市と通
安土の城に戻った信長は、天守閣にて、安土城下を見下ろしながら呟く。
「市め、なんという子に育てたのだ、あれでは・・・嫁の貰い手などおらぬぞ、、、」
「上様、そのお言葉は、あぶのうございます」
「最早、この日の本に、お市様の耳に入らぬように出来る場所など、御座いませぬ」
「そうじゃった!」
近くに居た、菊と十兵衛が共に苦言を呈すると、信長は慌てたように、周りをキョロキョロと忙しなく見る。
「しかしな、十兵衛・・・あれは幼かった頃の市じゃ!瓜二つじゃ!」
「それほどで御座いますか」
「冷酷、冷静、冷徹さは市以上の物を感じた、あれは心を開いた者や、好きな者以外には冷淡になるぞ」
「「なっ、、、」」
「一番、厄介なのは、市以外を考えておらぬことじゃ」
両手を前で組んで、目を閉じる信長。
「如何されますか、上様」
「ふむ、良し、市の二の舞にはならぬように、許婚を用意しよう!」
「なっ!そっそれはあぶのう御座います!お考え直しを!」
「勝手に動けば、お市様になんと言われるか!上様!あぶのう御座います!」
「いや、市は気にせぬであろう、あやつ自身は婚姻するのが嫌なようじゃが、他の者に対して、自分の考えを押し付けたりはするまい」
「左様で御座いましょうか、、、」
(上様の悪い癖が、不味いぞ)
(いやいや、あれだけ可愛がっている通様の許婚など、勝手に決められたと知れば・・・あかん)
「そうと決まれば、早いうちに許婚の選別をするぞ!十兵衛、菊、忙しくなるぞ!はっはっはっ」
「「畏まりました、、、(良いのか、本当に)」」
満面の笑みで話す信長に、何故か恐怖を感じる十兵衛と菊であった。
南部家での内乱を利用し、南部家を討つ口実を得た市は、素早く兵を北上させ、平定させたその日の夜。
梵天丸を抱きしめて眠る市は、人の気配で目を覚ます。
「・・・んっ誰かしら」
梵天丸が、起きないようにしながら、起き上がる市。
「夜分遅く、申し訳御座いませぬ」
部屋の隅で、片膝を着き、頭を下げる黒装束の男が、市に声を掛ける。
「その声は、五右衛門ね、どうしたのこんな夜更けに」
「・・・」
「あらっ、なんかしちゃったのかしら、例えば、兄様に刃を向けようとした、、、とか」
「!っ」
市の言葉で、部屋の空気が、一段寒く感じる五右衛門。
「兄様を殺りたくなったら、先にあたしを殺しに来なさい・・・五右衛門」
「もっ申し訳ありません、、、」
「あたしの事を思って、動いたのでしょうけど、逆よ」
「えっ、、、」
「兄様が居なくなれば、あたしも消えるわ」
「!っ」
「通はそれが分かってる・・・でも、それでもあたしに天下を取らせたいのね、困った子だわ」
俺は、あの日の事を思い出す。
奥州征伐を決め、越後に向かう際、岐阜の城で、通と会話した時の事を
「母上様、行かれるのですか」
「ええっ、時期が来たわ」
「私もお供を、」
「駄目よ、通、貴方には役目を与えたでしょ」
「しかし、」
「聞き分けて頂戴、私の様に貴方は汚れてはならぬのです、次世代を担う者は、このような手の汚し方をしてはなりません」
「そんな、、、」
市の厳しい口調に、下唇を噛み、泣きそうになる通。
「今回の戦は、三河での仕置きとは、比にならないわ」
「っ!」
「武家の者と言うだけで、罪を犯してもいない女子供を殺さねばならない、歴史上に大きく残るほどの残忍な仕置きをするのよ、だから連れて行けない」
「過去の権力者達が積み上げた負の連鎖を断ち切り、無に返す為に汚れる事を、何故、母上様がせねばならぬのですか!」
顔を歪め、泣きそうな通は、市に悲痛な声を上げる。
「それは、あたしが欲している世を現実にする為よ、あたしが欲しているのだから、あたしが汚れるのは仕方ないでしょ」
悲しげな顔を浮かべる市。
「しかし母上様が、このように動いても、伯父上様は、、、いや信長は、母上様に何も与えては、」
「通!兄様の事を、その様に言うでない、私は、褒美など欲しい訳では無い・・・ただ、民の末永く続く笑顔が見たいだけなのよ」
「はっ母上様は、、、こんなにお優しいのに、、、なっ、、、何で、、、」
「通、あなたも優し過ぎるわね」
市は泣きじゃくる通を手繰り寄せ、抱きしめると静かに頭を撫でるのであった。
「おっ・・・おい・・・おいちさま、お市様聞いておられますか」
「あっ熊、ごめん、聞いてなかった」
梵天丸を抱いていた為、体を揺らしながら報告を聞いていた市は、熊の言葉を聞き流していた。
「しっかりしてくださいませ、奥州の主だった大名は、全て織田に屈しました故、これより南下し、相馬を下し、佐竹、里見を」
「ああっ、佐竹と里見は、大丈夫でしょ」
「へっ、」
熊が、口を開けて呆ける。
「北条がもう潰してると思うわ」
「いやいや、流石にそれは、」
「鉄甲船回してるから、終わってるでしょ」
「へっ、」
口を開けて、呆けていた熊が、弱弱しく声を出す。
「雉麻呂に頼んどいたから、動かしてるはずよ」
「なんと、」
「まっとりあえず、相馬でも消しに行きますか。まっ戦らしい戦にもならないでしょうけどね」
「ですな」
市と熊は微笑みながら、その場を去るのであった。




