奥羽決戦 その二 微妙な誤算
夜も明け切れぬ、早朝。
「んっ?あれはなんじゃ」
「どうした?何か異変でも・・・なっ!」
「なんだ?織田が動いたのか?」
「あっあれは!」
「まさか!あのような少数で現れるとは、、、」
「直ぐ、皆に知らせよ!織田市が現れたとな!」
数十名の屈強な男達を従え、白馬に乗り、兜もかぶらず、黒髪を風に靡かせながら、優しげな顔をした女が、葛西、大崎、伊達軍の前に姿を現す。
それを確認した警備兵が、慌しく動き出す。
「誤報じゃと思うたが、まことであったか」
「父上、我等の軍勢に恐れを成して、交渉に参ったのやも知れませぬぞ」
「ふぬ、兵力差と地の利を覆せないと悟ったか?」
「連れておる兵の数から推測すれば、そうで御座いましょう
「なれば、強気の交渉で我等に益多き、確約を取り付けるとしようかのう」
「しかし、見れば見るほどに、美しい」
「そうじゃな、この様に離れていても、分かるほどの美しさじゃな」
「あのような者が、第六天魔王とは、誇張された噂話やもしれませぬな」
「そうじゃのう、あの女子をお主の側めにでも、貰うかのう?」
「誠ですか!」
「あの女子、嫁に行き送れておるが、堪能するだけならば、不足はあるまい」
「父上っ!」
「たまには、わしにも貸してくれよ」
「御意」
中野宗時、牧野久仲は、共に市の姿を見つめ、嫌らしい顔をしながら、話し合う。
「そうきたか、、、」
そんな二人とは対照的に、黒川晴氏は、暗い顔を浮かべていた。
「静まれ!」
市の姿を見て、様々な憶測が飛び交い、ざわめきたつ葛西、大崎、伊達の兵に向かい、市が声を放つ。
「「「「「「!っ・・・・」」」」」
その声は、今まで、騒いでいた数万の兵の声を掻き消し、皆が、話を止め、一斉に市を見つめる。
「良く聞け、我等、織田は奥州の民を解放しに参った!民よ、その手に持つ、武器を捨て、田畑に戻れ!」
静かに、それでいて、皆に伝わる言葉を放った市は、その動向を静かに見つめる。
市の言葉で、葛西、大崎、伊達が兵として、集めた民達がざわめき出す。
「なっなにを言っておるのだ!あの女子は!」
「あのような言葉、信じるな!」
馬に跨り、指揮する将兵が、慌てたように収拾をはかる。
そんな者達を無視するかのように、市は口を開く。
「民よ、長き間、武家に虐げられてきた者達よ!その呪縛を解き放つ時は今ぞぉ!織田を、いや私を信じよ!」
市の言葉で、次々に武器を手放す者達。
「くっ、女狐め!皆騙されるな!貸せ!わしが、撃ち取ってくれる!」
「殿っ!」
(パァーン)
前列で火縄を抱えた兵達を指揮していた葛西晴信が、火縄を奪い、市に向かって引き金を引く。
市の頭が、大きく右に反れる。
「「「姫っ!」」」
市に付き添っていた、熊、鴉、繁長が、叫びながら、市の元に駆け寄ろうとする。
「動くな!」
「「「!っ」」」
市の言葉で、動きを止める三人。
銃弾は市の右目の下をかすり、血が静かに、下に向かい、流れ落ちる。
市は、何事も無かったかのように、正面を向き直すと、静かに微笑み、口を開く。
「これが最後の忠告だ!武器を捨てず、我等に刃向かうと言うならば、その者等は武士と見なす、武士なれば、容赦などせぬ、、、消すだけだ」
「、、、おらはかえるだ」
「わしもじゃ」
その言葉を聞き、武器を投げ捨て、戦場から逃げ出し始める兵が現れだす。
「くっ!逃げるな!逃げれば、斬り捨てる!」
「戻れ!持ち場を離れるな!」
市の言葉で、葛西、大崎、伊達の集めた兵が、混乱する。
その様な状況を打破する為に、各武将が、単独で動き始める。
「このような事が起こるのも、あの女子のせいじゃ!」
「奴等の兵数など、数十騎!」
「あの女子を討ち取れ!」
「かかれぇ!」
統一性も無く、市の元に駆け出す葛西、大崎、伊達の武将達。
「姫っ!お逃げ成され!」
熊が、市と敵との間に割り込むと、叫ぶ。
「嫌よ」
「なっ!」
「姫さん!逃げてくれ!そんなに持たせられない!」
驚愕し、市を見つめる熊と、切羽詰まった声で撤退を促す鴉。
「姫様、こちらに向かってくる兵の数が、増えております!逃げてくだされ!」
「囲まれたら、逃げ切れねぇ!逃げてくれ!」
「今逃げたら、軍から離れようとする民に被害が出るわ、、、だからまだ逃げれない」
顔色も変えず、理由を伝える市。
「やっぱりな、、、くそぉ!もっと兵を連れて来れば良かったぜ」
「弱音を吐くな!鴉!」
「兵を増やせば、こうはなっておらぬ、耐えよ」
「わかってるよ!玉込め急げ!」
「姫様に、敵を近づけさせるな!守れ!近衛衆!姫様の元から離れるな!」
次々に襲い掛かる敵の兵を斬りつけ、撃ち倒しながら、市が撤退するまでの時間を稼ぐ熊達。
「くっ姫様はまだ逃げられぬのか、、、」
市の元に集まりだす敵兵を見つめながら、信玄は顔を歪めながら呟く。
「まだ、民が逃げ切っておらぬ、あの姫ならば、まだ逃げないな」
信玄の呟きに、答えるかのように声を出す雉麻呂。
「なれば、赤揃えを動かす!お市様を窮地には追い遣れぬ」
信玄が、真剣な顔をして呟く。
「この状態で、赤揃えを出せば、赤揃えは壊滅するぞ」
雉麻呂が顔を歪めて答える。
「昌景、すまぬが・・・死んでくれるか」
「御意」
傍にいた山県昌景の顔を見つめながら、静かに呟く信玄とそれに答える昌景。
「くっ、なれば、森の騎馬隊も、うご」
「いや、動かしてはなりませぬ、森殿には、お市様より与えられた任務が御座いますれば、我等赤揃えだけで、抑えて見せまする」
「では、我等も陣を進める!」
「待て義元、本陣を前に出せば、お市様の策が効果を発揮できぬ」
「信玄っ!」
「お主の気持ちは有り難いが、赤揃えが受ける被害と、軍全体で受ける被害を考えれば、姫様の策を使わねばならぬ」
「雉麻呂様、そのお気持ちだけで十分です。我等赤揃えの力、今こそ発揮する時」
「くっ、、、すまぬ」
「では、お館様、逝って参ります」
「後は、任せよ」
静かにその場を去る昌景を、見つめる事しか出来ない二人であった。
「まだ逃げ切れてないのかよ!もう持たせられないぜ!」
「大分、殺られたな」
「くっ、姫!もうお逃げくだされ、、、」
「まだよ」
多数に無勢、周りを囲まれ、逃げる事も困難な状態となっているにもかかわらず、逃げようとしない市。
「我等の希望消す事は出来ぬ故、、、推参」
そんな時、後方から赤い鎧に身を包んだ騎馬が現れ、市を取り囲む敵兵に突撃を開始する。
「なっ!赤揃えか!」
「このような状態で出せば、壊滅は免れねぇぞ!」
「信玄め!赤揃えを捨石に使うのか!」
「・・・(信玄、昌景、御免なさい)」
赤揃えを見つめながら、呟く熊達。
赤揃えの出現に、敵は逃げ出す民を無視し始めて、赤揃えが守る市の元に、殺到し始める。
市を守る為、制限された動きを強いられる赤揃えは、その性能を十分に発揮出来ず、敵の兵に飲まれ始める。
「我等、赤揃えの力はそんなものか!奮い立て!姫様に醜態を見せ付けるな!」
「おう!」
「市の首を取れば、此の戦!我等の勝ちじゃ!押せ押せ!」
「織田の兵は疲れておる!押し切れ!」
両軍入り乱れて、戦い、そして散っていく命。
そんな状況を無表情に見つめていた市の傍に、一人の忍びが現れる。
「姫様、民が逃げ切った模様、直ちにお逃げ成され」
「あいわかった、鳶案内して」
「こちらです」
先導する鳶に付いて行く市。
「皆!待たせた、逃げるわよ!」
「「「御意」」」
「赤揃え!その場で耐えよ!お市様を逃がすのだ!」
「「「「「おう!」」」」」
「逃がすな!追え!追うのだ!」
食い下がる赤揃えを振り切り、多数の敵兵が市の後を追う。
逃げようとするお市に、銃口が向けられていた。
「逃がすとおもうてか!しねっ、、、グハッ」
「甘いな、そのような事させるとおもうてか?」
呟くように話すとその場を離れる忍び達。
飛び道具で、市の命を狙う者たちは、全て百地達の手の者に消されていく。
「押し切れなかったか、勝機は消え失せた・・・後退する」
撤退する市を見つめながら、黒川晴氏が撤退し始める。
「待てよ、あんた・・・黒川晴氏だろ?逃がせないな」
そんな晴氏を呼び止める男。
「ほう、その赤き鎧と日本号、山県昌景殿か」
「へぇ、俺も有名になったものだな」
「わしに構わず、逃げぬのか?今ならば逃げれよう」
「お市様の荷を軽くしたいからな」
「わしなど、居ても居なくても変わりはなかろう」
「いいや、あんたは危険だ。会って見て、確信した」
「・・・・・・」
「お市様の目は濁っていなかったと思えるよ」
「それは、過剰な評価よ」
「あんたが、此の軍の大将なら・・・負けてたかもな」
「それこそ、過剰な評価だな」
二人はニヤリと笑い合うと、槍を突き出し合う。
「楽しくなりそうだ」
「ふっ、これもまた運命か」
昌景と晴氏が、火花を散らせながら、戦場で対峙するのであった。




