長政の失態
近年、急激に勢力を伸ばしている大名・・・織田家。
父信秀が死去するとすぐに信長は当主となり、織田信友を攻め、弟信勝を謹慎処分として、尾張を平定。
余韻冷めやらぬ状態で起こった、美濃内乱に介入し、瞬く間に美濃をも手中に収める等、古今東西見渡してもありえないことを起こした人物。
普通、国を統一する事や国を奪う場合、兵を使い、ぶつけ合う事で、国を奪い、治める。
大戦を起こせば、国力の低下や経済、生産が低下するはずが、織田家は大きな戦にはせず、国を奪い、治めた。
当主信長の力量が優れているとも言えるが、影の立役者が居ると風の噂で聞いた・・・信長の妹、市。
私がいるこの北近江と、織田が手に入れた岐阜は隣接している。
織田が治めている尾張、岐阜の国力は低下するどころか、逆に上がっている。
次に目指す国は伊勢か浅井の治める北近江しか考えられん。
是非とも、織田とは友好を結ばねばならない。
同盟国である朝倉に考慮して、父上は難色を示しているが、織田の勢い、無視は出来ぬ。
南近江の六角との火種を持つ、この浅井には織田との戦、避けなければならぬ。
このような背景で私は織田家との婚姻同盟を希望した。
しかし、織田からの返答はのらりくらりと受け流され、同盟は結べたが婚姻までは漕ぎ着けない。
焦っていた私は父に隠居を強要し、当主となると直ぐに、岐阜に向かい、あの方を迎えに行った。
あの時の浅はかな自分を罵りたい・・・
もう手に入ることはない、あの方を手に入れられなかった事が、私の生涯で悔やみ続けることになろうとは・・・
今、隣で眠る犬に不満などない。
私には過ぎたる嫁であり、愛してもいる。
北近江、織田と共に滅ぼした朝倉の治めていた越前を手に入れ、子にも恵まれた。
織田と手を切り、朝倉と運命を共にしていたら、このような平穏な時を迎えてはいないだろう。
あの方が僅かな供回りで、この小谷の城に訪れ、諫言して下さった事。
あの涙と共に発せられた覚悟と想い、最高の女性であった。
あの方を手に入れる事が出来たであろう好機を、自ら手放した事にただ悔いが残っているだけだ。
あの方を嫁に迎えて、織田と共に歩んでいたとしたら・・・
私は今、与えられている現状ではなく、もっと素晴らしい世界をあの方と共に見れたのではないかと思ってしまう。
俺は寝室を抜け出し、庭に出る。
夜空を見上げていると、後ろに人の気配を感じた。
「殿、夜風は体に毒ですぞ」
「んっ、直経か・・・」
俺は声をかけてきた直経に返答した。
「お市様の事を考えておりましたな」
直経が俺の背中越しに話しかける。
「ふっ、お前には隠し事は出来ぬな」
俺は困ったような顔をして振り返り、直経に答える。
「あの方を手に入れられる機会があったのは、殿だけで御座いましたからな」
直経は俺を強く見つめる。
「・・・・・・」
俺は何も答えられなかった。
「これから先、あの方を手に入れられる方は現れぬでしょう。もうそのような話では無いのかもしれませぬ」
直経は諭すように俺に話しかける。
「もし、私があの方を手に入れていたとしたら、私にも天下の目があったと思うか?」
俺は真剣な目で直経を見ながら、問い掛ける。
「無いでしょうな、あの方は信長様を裏切りませぬ。殿を天下人にする事を、あの方は考えぬでしょうな」
直経は微笑みながら、俺に話しかける。
「そうだな、愚問であったな。信長様と私を天秤にかけなくても、分かることか」
俺はそう呟きながら、悲しげな顔をしながら、上を見上げて星空を見る。
「殿はそれほど姉上が好きなのですね・・・」
不意にそんな声が聞こえた。
「なっ!犬・・・」
俺は慌てて、声がした方に顔を向ける。
「良いのです、分かっておりましたもの。殿で無くとも、私も姉上が大好きでございますから・・・ただ嫉妬はしてしまいます」
そう言って、生まれたばかりの子である茶々を抱いて、頬を膨らませる犬。
「殿、急用があるのを忘れておりました。お方様、其れがしは失礼いたします」
直経はそそくさと逃げていく。
「なっ!まっ待て直経っ・・・」
声を掛けるが、それよりも早く逃げ出す直経の後ろ姿を見ながら、俺は動揺していた。
「でも、私には姉上に勝っている事も御座いますのよ」
そう言って、俺に微笑む犬。
「・・・・・・」
俺は犬を見ながら、沈黙していた。
「万福丸と茶々が私には居りまする、殿に愛された証が御座いますもの」
抱いている茶々を見つめながら、微笑む犬
「そうであったのう・・・」
俺は犬に近づき、抱いている茶々を撫でる。
「あっそうでした。殿、市姉上様から文が来たのですよ」
犬が思い出したような顔をして、俺を見つめる。
「なっ!それは重要な事ではないだろうな!」
俺は慌てて犬に問い掛ける。
あの方からの手紙等、重要な要件でしかないと考えてしまったからだ。
「なんでも、東北奥州平定の際、子が出来たそうで、その子の事でございました」
犬は淡々と話す。
「えっ!お市様がお子を産んだのか・・・」
俺は肩を落として、急激に落ち込んでいた。
「違いまする、伊達の赤子を頂いたそうでございます。その様に落ち込まれると犬は悔しゅう御座います」
犬は先程までの笑顔が消えて、ふるふると震えながら、怒りを抑えているようだった。
「なっ、そうであったか・・・良かった」
俺は立ち直り、思わず口に出した言葉で、更に犬の機嫌を損ねたようだ。
「良かったなどと、もう知りません!」
俺に背を向けて怒りを露にする犬。
「すまぬ、すまぬ、戯言じゃ。私は犬が好きであることは変わらぬ、許して欲しい」
そう言って俺は犬に謝罪する。
「もう、殿は相変わらずですね。でも市姉上もお年を召されてしまい、お子など難しくなりました。伊達の子とは言え、姉様が乳も与え、育てているお子なれば、きっと良いお子になるでしょう」
犬は少し、機嫌を直して俺に向かって話しだした。
「へっ?赤子を産んでおらぬ、お市様が乳を上げるなど出来るのか・・・うらやまっ」
俺は最後の言葉を聴こえない様に話した。
「何やら不思議な事に、乳が出たそうですの。それで私達に女の子が出来たら、嫁に欲しいと書いておりましたの。でも・・・羨ましいとはなんですか!」
犬は顔を赤くして俺を睨む。
「うっ・・・お市様のお子は名はなんというのじゃ?」
俺ははぐらかそうとして名前を聞く。
「もう・・・梵天丸と言うお子だそうです」
犬は諦めた様な顔をして呟くように話す。
「そうか、梵天丸か。良い名じゃ、では茶々をその子の許嫁とするか」
「そうなれば、浅井と織田の縁も深くなりましょう。しかし・・・寂しくもありますね」
そう言って茶々を撫でる犬。
「子ならば、今からでも沢山出来ようぞ。嫌というほど、作ってみるか犬」
「もう、旦那様ったら・・・」
赤い顔をして俺に項垂れるように寄り添う犬。
暫くはご機嫌をとらねばなるまいな・・・と思う長政であった。




