市の立場
岐阜城の特別室に市は雉麻呂を呼び付ける。
「姫のお呼びと聞き、参ったでおじゃるが、なんでおじゃる?」
「雉麻呂、この文を持って氏康に渡して来てちょうだい」
市は雉麻呂に文を手渡すと、悲しげに微笑む。
「佐竹と里見の一件でおじゃるか?援軍は出せぬという文でおじゃろ?」
「よく分かってるわね」
「分かるでおじゃるよ、織田は領地に対して、動員出来る兵力が少ないでおじゃるから、民を緊急招集させれば・・・」
「それは出来ないわ」
「・・・・・・」
辛そうな顔をして話す市に、何も言えなくなる雉麻呂。
「民が戦に参加する事を認めないのが、織田の政策よ。戦は武士がするもの、民にさせれば、織田は大義を失うわ。日の本の存亡がかかっていれば、動員させるけどね・・・今は違うわ」
「徳川が・・・裏切るでおじゃるか」
本来であれば、家康に北条の援軍要請をすれば良いはずなのに、口に出さない市を見て、雉麻呂は懸念を口に出す。
「まだ、確定してはいないわ」
「・・・・・・」
市の心中を察して、沈黙する雉麻呂。
「もし、裏切れば・・・」
「家康の正室は儂の姪、姪の子なれば、儂にも縁はありますが、気遣い無用です。儂の事など気になさるな、姫の心中、良く分かっております。もし情けなどかければ、姫の目指す物の障害となりましょう」
強い視線で、市を見つめる雉麻呂。
「ごめんなさい、私は家康を改心させる事が出来ない。私の理想を実現する為に、生贄にしなきゃならない。私は傲慢で情け容赦の無い女・・・第六天魔王と言われても否定出来ないわね」
「そんなに自分を責めなさるな、姫の心を分かっておる者はおりまする。儂もその一人ですから、心配めさるな。儂が手を少し打っておきますので・・・姫の泣き顔は辛いです」
「ごめんなさい・・・ごめんっ・・・」
泣きながら話す市に、雉麻呂は背を向けて話す。
(何故、分からぬ竹千代。姫の傍でお主は何を見て、何を感じたのだ!)
誰にも言えぬ言葉を押し込め、雉麻呂の顔は憤怒の様な顔をしていた。
雉麻呂を北条に向かわせると、犬を呼びつけ、話をする市。
「兵は集まったかしら?」
「はい、山名討伐の兵は集め終わりました。直ぐに向かえますが良いのですか?信長様と姫様をお守りする兵がおりませぬが・・・」
「いいのよ、こうしないと動かないわ」
「やはり、姫様の感が当たるのですか・・・」
「まだわからないけどね、それに元就も裏切らないとは限らない。兄様や私が殺られたら手の平を返して来るわよ。気をつけてね」
「猿も危ないですな」
「いえ、あの子には官兵衛、半兵衛、直家がいるから大丈夫よ。もし兄様やあたしが殺られたら、天下を取るのは猿かもね」
「それはないよ、姫様・・・なっ」
笑いながら話す市の目が、笑っていない事に気付き、息を飲む犬。
「まっ冗談はさておいて・・・しっかりやってきなさい前田利家陸軍部将補殿」
「御意」
こうして各地に指示を出し終わった市は、信長と共に岐阜を出立し、京の本能寺に到着すると、公家や商人の相手をして、一息付いていたところに、市が柴田勝家と共に信長の前に現れる。
「んっ市?権六も二人して来るとは・・・まさか、お主らそういう仲なのか!」
「なっなっ・・・お館様、さっさようなことは、恐れ多く、しかしお市様さえ良ければ、この勝家一生大事に・・・」
「・・・殺すぞっ」
二人を見て、勘違いする信長、何故か真っ赤な顔をして動揺する勝家、切れる市。
「「・・・・・・」」
「兄様、今回は本能寺には宿泊致しませぬ、速やかに移動します」
震え上がる二人を前に市は冷淡な顔をして話す。
「・・・どういうことじゃ」
「竹千代が裏切りました」
「なっ戯言を申すな!言って良い事と悪い事の区別も出来ぬのか!」
素早く立ち上がり、怒鳴り散らす信長。
「戯言など申しませぬ、時間がありませぬ」
「お市様の申した通り、ご退去を・・・姫様の命にて兵の準備整っております」
「市・・・お主、儂に黙って動いたな!」
「お怒りは後ほど・・・どの様な罰も受けましょう。なれどここは離れて頂きます」
「くっ・・・引くぞ、権六」
「はっ、此方でございます」
信長は市を睨みつけるが、市の顔を見て悟る。
(こやつは、また重荷を背負うつもりか!此処まで用意されていれば、最早変わってやる事すら出来ぬ・・・)
市は信長の座っていた場所に座り、目を閉じる。
そこに二人の忍びが現れる。
「・・・駄目だったようね」
「徳川は元就様の策に嵌りました」
「お市様、お逃げくだされ。最早これまで・・・」
「お面、半蔵ご苦労でした。私はここで竹千代を待ちます・・・」
「「なっ!」」
お面と半蔵が驚愕して、市を見る。
「私の理想の為に、竹千代を犠牲にする。私も共に罪を償わなければ、ならないでしょ」
「「・・・・・・」」
悲しく微笑む市を見て、言葉が詰まる二人。
そこに三人の忍びが現れる。
「姫様、お逃げくだされ」
「姫様は約束を違えるおつもりか!」
「姫様は無くてはならぬお方、退去してください」
涙を流しながら、百地、藤林、望月が揃って頭を下げて、嘆願する。
「大丈夫です。後の事は、兄様がおります・・・私は疲れました」
頭を下に下げながら、呟く市。
「元就様のお言葉です。生きよ、と」
「姫様、この半蔵後悔などしておりません。お逃げくだされ」
お面と半蔵も市に嘆願する。
「私は・・・死ぬ事も、自分本位で決められなくなってしまったのですね・・・退去します。護衛しなさい」
「「「「「御意」」」」」
こうして市が退去すると、一刻後に徳川の軍勢が、本能寺を取り囲むのであった。
その後徳川の軍勢は織田の軍勢に囲まれて家康を除く、全ての武将は討ち死にし、降伏を願う兵が出ても降伏を認めず、全て撃ち殺されるか、切り捨てられた。
この惨劇は京やその周辺に住む人々に織田の恐ろしさを焼き付ける事になったのである。




