石山の戦いの裏話
私がこのような事を考えるとは、思ってもいませんでしたね。
あの女性、美しく気高く、己が信念を貫く、この疑心暗鬼な乱世を、先頭で切り開き歩む。
それでいて、心が汚れていない。
私は惚れてしまった、あの女性が求める世界を見たくなってしまった。
歴代の教祖が長き月日を重ね、ここまで大きくした本願寺を壊してでも・・・
「頼廉、坊官達の不正を調べ尽くしてくれまいか?」
私は目の前にいる下間頼廉に呟く。
「なっ!上人様・・・危険です」
頼廉は顔を青ざめて私に話しかける。
「分かっておる、しかし本願寺の未来の為、いや日の本の民の為、行わなければならぬ・・・」
私は覚悟を決めて頼廉に呟く。
「・・・・・・」
頼廉は無言で私を見つめる。
「織田信長殿の心は分からぬ、しかし織田の姫、お市殿の心に偽りは無いと思うのじゃ。私はあの方に賭けてみたい」
もう一度、頼廉を見つめ直し、強く呟く。
「・・・分かりました。それほどの覚悟があるとなれば、上人様のお心のままに動きます」
頼廉は深く頭を下げて了承すると、部屋を出て行く。
その後、頼廉から報告される不正を元に、次々と民を騙し、私服を肥やしていた僧侶を破門していく顕如。
その苛烈な仕打ちに、本願寺内部では仕打ちに怯える僧侶達が団結し、不穏な動きを始めていた。
そんな折、堺の商人である今井宗久が顕如に会いにやって来る。
「上人様、ご無沙汰を致しております」
宗久は顕如を前にして、挨拶を行う。
「おおっ、確かにご無沙汰でしたな。色々ありましてな」
顕如は少し顔を伏せて話す。
「いえいえ、皆まで言わずとも、分かっておりますとも、今日来たのはこの商品をお渡ししたいと思いましてな」
そう言って、宗久は南蛮風の文様をした袈裟を顕如の前に差し出す。
「ほう、これはまた珍しい」
そう言って手に取り、すぐに身に付けると、袈裟の肩にかかる部分に違和感を感じる。
「宗久殿、何やらこのへ・・・」
顕如が喋り終える前に、被せるように宗久が話し出す。
「上人様、袈裟の事は宗久が退出した後、じっくりと堪能なさいませ」
強い視線で顕如を見る宗久。
「そうですね。これほどの品、後ほどゆっくりと堪能致しましょう・・・」
そう言って宗久に贈られた袈裟を畳む顕如。
その後、他愛のない話をして宗久が帰ると、直ぐに袈裟の違和感があった場所を調べる顕如。
「なるほど・・・」
違和感があった場所には小さな文が入っており、開くと一言(退去)と書かれてあった。
顕如は素早く立ち上がり、部屋を出る顕如。
「上人様、どちらへ?」
部屋の外で待機していた坊官が、顕如に話しかける。
「厠です」
その言葉を聞き付いて来ようとする坊官。
「もう子供ではありません。すぐに戻ります」
そう言って顕如は足早に厠に向かう。
「作用でございますか」
そう言って坊官は顕如一人で厠に向かわせてしまう。
顕如は少し、早歩きをしながら、小さく呟く。
「猶予がないな・・・」
顕如は厠の中に素早く入ると、横の壁をずらす様に押す。
壁が大きくずれて大人一人、入れる空間が出来る。
その中に入り、這いずるように進む顕如。
出た先には驚いた顔をした頼廉がいた。
「上人様!如何なされた!このような場所に、そのような場所から来れれるとは・・・」
そこは石山の警備を任された者が集まる詰所であった。
「頼廉、最早この石山には居られぬ。速やかに退去する」
顕如は頼廉を見つめて、話す。
「くっ、そこまで奴らは阿呆なのか。これで本願寺は割れる」
顕如を見ながら、頼廉は唇を噛み締めて悔しさを表す。
「最早、猶予も無い。逃げおおせるか?頼廉」
顕如は不安気な顔をして、頼廉を見つめる。
「お任せくだされ、このような事も想定しておりました。狼煙を上げよ」
狼煙が上がると各地から声が聞こえてくる。
「火事じゃ!」
「火が出た!逃げろ!」
「こっちもじゃ!逃げろ!逃げろ!」
「水を回せ!早う致せ!」
外で飛び交う言葉と共に頼廉が口を開く。
「上人様、今の内にございます。孫市、先頭を頼めるか」
いつの間にか現れた孫市に話しかける頼廉。
「あいよ。まかしときな、行く先は織田の姫さんとこでいいかい?」
孫市は軽く返事をして行き先を確認する。
「お願いします。孫市はん」
顕如は深く頭を下げて、お願いする。
「いいよ、そんなに頭下げないでくれよ。こうなっちまったのは、上人さんだけのせいじゃないさ」
そう言って外に飛び出す孫市。
こうして私は織田の城に逃げ込む。
その後、石山本願寺は織田の姫さんに攻められて、全て燃やし尽くされる。
私は焼け野原となった石山に足を運び、見つめていた。
「謝って済む話ではないけど・・・ごめんなさい。顕如殿、貴方の信者を沢山殺めてしまったわ」
いつの間にか、私の横に来ていた女性が、話しかけてきた。
「いえ、この一件、私の不徳が致した事。姫様が悪い訳じゃありませんよ。だから涙は流さないで下さい」
私は懐から布を取り出し、姫さんに手渡す。
「泣きたいのはあたしじゃないわね・・・ごめんなさい。泣いて逃げたら卑怯よね・・・チーン、チーィン」
私が渡した布で鼻を咬むとは・・・
「はい、返す」
真っ赤な鼻をして、私に布を渡そうとする姫様。
「・・・はい」
思わず、受け取ってしまったが、なんか手についた気が・・・気にするな私。
「こんな事が無いようにしなきゃね・・・」
そう言って、私に悲しく微笑む姫さんを見て悟る。
この方は私の心を救おうとして、このような言葉と行動をなされたのだと。
この天魔の所業を、姫様が全て背負う積りでいるのだと。
この手渡された布を生涯の戒めとして持つ事にしようと心に誓う顕如であった。