伝える義務と権利の主張
信長は武田から没収した信濃、上野に織田の政策を浸透させる為に、丹羽長秀を信濃国軍政長官、河尻秀隆を上野軍政長官、として派遣したが、信濃、上野の豪族、地侍は不満を顕にし、真田一徳斎(幸隆)が代表として岐阜に訪れた。
一徳斎は信長に拝謁し、現状での不満や不利益などを直言して、信長の勘気を受ける。
その後、怒りの収まった信長は市に一徳斎を諭す様に依頼。
市はそれを了承して、二人は対面することになる。
「貴方が信玄の知恵袋と言われた真田一徳斎なのね」
市は目の前に座る幸隆を見つめ、話しだした。
「お初にお目にかかる、真田一徳斎に御座います」
深々と頭を下げて挨拶をする一徳斎。
「兄様に直言したんですってね、中々出来ることじゃないわよ。攻め弾正の名は、伊達じゃないってとこかしら」
市は笑顔で話しかける。
「言いたい事、今ある状況を捻じ曲げて、報告したところで問題の解決にはなりませぬ。我らは信濃、上野に長くから根付き、先祖代々の土地や民を守ってきた自負が御座いますれば、織田の政策に同意する事など、現状では出来ませぬ」
静かにそれでいて力強く話す一徳斎。
「なるほど、兄様の勘気を受けても、そこまで萎縮せずに、堂々としていれるとはね。兄様が気に入って、あたしに諭すようにお願いに来る訳だ。あんたの言ってる事は正しくもあり、間違っているとも言えるわ」
市は話し終えると、手元にあった茶碗を取り、喉を潤す。
「正しくもあり、間違っていると仰せになりますか、ならばその問をお願いしたい」
鋭い視線で市を見つめる一徳斎。
「皆が貴方の様な者ならそれでいいけど、そうじゃないでしょ?それに貴方の命は有限よ。未来永劫に続くものなど無いからこそ、その時を必死で生きて、努力して、頑張れるのよ。だから作り上げたもの、守ってきた思いを子や次世代の人に伝え、未来に思いを繋げる義務がある。遺してくれた者に感謝し、思いを裏切らない。これが人の本質であるべきだと織田は思ってる」
「・・・・・・」
「でもね、世襲制は怠慢を引き起こし易いのよ。ちゃんと子を養育して、思いをしっかりと伝えれば、そんな間違いは起こりにくくなるわ。でもね、養育を怠り、思いを伝えれなかったら、どうなると思う?血や家柄だけで判断するのはとても危険なの。先祖の遺したものに胡座をかき、努力を怠り、力量も無いのにその地位に居座る・・・乱世を引き起こした元凶よ」
「・・・なるほど」
「貴方達が権利を主張する前に、それに見合う力を見せなさいと、言ってるだけなのよ。出来ないなら認めない、今まで行ってきた事、その結果を織田は見て、判断して、処分を下してる。それが不服なら・・・消すだけよ」
市は静かな顔に変わり、冷たい声で話す。
それを見た一徳斎は全身が凍るような錯覚を覚えた。
「・・・お館様が負ける訳だな」
心の中で思う、見ている物が違うと・・・一徳斎は頭を落とし、呟く。
「これでも大分譲歩してるのよ。人は直ぐには、変われない生き物ですもの、変わろうと努力する者には、機会を与えるわ。でも妥協はしない、民が泣けば、身内であろうと容赦なく消すわ」
市の言葉を聞いて、恐怖の余り意識を失いそうになる一徳斎。
「・・・お市様、信濃上野の説得は其れがしが一命を賭けて行いまする」
深々と頭を下げると、市は微笑んで、優しい声で一徳斎に語りかける。
「期待してるわ、一徳斎」
その笑顔と声を聞いて、一徳斎は顔を赤らめて、無意識に言葉が出る。
「御意!」
こうして一徳斎は帰国し、信濃上野の豪族達を速やかに説得した。という事を聞きつけた信玄は、直ぐに一徳斎の次男と三男で、己の元に残った昌輝、昌幸を連れて、一徳斎の元に向かう。
「一徳斎、信長様とお市様にあってきたそうじゃな・・・どうであった」
信玄はにやりとした顔を浮かべて、話し出す。
「中々の人物で御座いました、しかし・・・お市様は別格で御座いましたな。天魔のようでもあり、菩薩のようでもありました」
「そうか、お主もそう思ったか」
一徳斎と信玄は共に真剣な顔つきになる。
「あのお方は、我らと見ている物が違います。遥か先を見据えておられる、それでいて、近くのものも疎かにはされていません。これでは勝てませぬな」
「儂も勝てぬと思ったわ、この裏切りを繰り返してきた儂が、お市様にだけは逆らえぬと感じたわ」
「それが良うございます。亡き義信様の先見の明、見事で御座いました。その事が悔やまれてなりませぬ」
頭を下げて、涙を流す一徳斎。
「儂の不徳じゃ、義信が残してくれたこの武田・・・しっかりと守り、意思を伝えていく事こそが、義信の供養にもなろう」
信玄はしっかりとした顔をして強く発する。
「信綱、昌輝、昌幸よく聞け、織田は民を考えた家柄じゃ、時代は変わる。我らも民の心を知り、寄り添う様に精進せねばならぬ。特にお市様に養育された者や、お会いして影響を受けた者は、民の為に命すらかける者が出てくるじゃろう。儂ですらお市様に惚れ込んだ、お館様もかのう・・・機会があればお会いし、短くても良い、言葉を重ねて見よ。儂の言葉以上の物を得ることが出来ようぞ」
「「「はい」」」
親子の会話を静かに、隣で聞いていた信玄は、己の子や家臣達に、思いを伝える育成を、しなければならないという義務を感じていた。




