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「いやそれがですよ、ただいま我が家は健全な青少年にはお勧めできない環境になってましてですね」
『男でも連れ込んでんのかよ』
「まあ、ねえ」
言葉を濁す。
押入れの奥の薬箱の中を探ると、目当てのものが見つかり、軽く振ってみる。新しくはないが使えるだろう。
なんだかんだと雑に溜め込んでいるのに文句をつけていたが、いざというときに買いに行く手間がないのは実家の便利なところだ。
ついでに客用でないシーツを選んで引っ張り出す。
電話を左に持ち替えて、右手が自由になるよう出したものを左脇にはさんでいく。
「ちょっと、昔馴染のやつに押しかけられちゃってね。それでまあ、これからシリアスになりそうな感じ」
『いや、冗談だろ?』
「いやいや、マジですよ、リトルブラザー」
『リトルとかつけてる場合じゃねえし。ていうか、え、本気でほんとに?』
リトルを外している場合ではあるらしい弟に付き合って、真面目な声を作る。
「はいはい、本気でほんとに」
洗面所に回り、畳み終わった洗濯物の籠から弟のジャージを拝借する。これくらいの大きさがちょうどいいのだ。替えの下着やなにかは持ってきた荷物に入っている。
『で、誰だよ?』
「さあねー」
『単なる知り合い以上の男なんてほとんどいないだろ』
「それは高校に入るまでの話」
『むしろなんで高校入ってからガード下げるんだよ。普通逆だろ』
「いや、なんかそんなに頑張ることもないかーって」
手がだいぶ塞がったので、持っていたものをひとまず玄関脇の和室に放り込む。
『そこから数えても何年だよ』
「何年? って、えーと、高校3年プラス、今2年で、でもまだ7、じゃなくて8月だからー……何年?」
居間のティッシュペーパーの箱を借りることにし、残りの枚数が十分あるのもちらりと確認する。使いさしを選ぶのは、新しいものだと中身が詰まりすぎていて手探りで引き出しにくいためだ。
思いついてプラスチックの屑入れもひとつ運んでおく。客間備え付けの籐のものはこうした場面で使うに忍びない。
『4年ちょい。なあ、飲んでるだろ?』
「何を」
『酒だよ、酒。頭回ってねえぞ』
「おお、酒」
思い出して、台所に戻る。
片手鍋に湯は沸いている。火を止めて、徳利に酒を注いで浸す。
来たついでに、新しい器に卵を溶いて目分量で砂糖を加える。甘い方が好みだ。後は電話を切ってからでいいだろう。
「飲んでないよー、まだ」
『まだっておい。飲む気満々だな、未成年』
「でもほら、お酒っていってもね、甘酒の仲間だから」
『酔っ払いの言い訳は信用ゼロだからな』
「だから、まだ飲んでないって」
気が急く。自分の吐く息はこんなに熱かったっけ、と思う。
それで、と話しだそうとする弟の声に、とにかく、と言葉をぶつけて切っ先を逸らす。
「帰ってくるな、リトル愚弟」
『あ、もしやそれはリトルグレイと掛けてるのか』
「気を確かに保て、弟よ。私はその駄洒落に何の必然性も感じないぞ」
『俺はリトルの必然性を感じねえよ。弟と意味被ってるだろうが』
「いや、リトルはあれだよ、ちょっとおばかさんな弟って意味でその前に係るっていう」
『なお悪いわ』
「まあほら、今夜は熱い夜になりそうだぜ、みたいな、ね?」
これはこれで夜が被っているだろうか、と少し悩んでみる。
『聞く方がいたたまれなくなるくらい棒読みだな』
「いやあ、素面でこの台詞を吐けるほど面の皮厚くないよ」
『素面で堂々と弟を追い出すのはなんなんだよ』
「えーと、じゃあその友達のところに泊めてもらってよ。だめなら天文部のテントにこっそり入ってしまえ。ばれないばれない。そのうち怪談のネタになるだけだから。
たぶん生徒手帳のカバーの隙間に母さんがお金隠しておいてくれてるはずだから、手持ちなかったらそれ使って。あとで補充分は出すから。じゃあよろしくねー、っと」
ここまで言っておけば、友達のところに転がりこむ線で落ち着くだろう。