宗久
薩摩から堺に向かう船の甲板から、穏やかな海を厳しい表情で見つめる家久の姿を見つめながら、恰幅の良い商人がふと呟く。
「いやはや、あの姫さんもご無理ばかり仰りなはるわ」
誰あろう、堺の豪商今井宗久は独り言のように呟いた後、目を静かに閉じ、市に対して思いをはせる。
(尾張の田舎者を天下人に仕立て上げて、わてらにも考え付かんようなもん拵えて、ほんま困った方や)
しかし、思いと裏腹に、何かを期待するような笑みを浮かべていた。
(姫さんには、欲というもんがないんかいな、袖の下はおろか、あの姫さんの欲しがる物がわからんとは、わてもまだまだなんやろな。開き直って、聞いてみたら、こんなお使いみたいなことさせられるしな)
「如何された、宗久殿」
「心配あらへん、お使いを頼んだ方の事を思い出しておったんや」
苦笑いをしているところを、怪訝な目で見つめながら、問いかける家久に答える宗久。
「その頼んだお方とやらは、信長ではないのか」
「ちゃいまんな。織田の殿様よりも厄介な方や、日の本一いや世界一の金持ちかもしれんのに、貧しい者に仕事を与えたり、食い減らしで捨てられた子供や親が居らん子供を無償で面倒見たり、道や川を整備したり、ため池作ったり、橋作ったりしとる奇特な方や」
「なっ!何故その様な事をする」
「貧困だと心が貧しくなる。そうなると卑しくなる、卑しくなると人を思い遣れなくなる。だから貧しさから抜け出す手伝いをするって言ってなさったわ」
「人を思い遣る、、、手伝う、、、」
「可笑しな話しでっしゃろ、今は乱世でっせ、そないな綺麗事いうておれまへんがな。自分を第一に考えな生きていけまへんがな」
「しかしその様にせずとも、銭をばら撒き、施せば良いのではないか?単純明快であろう」
「家久様の言われる無償の施しは、与えられた者達の心に怠慢が芽生えると、あの方から言われますわ」
「何故その様に言えるのだ」
「わても同じ事を言うたさかいな。でも初めて聞いた時に思いましたんや、こないなこと言う奴は、身の程知らずの馬鹿か、口だけで実行出来ない半端者やと思っとりましたわ」
「では、宗久殿を使いに出した方は、うつけか」
「うつけでっか、そやな、うつけ言うたら、うつけなんやろうけど、ただのうつけやないな。大うつけでもおさまらんかもしれまへんな・・・あっあかんがな!いま言うた話、忘れておくれや!絶対忘れておくれや!」
「おっ応、」
何かに気付いたかのように、辺りをきょろきょろと忙しなく見た後に、顔色を悪くしながら、縋る様に強く話す宗久に、引き気味で応答する家久。
「今ではあの方が、一番敵にしとうない恐いお方やと思っとりますのや、敵にした瞬間に店はすぐ潰されてしまうさかい」
「恐怖で縛り付けられておるのか」
片眉をあげながら、気の毒そうに宗久を見る家久。
「そう言う訳ではあらへん、あの方がわてらに卸す商品や食べ物は、ようけ売れまっさかいな、持ちつ持たれずという訳ですわ」
「ほう、なかなかのやり手の豪商かのう」
「当たらずと雖も遠からずですわ、あの方の店は利益を度外視しとるし、貧しい者しか相手してまへんから、商売敵にもならしまへん。住み分けが出来とりますのや」
「そんな馬鹿な、それで店が成り立つものか!」
「あのお方の店は、お遊びで作ったらしいんですわ、笑えまっしゃろ」
「笑えぬ」
「まっあの方を知らなかったらそうなりますわな」
「名前だけでも、教えてはもらえぬのか」
「う~ん・・・やめときますわ、教えると纏まるもんも纏まらん気がするさかい」
「作用か、、、」
「そうそう、あんたはんの兄上は見事に当てておいでやったけどな。その様子では、教えて貰っておられまへんな」
「聞いておらん」
「それがええでしょうな、この話もほんまはせん方が良かったかもしれんと思っとりますさかいに」
家久に伝えた後、静かにその場を去る宗久を、見つめる事しか出来ない家久であった。
一方、市達は鉄甲船に乗り、伊豆から尾張に向かって海路を進んでいた。
(クシュン!、、、クシュン!)
「冷えましたか、船室に戻られた方が良いのでは御座らんか」
「いや、違うわ熊・・・これは誰かが、私の悪口を言ってるわね」
「そのような事、」
「多分、兄様と宗久ね」
確信を持った顔で話す市。
「上様は分からぬでも無いのですが、宗久殿がそのように言うなどと思えないのですが」
「熊ぁ、あんた宗久の所で買い物しないほうが良いわよ」
「なっなぜで御座いますか」
慌てたように、熊は市に問いかける。
「かもられるからよ」
「かもられる・・・」
「熊みたいな真面目ちゃんは、宗久から見れば、鴨がネギ背負ってるようにしか見えないはずよ」
「鴨鍋ですか、、、」
「ちょうどいいから、熊やめて、鴨にしちゃおっか」
「・・・熊で良いです」
そんな他愛の無い話をしながら、帰国の旅路を急ぐ市達であった。




