三人の師
市の元に子供達の勉強を教えている虎が、青い顔をして来る。
「姫様、私はもう駄目です・・・シクシク」
虎が泣きながら、市に向かって話し出す。
「どうしたのよ、一体」
市は驚きながら、虎を見つめる。
「もう、私はお通様に教える事がございません・・・」
泣きながら、話す虎を見つめて、市はため息をついた。
「あらっ・・・やっぱり」
「姫様は分かっておられたのですか」
「私が時々、通に勉強を教えてたでしょ?」
「・・・はい」
「それで、気付いてたのよ。あの子・・・物覚えが良すぎるとね」
頷くように首を上下に動かしながら、虎に話す市。
「なるほど、お通様は物覚えも良いのですが、この虎の知識ではお答えできぬ事が多すぎて・・・」
虎は目に涙を浮かべながら、呟く。
「まっそれに付いてはもう手を打ってあるわ。丁度、鶴も虎では手に余り始めると思ってたから・・・」
「それは私ではもうお役に立てないと・・・シクシク」
「違うわよ、鶴や通を普通の子と考えたら駄目よ・・・それに他の子は問題ないのでしょ?」
虎は涙を拭きながら、頷く。
「ゴシゴシ・・・はい、確かに他の三人は、まだ大丈夫ですが、手を打っていらっしゃると言うのは?」
虎は興味を持った目に変わり、市を見つめる。
「細川藤孝に歌道、千利休に茶の湯、師として希菴玄密を付けるわ。藤孝は少し忙しいから、そんなに教える時間は無いだろうけど、あの子達なら大丈夫でしょう。」
「なんと・・・あの御方達を付けるのですか!」
「ええっ、もう直ぐ時間だから、来ると思うけど・・・あっそうだ、鶴と通を此処に呼んできて頂戴、直に会わせるわ」
「はい、連れてまいります」
虎が素早く立ち上がり、部屋を出て行くと、立ち替わり、襖が開いて、熊が現れると来客を告げる。
「姫様、若狭国軍政長官細川兵部大輔藤孝様、堺特別顧問千利休殿、臨済宗大圓寺住職希菴玄密様がお見えになりました・・・どうぞ、こちらへ」
熊が藤孝、利休、玄密に市の前に行くように手で指し示す。
三人は入る前に頭を下げて、部屋に入ると市の前に座り、深く頭を下げる。
「我ら、三人が姫様に同時に呼ばれるとは、何かありましたか・・・」
藤孝が恐る恐る顔を上げながら、代表して疑問を市にぶつける。
「そんなに気構えなくてもいいわよ、こちらからお願い事をするのだから・・・」
微笑みながら、呟くように話す市に、顔を引きつらせる三人。
「お市様にお願いなど・・・何やら恐ろしいですな」
正直な感想を述べる玄密。
「御二方はお市様と面識がある様でございますが、この利休、初めてお会いするのに、お願いとは・・・」
利休も思っている事を口にした。
「弾正に茶の湯の指導を頼もうと思って話したら、貴方を推薦されたのよ。弾正が(私の湯など、利休殿の茶の湯の前では赤子の様な物)とね」
弾正の言った言葉を真似しながら、話す市。
「ほっほっほっ、よく似ておられますな・・・という事は茶の湯を習いたいとの仰せか?細川藤孝様には二条流歌道、希菴玄密様には教養で御座いますか?」
「あっ違うわよ、あたしじゃなくて二人の子供なのよ・・・もうすぐ来ると思うわ」
微笑みを増す市の顔に、不安を隠しきれない三人。
「子供・・・」
表情を顕にして、馬鹿にしたような顔をする藤孝。
「今から来る子供、甘く見たら泣く事になるわよ・・・あたしを凌ぐ程の逸材よ」
市が藤孝を冷めた目で見据えて静かに言葉を出して、藤孝は体を硬直させる。
そんな時に、虎が、鶴と通を連れて帰ってきた。
「この子達よ。紹介するわ、こっちが蒲生鶴千代、こっちが私の子、通よ・・・」
市に紹介された二人は市の左右に座り、頭を深く下げて、挨拶する。
「お市様にご紹介頂いた、蒲生賢秀が嫡男鶴千代と申します」
「母上に紹介されました、織田市が養女、通と申します」
二人が挨拶をすると、三人はその姿に見とれてしまい言葉を失う。
そんな中、市は明らかに機嫌が悪そうな顔をする。
「通、養女などと金輪際口にするな・・・貴女は実の子、良いですね」
「ああっ・・・」
市の言葉に体中をガクガクと震えさせて、引きつけを起こしそうになる通。
「姫様・・・客人がおられます」
慌てて虎が市に、呟くように注意する。
「客人がおるからこそ、あのような言葉・・・許せないでしょ」
部屋中が冷気に包まれた様になり、虎を睨むと虎はガクガクと震えながら、白目を向いて倒れた。
それを見た三人は恐怖を感じ、震えだす。
「まっいいわ、利休が先ほど言ったように、この二人に教えて欲しいのよ。あたしも教えているのだけれど、時間が余り取れなくて、長くは教えれないのよ」
困った顔をして話す市。
「先ほどの挨拶を見る限りでは、大変優秀なお子の様で・・・この利休、堺特別顧問の任を辞して、有り難くこの申し出お受け致します」
「拙僧も大圓寺住職を辞して、お二人の教育係を有り難くお受けいたします」
「若狭の事がありますので、私の意思で辞する事が出来ませぬが・・・出来うる限り、時間を作り、教えさせて頂きます」
三人がそれぞれ言葉を発すると、市は微笑みながら呟いた。
「この子達に貴方達の思いを、知識を、教養を全てを注ぎ、教え込みなさい。これは主命と言うよりも、次世代に繋げる義務だと心得なさい」
強い視線で三人を見つめ、言葉をかける市。
「「「御意」」」
こうして鶴と通の師となった三人は、二人の能力の高さと、物覚えの良さに、魅了される事になる。
後に茶の湯では、鶴が利休七哲と言われ、通は藤孝からは古今伝授を受けて古今伝授の太刀を貰い、継承する事になる。
希菴玄密はその生を終えて息が止まるまで、鶴と通をわが子の様に扱い、全ての知識を注ぎ込んだと言われる。
また通の文字は大変美しく、母である市の文字を剛の文字、通の文字は柔の文字と呼ばれた。(市の文字は大変美しくあったが、男のような文字と呼ばれ、通の文字は、女性を体現しているような美しさであったと伝わる)
その後、通は市の代筆をするようになると、市が仕事をする際には、常に横で記載する姿があったという。




