信長の心配
京にある近衛前久の邸宅に、市は数名の共を連れて、訪れていた。
「これはこれは、織田の姫君ではないでおじゃるか?麻呂に一体どのような要件なのじゃ?」
首を傾げながら、呟くように話す前久。
「ふふふっ、前久様にお願いが御座いまして、関白様がお忙しいのを分かった上で参りましたの」
「要件を言って貰わねば、分からんでおじゃる」
困惑した顔をする前久。
「では申しましょう。足利義秋が京より、退去し、姿を隠しました・・・将軍としての役目を放棄したと言えましょう。将軍職剥奪を帝に上申して頂きたい」
頭を下げて、頼む市を見て、前久はニヤついた顔をして話し出す。
「構わんでおじゃるが・・・」
「・・・タダでは動かないという訳ですか?」
「話がわかる方は好きでおじゃるよ」
「何をお望みで?」
「麻呂の荘園を取り戻して、欲しいのでおじゃる」
「余り、欲は出さない方が良いかと思いますが?」
「ならば、剥奪など上申しないだけでおじゃる」
前久はニヤついた顔を横に向けて、拒否する。
「義秋を連れて行ったのは、貴方が織田に紹介した宣教師が、連れて行ったのを知ってて言ってるのかしら?」
市は冷めた顔をして、前久を見つめながら話す。
「なっ・・・」
驚いて市の顔を見るが、顔を見た瞬間に、体を震わせながら、市の顔を見る事が出来なくなる前久。
「将軍職剥奪の件、それと織田信長に征夷大将軍の宣下及び、摂政、関白職の永久宣下を出して貰います」
「そっそのような、そのような事、出来る訳がないでおじゃろう!将軍職の件は麻呂がとりなすでおじゃる!じゃが、関白職は麻呂が受け持っておる職でおじゃる!麻呂に辞任せよというのでおじゃるか!」
「そうです・・・理解が早くて助かるわ」
「なんじゃと!関白、摂政職を永久宣下するなど、日の本の歴史上起こった事もない前例が無い!そもそも、関白職は帝の代行、摂政職は幼き帝の代行の職!藤原家、近衛家、鷹司家、九条家、一条家、二条家の者しかなれぬ!それを常に織田の物として永久に相続させるなど・・・朝廷を奪うつもりでおじゃるか!」
立ち上がり、激怒する前久。
「前例など、力の前では無力。消されるより、ましでしょ・・・それとも消されたいの?」
冷めた声で呟く市に、体を震わせて、首を左右に振り続ける前久。
「まさか織田は、帝すら蔑ろにするつもりか・・・」
「そんなつもりはないのよ・・・でもね、織田の政策に邪魔になれば、容赦なく消すわ」
「・・・・・・」
「だから、大人しくして欲しいわ。荘園とか言ってないで、ちゃんとお仕事も振り分けてあげるから・・・何もしないで暮らせるほど、甘くはないと思いなさい」
「長生きは出来ないでおじゃるぞ」
「そんなの分かってるわ・・・私はこの世界を変える、その為には使えるものは使うわ。この命すら賭けてね」
「・・・わかったでおじゃる」
肩を落として、頭を下げながら市の申し出を受ける前久であった。
朝廷から関白、征夷大将軍宣下を受けた織田信長は公家と武家の頂点に立つ事となった。
そんな信長は僅かな供回りと共に近江安土の地に来ていた。
「此処に新しき城を作る」
馬の上に跨ったまま、安土の地を指差しながら話す信長。
「なるほど、この地は京にも近く、日の本の中心に位置し、中々の場所と考えまする」
「十兵衛、お主もそう思うか・・・」
十兵衛の相槌に微笑みながら、答える信長。
「直ぐに手配を致しまする」
「うむ、この地に城が出来た時には、天下も殆ど収まるであろう」
「はい、その様に我ら、精進致しまする」
「十兵衛・・・また市に重荷を背負わせてしまった。あやつは自分が憎まれる事を進んでやりよる。今回の朝廷での一件も公家衆の恨みを買っておろう」
「・・・・・・」
「あの役は儂が行わねばならなかったはずじゃ・・・」
辛い顔をする二人。
「姫様の目指す物が私にも分かれば、手のうちようがあるのですが、余りにも奇想天外過ぎて、行われた後で理解するのがやっとなのです・・・申し訳ございません」
「良い、儂も未だに市の行動で分からぬ事も多い。しかし、市のやる事で間違っていた事がないのも確かじゃ・・・それが事態をややこしくする」
信長は不安そうな顔をしながら、十兵衛を見つめる。
「重要な案件は全て、お市様が率先して動かれますからな」
「織田は最早、市で回っておると言っても良い。市の考えた政策で軍に留まらず、政でも浸透した・・・新しき事を反対する者共を消して、進める事で速やかに浸透させた、その皺寄せを全て市が背負う事になった」
「お市様のお命、狙う者も多かろうと思いまする」
「猿が言いよったわ、市を狙う者が増えておるから警護を増やしてほしいとな」
「やはり・・・」
「今では儂を狙う者よりも、市の命を狙う者が多いそうだぞ」
「お市様は死にたいのかも知れませぬな」
悲しげに話す信長を見て、十兵衛は呟く。
「そうかもしれん、家康が叛意した際、本能寺に残りたいと言ったそうじゃ。それを皆に止められ、勝手に死ぬ事も出来ぬと悟ったようじゃ」
「それほどまでに・・・お辛いのでしょうな、姫様はお優しき方故」
涙を浮かべながら、信長の話を聞き、答える十兵衛。
「本願寺の一件から今に至るまで、あやつは前線に立ち、皆が嫌がる事を進んで行い、何一つ誇らない・・・逆に苦しんでおる。それが辛い」
肩を震わせて悲しむ信長。
「姫様にふれて、話をした者は救われる代わりに、その者が持っていた重荷を姫様が請け負ってございます。姫様の周りにおる者は軽くなった代わりに姫様を支え、命すら捨てる事に意義を唱える者などおりませぬが、姫様はそれを辛く感じるお方故」
十兵衛が辛そうに話す。
「織田の天下を、此処まで早く成し遂げれるようにしたのは、市が全ての問題を解決させてきたからじゃ、魔王と呼ばれてもそれすら使う市じゃ。これ以上、市に重荷を背負わせてはならぬ・・・その様に考え、動いてくれぬか十兵衛」
「言われずとも、その様に致します・・・」
二人は夕焼けの空を見つめながら、呟くのであった。




