タコビト(ショートショート12)
最近、よく海の夢を見るようになった。
そして夢からさめると、私は遠い昔のことを思い出す。
あのタコビトのことを……。
タコビト。
このタコビトを漢字で記せば、おそらく蛸人と書くのであろう。
現在、千人に一人がこのタコビトだそうだ。人口十万人の都市であれば、およそ百人のタコビトが暮らしていることになる。
このことを知っている者は、まずいない。
なぜなら、彼らは人間と見分けがつかない。
さらに人間社会になじみ、人間同様の生活を送っているからだ。
陸に上がって、すでに数十万年がたつらしい。それほど太古から、彼らは人間と暮らしていたそうだ。
推測の言いまわしが多いが……それはこの話が、そのタコビトから聞いたことによる。
では、お話ししよう。
一人のタコビトと出会った、忘れもしないあの日のことを……。
そのころ。
漁師町に生まれた私にとって、海はかっこうの遊び場所だった。そしてその日も、私はひとり浜辺で遊んでいた。
そんなとき、タコビトに声をかけられたのだ。
人間と見分けがつかないのに、どうしてタコビトだとわかったのか……それは語るにつれ、おわかりになっていただけるだろう。
「ボウズ、何年生だ?」
彼はふいに声をかけてきた。
彼といっても、当時の私からすればかなりの老人である。
「三年生だよ」
「そうか……」
老人は海に向かい、砂浜の上に腰をおろした。
「なあ、ボウズ。オマエ、タコビトというのを知っておるか?」
「タコのこと?」
「そうか、タコとはなあ」
老人は口元をほころばせた。
「じゃあ、なんなの?」
「海で生まれた者でな。人間が千人いるとしたら、そのうちの一人はタコビトだと思っていい」
「漁師のこと?」
「いや、人間じゃない。人間に見えるが、まったく別の種族だ」
人間に見えるが別の種族。そんなことを言われても子供にわかるはずがない。
首をかしげる私に、老人はさらに話し続けた。
「タコビトとはな、人類が陸上で進化したように海の中で進化したものだ」
「タコが進化したの?」
「そうではなく、タコの祖先から分れたものだ。それが何十万年もかけ、タコビトに進化したんだ。そして人間と同じになった」
「同じになったって?」
「人間に化けるキツネやタヌキの話は、オマエも知っておるだろ? だけどな、ヤツらは人間と同じになるのではない。化けるのだ」
「それと、どうちがうの?」
なる、化ける……そのちがいが、幼い私に理解できるわけがない。
「ちょっとむずかしいかもしれんが、同じになるというのはな、元にはもどらないということだ」
「じゃあ、人間になってしまうってこと?」
「まあ、そういうことかな」
老人がうなずく。
「でも、人間じゃないんでしょ」
「ああ。見かけは同じだが、まったく別の種族だ。海で進化したタコビトは、あくまでタコビトだ」
「じゃあ、海の中にいるの?」
「いや、海にはいない。タコビトは、いつだって陸上で暮らしておる」
「でも、どこにいるのかわかんないよ」
わからなくて当たり前で、タコビトなんて見たことがないのだ。
「今では人間社会になじんでしまってな。自分がタコビトであることを覚えておらん。そういう者がほとんどなんだ」
「みんな、人間になってしまったんだね。それでわかんないんだ」
「それでもな、ほんの一部の者には大昔の記憶が残っておる。自分がタコビトだって、記憶がな」
「かわいそうだね、タコビト。人間になってるのに人間じゃないって」
「そう、かわいそうなことだよ」
かみしめるように言い、老人はつらそうな表情で話を続けた。
「人類にかわって地上を支配する。タコビトにも、そんな輝かしい時代があったらしい。もう何万年も前のことだそうだが……。それが今では、タコビトという記憶さえなくしておる。まあ、そのほうがいいのかもしれんがな」
私はふと思った。
目の前いる老人こそ、そのタコビトなのではないかと……。
「おじいさん、もしかしてタコビト?」
「ああ、ワシはタコビトだ。いまだに大昔の記憶が残ったな」
「でも、ちっともわかんないよ。おじいさんがタコビトだなんて」
「見かけは、たしかに人間と変わらん。問題はタコビトという記憶なのさ」
「つらいんだね、おじいさん」
「つらいか……。いや、つまらん話を聞かせちまったな」
老人は立ち上がり、ズボンについた砂を払った。
そして別れぎわ……。
私にこう言った。
「ボウズ、大昔のことを思い出すんじゃないぞ。ワシみたいにな」