無礼な男と手合わせ
木刀を構える二人。
宗次郎と土方だ。それを見守る様に、門下生達がぐるりと距離を置き二人を囲んだ。
ガヤガヤと声が聞こえる。
しかし、勝太が手を上げた瞬間、一気に静まり、次に「始めっ!」と、勝太の声だけが道場に響き渡った。
木刀が交わる音が響く。
土方の振るう木刀を何とか受け流す宗次郎。しかし、自分は受け流す事しか出来ない。反撃なんて、できる状態では無かった。
————強い。
兄弟子なんて、比でもない。
大人だから?
宗次郎は、そう思いながら土方を見れば、口元が上昇している彼に気がついた。
————剣術、楽しいか?宗次郎。
まるで、楽しんでいる様な彼に、周助の言葉を思い出した。
『やるなら全力でやる。それが、【男】ってもんだろ?』
そして、土方の言葉も。
多分、この人に、僕は勝てない。
————だけど、 負けたくない。
勝ちたい。大好きな剣術で。周助先生がくれた、この木刀で!
宗次郎は、踏み込む。
木刀が身体に当たってもいい。ただ、気持ちだけは負けたく無かった。
自分だって、
目の前の男の様に、剣術が好きなんだっ!!
宗次郎の振るった木刀に、確かに手ごたえを感じた。
皆が、目を見張る。
宗次郎の木刀は、土方の胴に入った。
しかし、同じく、土方の木刀も、宗次郎の胴に入っていたのだ。
宗次郎は、それに目を丸くする。
まさか、自分が振るった木刀が土方の脇腹に入るとは、思わなかったのだ。
道場の中は、しぃん。と、静まり返っていた。
そして、
「そこまでっ!!」
勝太の声が 、道場の中に響いた。
土方は、苦笑いを浮かべ、停止したままの宗次郎の木刀から離れる。
「引き分け。だな。」
そう言って、頭に大きな手が乗った。
「————引き、分け?」
「あぁ。引き分けだ。————お前、強えな。」
そう言って笑う土方。
どうして?勝負は、ちゃんと、ついていないのに、笑っていられるの?悔しくないの?
宗次郎の木刀は、ようやく、床に垂直となる。
「………悔しく、ないんですか?」
気づけば、思っている事を自然に、口にしていた。
「あぁ?そりゃ、悔しいさ。
————けどな。腕が立つ奴を見つけれて、逆に嬉しいな。俺はよ。」
————嬉しい?引き分けなのに?
宗次郎には、分からなかった。土方の言う、嬉しいと言う感情の意味を。勝つ事が全ての剣術の世界。
真剣で戦えば、負けは、死を意味する。宗次郎は、父にそう、教えられた。
だからこそ、引き分けなのに、笑って嬉しいと言った土方を理解できなかったのだ。
宗次郎は、一人、木刀を持たない自分の手を見つめる。
どう、自分が立ち回るべきか、あの時、頭の中で見えた。その通りに動いたら、胴を取ることが出来たんだ。そんな事、今まで一度も、見えた事がなかった。
ーーーーー木刀の所為?
そうして、反対の手にある木刀を見る。
「……まさかね。」
そんな事、あるはずない。でも、自分の見えたモノがなんなのか、宗次郎には、わからなかった。
勝太は、宗次郎の姿を見て、周助の言葉を思い出していた。
————あいつは、化け物だ。
兄弟子達に負けたのは、数日前の事だ。その数日で、宗次郎の成長は、目を疑う程であった。
「………蝶。か。」
舞っているかの様な身の動き、そして、力強い一振り。それは、剣術初心者には、到底見えない動きであった。
「やっぱり、あいつは化け物だ。いいねぇ。あの目。」
まだ、自分の才能に気づいていない宗次郎を見て、道場の片隅で、試合を見ていた周助が声を漏らす。
「どうやら、勝太も、ヤツの才能に気づいたみてぇだな。遅すぎるんだよ。」
そして、宗次郎も自分の動きが今までと違うのがわかったのだろう。
「生きてるうちに、見てぇな。————飛んでる蝶をよ。」
その試合の日から、宗次郎は、益々、剣術にのめり込む様になって行った。
兄弟子達の嫌がらせなんて、ハッキリ言ってどうでも良く、ごはんを落とされ様が、暴力を振るわれようが、少しでも開いた時間を見つければ、木刀を振った。
兄弟子に負けた時と違う感情。負けて悔しい。そうじゃない。ただ、あの男に勝ちたかった。
————お前、強いな。
そう言って笑った、無礼な男。なぜ笑っているのか、わからない。何がそんなに楽しいのかも、わからない。
宗次郎は、内心焦って居た。その焦りは、なんなのか、それすらわからないままに、木刀を振るい続けた。
血豆が潰れようと、そんな事すらどうでもいい。無理矢理手を動かし、木刀を振るった。だが、手は悲鳴を上げ、宗次郎の手から木刀は、溢れ落ちる。
持ち手が赤に染まったソレは、地に音を立てて転がった。
ハァハァッ!!
息切れを起こしながらも、尚も木刀を手にしようとする宗次郎。しかし、木刀を拾おうとする人物に、宗次郎の動きは、停止した————。
木刀を手にしたのは、勝太であった。
「ほら。手を見せなさい。」
差し出された手を見て、宗次郎は、自分の手を背に隠した。
「宗次郎?」
優しく、自分の名を呼んだ勝太に、おずおずと手を差し出す宗次郎。彼の手を見て、勝太は、眉間にシワを寄せ、
「酷いな。」
そう言った後、
「ちょっと待ってなさい。」
と、その場を離れていった勝太。
酷い。そう言われた手を見れば、そこは、赤く染まり、至る所の皮が破れているのが一目でわかるほどだ。 己の手を見ていれば、勝太が戻って来た。
「ほら。宗次郎。井戸へ行くよ。」
言われるがままに、勝太と井戸へと行って、手を洗った。
「————っ!!」
あまりの痛さに、悲鳴をあげそうになる。それ程までに、宗次郎の手は、酷い状態であった。
水からあげた手を、勝太は、丁寧に拭いていく。
「剣術をするな。とは、言わない。もっと、自分を大切にしなさい。 」
そういいながら、勝太は、宗次郎の手に晒しを巻いて行った。白く覆われたのは、両手だ。
これじゃあ、剣術をするな。と言っている様なものだ。しかし、自分の傷の心配をしてくれた事には、変わりない。
「……ありがとう、ございます。」
そう言えば、勝太は、ニカッと笑った。
そんな勝太の笑顔から、宗次郎は視線をそらす。別に、やましい事をした訳では無いが、その笑顔は、苦手であった。
此処を、どうやって切りぬけようか?
宗次郎がそう考えた時だった。
「勝太?勝太ぁ~!」
目の前の人物を呼ぶ声がした。呼んでいるのは、勝太の義理の母、フデであった。
宗次郎が、勝太を盗み見れば、気まずそうな顔をして、頭をポリポリと掻いた。
そして、返事をしながら、彼はその場を立ち去ってしまった。
宗次郎は、自分の両手を見て、溜め息を吐いた。
両手は、勝太の巻いた晒しにより、使用不可能。それを外さなければ、剣術なんてできる状態では無い。
晒しに手をかけた時、
「なあ?」
不意に声が聞この肩は、跳ね上がった。
勝太が去ってから、誰の気配も感じなかったのにも関わらず、突然声がしたのだ。誰だって、驚くだろう。
しかし、登場した人物は、そんな宗次郎に構う事なく。言葉を続けた。
「なんで、お前、勝っちゃんを避けるんだ?」
現れた人物、それは、土方であった。
驚きながら、視界に入れた土方に、なんと言おうか悩みながら、口を開く。
「・・・別に。避けてなんか…」
無難な言葉しか、出てこなかった。
「そうかぁ?俺には、避けてる様にしか見えねぇけどな。」
全てを見透かした様な物言いに、宗次郎は、あからさまに、彼から視線を外したのだった。
「・・・そんな事、無いですよ。」
多分、きっと。と、呟く宗次郎に、土方は、歩み寄る。土方の身長は、宗次郎より高い。その為、目の前に立った彼を見上げる事になるのは、致し方ない事だが、見下されて居る感覚に付け加え、人を小馬鹿にして居る様な笑いをする土方に、宗次郎の視線は、鋭さを帯びた。
「なぁ、お前、勝っちゃんの事、なんて呼んでるんだ?」
こんな、ふざけた問いが宗次郎に掛けられた。
「・・・。」
そう言えば、先生は、周助の事だし、特に、呼んだ事がないのを思い出し、ただ、土方を見上げ固まった宗次郎。 名前を呼んだ事ないと言えば、避けてるからだ。と言われそうだ。
ここは、何と答えたら、正解なのか?
考えた末に、宗次郎は、口を開く。
「————若先生です。」
その答えに、土方は、不気味な笑みを見せる。
「な、なんですか!?」
「いーや。そんな風に、呼んでるの、見た事ねぇなってよ。」
そう言って、笑う彼。
————やっぱりこの人、嫌いだ。僕。