義信の覚悟
少し時を遡った甲斐国、躑躅ヶ崎館の内部に新居を構えた場所で男女が話をしていた。
「父上は織田との戦は回避して、お主の故郷である駿河を攻めるおつもりじゃ、儂には駿河侵攻を止めることは出来ぬ・・・梅、すまぬ」
「いえ、義信様が私の事を思い、そのように仰っていただけるだけで、十分で御座います」
俺は梅に謝罪して、本音で話し出す。
「父上が織田との戦を回避するのは分かる。織田は大きくなった、武田だけでは太刀打ちは出来ぬ。本来であれば、周辺国の助力を得て、織田に立ち向かえれば良いのであろうが、それは不可能じゃ」
「・・・・・・」
「今までの盟約破りがここに来て、武田家に重くのしかかってきた。誰も武田に合力などすまい。妹の嫁いだ北条も例外ではないと、父上は思ってしまっている。そうなれば、打てる手は自らで切り開くしかない」
「・・・・・・」
梅は静かに俺の話を聞いていた。
「今川を飲み込み、駿河を得れば、甲斐は助かる。しかし・・・それを素直に受け付けぬ者がいるのも確かじゃ。父上は民や家来を大事に考えてきた、それ故粛清するには、身内の人柱が必要じゃ。そうせねば、織田に下った後にその点を突かれる」
「・・・殿」
梅は辛そうな顔をして俺を見る。
「儂は反織田派の人間を道連れにして、武田の人柱にならねばならぬ。どのようなことになろうとも、我が父を恨まないでくれ。本来、父上はお優しい方なのだ。民の為に心を鬼にする事が出来る・・・不器用な方なのだ」
俺は覚悟を決めて、梅の顔を見つめる。
「殿、私もお供しとうございます」
梅は泣きながら、俺を見つめる。
「ならぬ・・・達者で暮らせ」
俺は立ち上がり、泣き崩れる梅を後にして、部屋を出る。
そこには一人の男が片膝を付いて頭を下げていた。
「爺か、聞いておったのか・・・」
爺と呼ばれた飯富虎昌が頭を下げながら、話し出す。
「はい、若をお諌めしようと思い参りましたが、必要は無かったようで・・・」
「爺すら騙さたのであれば、誰にも分からぬであろうな」
俺は微笑んで爺を見つめる。
「この爺が育てた若は、立派になられておられました。爺は嬉しゅうございます」
泣きながら下を向く爺。
「共に死んでくれるか?」
俺は優しく爺に問い掛ける。
「無論、何処までも若と共に参りましょう・・・」
強い視線で俺を見つめる爺。
「では、武田の掃除をするかのう」
その後、義信は反織田派の家臣を纏めると、信玄暗殺の計画を立て、飯富源四郎のちの山県昌景に密かに信玄に知らせて、義信を含む反織田派は、信玄側に全て捉えられて、斬首となった。
その後、体制を立て直した信玄は、兵を集めて駿河侵攻を開始する。
武田の駿河侵攻を報告した後に、宇喜多直家の対応を任された猿は蜂と共に岐阜を出て、播磨の姫路城に到着していた。
「半兵衛殿、官兵衛殿、播磨の状況はどうなってるがや?」
「木下様ではないですか?お市様のお使いで御座いますか?播磨は今、混沌としておりますぞ」
気楽に話しかける猿に返事を返す半兵衛。
「姫様が毛利の手が入ってくるじゃろうと仰ってな、儂と小六が助太刀に来たというわけだがや」
ふんぞり返り偉そうに話す猿に、官兵衛は嫌な顔をして話し出す。
「まさか・・・お二人だけで御座いますか」
「そうだがや、姫様は山陽には織田の兵は使わぬとの仰せだぎゃ」
「なっ!我らだけで山陽を落とせと仰るのか!」
官兵衛は顔を赤くして叫ぶ。
「流石は、姫様で御座いますな。我らを試そうとなさるとは腕がなりますな・・・そうであろう官兵衛殿」
半兵衛は涼しげな顔でそう言うと、官兵衛の顔を見つめる。
「何を悠長な!織田の兵が無くては、戦が出来ぬではないですか!」
官兵衛は半兵衛に言葉で噛み付く。
「兵が居なくては戦に勝てぬなど、兵法者とは言えませぬぞ。この山陽はここで治めろと姫様は仰りたいのでしょう」
半兵衛は自分の頭を指で叩きながら、官兵衛に話しかける。
「あっそうじゃ、姫様からの伝言で小早川隆景、安国寺恵瓊をやり込めろと仰ってたぎゃ。儂は宇喜多直家を相手にせねばならぬのじゃが・・・姫様の人使いの荒さは今に始まってはおらぬが、辛いがや」
鼻を掘じりながら、話す猿。
「では姫様があの方の相手をなさると言うのですね」
「当たりだがや。でも今は武田が駿河に動いて、姫様も忙しそうじゃからな。暫くは当てにはできないと思うぎゃ」
なるほどと頷く半兵衛と、猿の会話を聞いて、驚く官兵衛。
「武田が駿河に侵攻するとは!三国同盟を破るのか信玄は・・・」
「武田に残された道はそれしかなかった様に見えさせられたのでしょう。座すれば、織田に飲まれる事は明白。しかし、それは相手に読まれすぎている事に気付ない方では無いのですがね。そこが姫様の恐ろしい処、相手の視野を狭ませる才能がある。信玄も知らず知らずに、姫様の策に囚われたか」
半兵衛が顔色を悪くして、呟くように話し出す。
「顔色が優れませぬな、半兵衛殿が仰った姫様の怖さ、分かるような気が致します」
「自分の力が出しきれずに策に嵌るのです。これほど恐ろしい事が有りましょうか、女というだけで軽く考えるこの世の認識すら使い、相手を策に嵌める。それを一番良く分かっているのは姫様ご自身・・・そして信長様も分かっている」
「・・・勝てぬ」
官兵衛は一言呟くと下を向いて、体を震わせた。
「それが分かっていても、嵌るのじゃから、たちが悪いぎゃ。男と思って相手にしても、それを逆手にも取るからどうにもならないぎゃ・・・」
「うむ・・・」
猿と蜂も体を震わせる。
「まっ姫様の事はそのくらいで、今後の播磨と山陽の事を考えましょう」
半兵衛がそう呟くと三人は頷いた。
「小寺の殿はどうやら、別所、赤松と手を結ぶようで御座います。裏で安国寺恵瓊が動いているとの事、山陽で織田派の人物は皆無かと・・・」
「宇喜多はどうなってるぎゃ?」
官兵衛に問い掛ける猿。
「宇喜多家は三村に押されて防戦一方、小寺が支援しておりましたが、毛利に付くとなれば孤立無援になるかと」
「そうなれば、直家は毛利に付くか・・・」
猿は頭を抱えて蹲る。
「しかし、三村に対して並々ならぬ遺恨がある様子。毛利の元で、共に轡を並べて、共闘しようなどとは思わない御仁で御座いましょう。そこに付け入る隙があるやもしれませぬぞ」
半兵衛が猿に話しかける。
「まずは会いに行ってくるがや。会わねば、分からないぎゃ」
「それは姫様の受け売りですか?」
そう言って微笑む半兵衛と頭を掻きながら照れる猿がいた。
武田義信の妻、嶺松院の名前が分からなかった為、「梅」としています。
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