せめて身を守らせてくれ。
「何暴れてんの? 撃つわよ。撃っていいの? マジで?」
おお、なんて自然な動きで銃を抜く御嬢様だろう。相当慣れていらっしゃるぞ。
ちょっぴり笑顔になっているのは気のせいか、何故このタイミングで頬が赤らんでいるんだ。ああ成程、「銃口を人に向ける」と言う禁忌的かつ刺激的行為に興奮している様だ。
ガチだ、この御嬢様はガチな奴だ。
「神に誓って暴れてなどいません。はい。お尻が痒かっただけです。そしてもう治まりました」
「あらそ。残念。また痒みが出たら言いなさい。足か鉛弾で良ければすぐに貸してあげるわ」
鎖を解いて自力で掻かせてくれると言う選択肢は無いので?
と言うか、拳銃をホルダーに戻す動作も慣れたものですね。
よしわかった。もう下手な抵抗は試みない。主よ、この身を捧げます。
「何を黙祷してんのよ?」
「来世は鎖や銃とは無縁な人生を歩みたいな、と」
「若いのに気が早いのね。まぁイイわ。人の願いを馬鹿にするとバチが当たる。ちゃっちゃと本題に入りましょう」
本題……と言うと……
「単刀直入に言うわ。あんたには、アタシと一緒にクソッタレな【魔王】と戦ってもらう」
「………………は、はい……?」
「あんたと政略……政略結婚……? 冗談じゃあないわ。政略結婚なんて許さない。魔王軍さえ退ければアタシ達が政略結婚なんてする必要は無い。だから付き合いなさい。魔王退治」
「お、おっしゃっている意味が……」
「? じゃあ端的に。あんたはアタシと婚前旅行と称して秘密裏に魔王暗殺の旅に出るのよ」
………………………………。
「はぁいぃぃ……?」




