戸沢の赤子
戸沢領、戸沢家の本拠である角館城の一室にて、戸沢氏第十六代当主、戸沢道盛と嫡男盛重が、密談を交わしていた。
「小野寺の小僧が泣きついてきたが、織田と事を構えるなど、自殺行為じゃが、如何にする、盛重」
「織田は降伏した小野寺を無慈悲にも、根切りにしたような家!そのような織田に下ったところで、戸沢家は奥州で笑いものの種にされましょう。ここは、光道殿と共に織田に一矢報いるのが、武家の行いと思います」
「分からぬでもないが、織田の軍勢は十万ともいうぞ」
「十万は誇張した数でしょう、それに、織田は葛西や大崎にも、兵を差し向けようとしておるとの事、そうなれば、伊達も動きましょう。それに我等が動けば、南部晴信様も兵を出されるでしょう。そうなれば、地理に疎い織田の兵など、打ち破る事は容易かろうと考えまする」
「ふむ、安東はどう考えるかのう」
「織田が行った、最上や小野寺の仕置きを考えれば、我等に合力すると思われます」
「しかし、小野寺の小僧が来る前に、現れたみすぼらしい男の話が、気にかかるが・・・」
「あのような男の言葉、信じられませぬ。あの者が言うような織田と奥州大名に絶望的な戦力差など、有り得ませぬ」
「ふむ、んっ?なんじゃ?このような声は」
(フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!)
「貴方、九郎が泣き止みませぬ」
頷きかけていた道盛の元に、困った顔をした女が、赤子を抱えたまま、現れる。
「母上様、九郎が泣いているのですか」
「あの九郎がか・・・」
二人は、驚いた顔をして女を見る。
「はい、殆ど泣く事が無い九郎が、凄い声で泣いておりまする」
不安げな顔をして、二人に話しかける女。
「一体、どうしたのであろうか」
「・・・!っ(まさか、九郎は織田と戦う事を、止めておるのではなかろうか)」
「どうしたのですか?父上」
道盛が素早く立ち上がると、女の前に進み、赤子を受け取る。
(フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!)
赤子は、母親に抱かれていた頃よりも、激しく泣き出す。
「ふむ、九郎、織田とは戦うなといっておるのか?」
「なっ、何を仰っておるのですか!父上!その様な赤子に、戸沢の命運をかけるお積りか!」
思わず、立ち上がり、父道重に向かって、叫ぶ盛重。
(ファアン)
あれほど、泣いていた九郎が、父の問いかけに、答えるように泣き止み、父である道盛を見つめる。
「ほう、こやつ、わしの言う事が分かっておるのか?」
「その様な事、有り得ませぬ!」
首を傾げながら、呟く道盛に対して、盛重が叫ぶ。
「そうじゃな、では九郎もう一度聞こう、織田と一戦しても良いか?」
(フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!フッギャーァァァフェェン!)
「わかった、わかった、織田とは戦わぬ」
(ファアン、ファアン)
「まさか、」
「盛重、どうやら九郎は、織田と戦いたくないようじゃぞ」
「私は戦いまするぞ!必ず、織田に一矢報いてやります!そのような幼い赤子の言うこと等、気になされますな、父上も覚悟なされて下され」
「わしは、九郎と共に織田に下ろうと考えた。最早、考えは変わらぬ」
「ならば、お家が割れますぞ!」
「割れても仕方あるまい、戸沢の家を消す訳にはいかぬ」
「仕方ありませぬ、父上、戸沢は私が守ります」
盛重が、静かに呟くと、刀に手をかける。
「わしを斬るのか、盛重」
「斬りとうは御座いませぬ、家督を私に譲って、この城より、出て頂く」
「・・・愚かよな」
これで戸沢は割れる、一枚岩で織田と戦っても勝機など殆ど無いものを、割れれば、消えるだけじゃ。
道盛は心の中で、残された戸沢の行く末を思う。
「何とでも言えば良い、私は奥州武士の力を織田に見せ付ける!」
「さらばじゃ、盛重」
「・・・・・・」
道盛は九郎を抱いたまま、部屋を去ると、そのまま旧小野寺の領地に、向かうのであった。
これにより、親織田である道盛派と反織田である盛重派の間で、内乱に陥ってしまうのであった。
葛西の領地には、お市が率いる本隊四万(武田六千、上杉三千、雑賀衆千を含む)が向かい、大崎の領地には滝川一益が率いる別働隊一万(北陸織田兵のみで構成)の兵を二手に分け、侵攻していた。
「姫様、どうやら伊達が、動くようです」
「そう、輝宗じゃ抑える事なんて、出来なかったんでしょうね。どうせ義光の事だから、忠告はしてるんでしょうけど」
冷酷な顔を崩さず、傍に現れた百地に対して、答える市。
「伊達は一万の兵を、援軍に出したようです」
「あらっ、相馬も佐竹も噛んでるようね。後方の憂い無しに、兵を差し向けるようね、伊達は」
「その様で」
「大崎も葛西に、五千の援軍を向かわせたようです」
「この葛西の地にて、あたしを倒す事を優先したか・・・まっそれしか手は無いわよね、あたしを討てれば、奥州征伐は頓挫するとの、勝算でしょうけどね」
「葛西も兵を掻き集め、三万もの兵を集めたようで御座います」
「それは、無理してるわね。殆どの民を動かしてない?」
「それもあるでしょうが、どうやら、織田に歯向かった者達が、奥州に逃げ込んでいたようで、葛西の地に集まっておるようです」
「ふ~ん、丁度良いわね」
「しかし、敵の兵数、侮れませぬぞ。まだ兵は増えておるようですし、織田は兵を分けた為、現時点でも、敵の兵力の方が多いですぞ」
百地は市に対して、懸念を伝える。
「無理やり増やした者は、減るのも早いわよ。それに、織田の追撃から逃げた者は、織田の恐怖が焼きついてるから、役に立つのかしらね?織田の兵をみても・・・そろそろ民は気付くわ、織田の奥州侵攻が、どの様な背景で、考えて行われているのか」
「それは、」
「近い内に、奥州の大名達は知ることになるわ。民の力を、そして償いを受ける日がね」
「!っ・・・」
冷酷な顔に笑顔を浮かべて話す市を見て、声が出せなくなる百地。
「姫様、あっあのう、」
「んっ?熊どうしたの?そんな顔して」
熊が、なんともいえない顔をして、市の前に現れる。
「それが、姫に会いたいと、赤子を抱えた男が参っておりますが、如何なさいますか」
「へっ?こんな戦場に赤子連れの男?誰よ?」
「はっ、名乗らず、ただお市様に会わせてほしいというもので、刺客かとも考えましたが、赤子の顔を見ると、何故か、その様な考えが、消えました」
「ふ~ん、熊がそう言うなら、害は無さそうね。興味が沸いたから、ここに連れてきなさい」
「はっ」
熊は市の命を受け、陣幕を潜り、その場から去る。
その後、熊に連れられて、赤子を抱えた男が、現れる。
「あらっ、本当ね、まだ生まれて一年位なのかしら?その子は」
現れた男が抱きかかえる赤子に、優しい視線になり、釘付けになる市。
「お目通り、適いまして恐悦至極。お市様の見立てた通りで御座います」
その場に土下座して、頭を下げる男。
「貴方は誰かしら?まっ検討は付いてるけど、念の為、確認しときましょうか?戸沢道盛と次男九郎」
「!っ何故お分かりに」
(ファ~ン)
道盛は驚き、顔を上げ、九郎は欠伸をしていた。
「織田の諜報を舐めてるでしょ、中々優秀なのよ」
市は、傍に控えていた百地に視線を向けると、百地が赤い顔をして、下を向く。
「九郎に従って、良かったのやもしれぬ・・・」
思わず、本音が口から、こぼれる道盛。
「貴方変わってるわね、そんな赤子が、物事を判断できるとでも思ってるの?」
首を傾げながら、道盛に話しかける市。
そんな市からの問いかけに、これまでの経緯を語る道盛。
「そう、この子がね・・・抱いても良いかしら?」
「はっ」
道盛から、赤子を受け取り、抱きあげると市に向かって、満面の笑みを浮かべる九郎。
「貴方の言った言葉に、偽りは無さそうね」
赤子の目を見つめながら、道盛に優しく話しかける市。
(ファ~ン)
「あなた、自我があるわね・・・何者なのかしら?」
(フキャ!)
欠伸をする九郎にしか、聞こえないような小さな声で、市は九郎に語りかける。
「そう、言葉が喋れる様になったら、あたしの元に来なさい・・・待ってるわ」
(フニャ)
「あの、九郎に何か問題でも、」
市と九郎が顔を近づけ、市の顔が真剣な顔になったのを見た道盛は、おそるおそる市に問いかける。
「いえ、何でもないわ。可愛い子ね。道盛、この子を大事になさい、そして言葉が喋れるようになったら、私の元に連れてきなさい」
「はっ」
「戸沢の件は、犬に伝えておくわ。盛重やそれに追従した者は、許す事は出来ないけど、貴方の味方は不問にしてあげましょう」
「有難き幸せ、、、」
「辛いでしょうけど、切り捨てなさい。それと九郎に感謝しなさい、この子のおかげで、戸沢の家名は残るんだから」
市は、そう呟き、赤子を道盛に渡すと、背を向け、夜空を見上げる。
「冬がくる前に、終わらせるわ」
誰にも聞こえない声で、悲しく呟く市であった。




