五右衛門の回想
学問所での出来事を、お市に報告した五右衛門は、急いでお通の元に向かっていた。
「奥州での仕置き、想像以上か、それほどまでに堪えましたか、、、お市様」
野山を駆けながら、静かに独り言を呟く五右衛門は、あの後の事を思い出していた。
信長が去り、学長室に戻ろうとする通に、付いて来ようとする牛や佐吉達を無理やり追い返した通は、壱学問所最奥にある学長室に一人入ると、同時に扉を閉め、膝から崩れ落ちる。
通の顔色は悪く、両手で胸を抱きしめて、体を震わせている。
「お通様、大丈夫でございますか」
「っ!誰、」
通の後ろに現れた五右衛門が声を掛けると、通は体の震えを無理やり押し込める。
「私の前では、そのように無理をされなくても、」
「いえ、貴方の前だからこそ、無理をしなきゃならないでしょ」
心配そうな顔をした五右衛門に答える通。
「お通様は、お市様では御座いますまい」
悲しげな顔を浮かべる五右衛門。
「母上様から、話は聞いてます。貴方の姉上の事を、、、だから」
「だからと言って、お通様には関わりなき事で御座いましょう」
「私は、織田市の娘です!だから、、、母上様の思いは、私の思いなのです!」
「っ!」
涙を流しながら、五右衛門に叫ぶ通。
「それに五右衛門も、伯父上様に刃など向けていたではないですか」
「あっあれは、お通様にお怪我を、」
「それだけじゃないでしょ・・・伯父上様の事、まだ恨んでいるのでしょ」
「流石は、お市様の育てたお子で御座いますな」
「からかわないでっ、、、ごえも」
「からかってなどおりませぬ、嬉しいので御座いますよ」
真剣な眼差しで、訴える通を、涙を流しながら、笑顔で答える五右衛門。
「あの市様の子である通様が、天下人である信長に歯向かってまで、この学問所を守ろうとした事、壱学問所の前身であった学び舎で、教えていた亡き姉上も喜んでおりましょう」
「そんなこと、」
悲しげな顔をしながら、五右衛門を見つめる通。
「姉上は身分等に囚われず、誰にでも優しく接するお市様を慕っておりました。お市様も、姉上を大事にされておりました事、幼き頃の私でも分かりましたから、しかし」
「織田の武士が、貴方の姉上を殺した。織田を束ねる伯父上様の不徳、そして母上様の甘さ」
震えながら、顔を下に向ける通。
「あの頃の武士は、織田家の者であろうとも、お市様の意向が全ての者に伝わってはおりませなんだ、昔と変わらず、我ら忍を人として考えてはいなかった」
「母上様は、悔やんでおられました。あの頃の自分が甘かったと、謝って許されることではないと」
血が出るほど、唇を噛み締め、苦痛の表情で話す通。
「あの頃から、お市様は変わられた。必要ならば、非情な事も行う事に躊躇しなくなった」
「私が、母上様の下に来た時と今では、、、それほどまでに貴方の姉上は、母上様にとって大事な方だったのでしょう」
「亡くなる前に、姉上はとても良い笑顔で、私に言ったのです。お市様や信長を恨んではならぬと、だから恨んでなどおりません、刃を向けたのは、お通様を守りたいと思ったが故です」
悲しげに話す五右衛門。
「五右衛門には、言わねばならない事かもしれません」
「何を、」
「五右衛門の姉上は、母上様と同じ時を超えた同志だったのだと、母上様は仰ったわ」
「へっ?時を越えた、、、同志」
通の言葉に、理解が追いつかない五右衛門。
「大丈夫よ五右衛門、私も良くは分からないの。ただ母上様がそう仰ったの」
「お市様と姉上が、同志・・・」
顰めた顔をしながら、考え込む五右衛門。
「同じ志を持つ者だという事以上に、深い何かがあったと私は思ってるわ」
真剣な顔で話す通。
「そう言えば、お市様と姉上は確かに似ておられる、姿形や声は似てもにつかぬのに」
「やっぱり、そういうところがあったのね」
「姉上は少し変わっておられました。お市様の様に、男言葉ではなかったのですが、里の者が考え付かないような物を作ったり、同じ人なのだから、卑屈になるなと、良く申しておりましたな」
頷くように上下に頭を上げ下げしながら話す五右衛門。
「母上様は、そんな貴方の姉上に、とても影響を受けたと仰っていたわ」
「そうだったのですか、合点がいきました。しかし、姉上は誰にでも優しいお市様を好きでいたのですが、ままならぬものなのでしょうな」
少し、困った顔をする五右衛門。
「優しさも時には甘さとなり、見くびられる」
「作用で御座いますな」
「三河の一件だけでも、母上様にとっては身を引き裂かれるような出来事だったのに、それ以上の深き業を背負う覚悟で、奥州に向かわれた母上様を、私は止める事が出来なかった」
「お通様、そのようにご自分を責めなさるな」
「でも、」
「熊様達ですら、お止めできなかったのですから」
「そうね、普段は母上様に簡単に抑えこめられちゃってるけど、いざとなれば、変わるのよね獣衆は」
何かを思い出したかのように微笑む通。
「そうですぞ、あの方達の本当の姿は、世にも恐ろしき方達なのですよ。お市様の下に居られる時ばかり見ておられたら、痛い目にあいますぞ」
少し、顔を青ざめて話す五右衛門。
「でも私は母上様の唯一無二の娘なんだから、もっと頼りにされるように頑張らなくちゃ。ふふふっ」
幸せそうに微笑みながら話す通の顔を思い出す五右衛門。
瞑想しながら、軽快に走っていた五右衛門は、何かに気付いたかのように、顔を強張らせる。
「しかし、弟が出来たと知れば、お通様がどのように思われるか」
自分が伝えるべきか、伝えないべきか判断に迷う五右衛門であった。




