2.6 熊さんとお婆ちゃん
熊さんの手を取り、人が多く歩いている通りを進む。
「むぎゅー!」
「うぎゅー!」
「うきゃー!」
あまりにも人が多すぎて身長が小さい私は芋洗い状態で右から左、たまに蹴られそうになっている。
いっそのこと竜形態で吹き飛ばしてくれようかと物騒なことを考えてしまう程前に進めなかった。熊さんがいなければ前ではなく、人波に流されて後ろに戻っていたことは想像に難くない。
「うきゅー」
「ったく」
ひょいと持ち上げられた。腰に手があたっていて少々こしょばゆい。微妙なむず痒さを感じて口をもごもごと動かした。
「どした?」
「うー、せなかにのせて」
「あん?」
「おんぶ」
「…………ほらよ」
熊さんは文句を言いたそうだったが素直に私を首後ろに乗せてくれた。熊さんの身長は通常よりも高いらしく、さらにその上に乗っている私からはみんなの頭が下に見える。
肩車状態で改めて通りを見た。人の波とは言ったもので、文字通りの波を彷彿とさせるほど波打ち動いている。
「人おおいね」
「あ? 少ないほうだろ?」
「ううん、おおいよ」
泉に比べれば数百倍どころか数千、数万倍だ。うん、やっぱり多い。
熊さんの首は毛で覆われていて触った感じが絨毯みたいでちょっと気持ち良い。竜形態の体毛も気持ちよかったけど、やっぱり自分のより他人の方が触っていて安心する。
それから町の事、熊さん自身の事を聞きながら町を歩いた。
「着いたぞ、ここがそうだ」
「ありがとー、とう」
熊さんの首から飛び降りる。飛び降りた位置がちょっと高くて足がじんじんと痛むが直ぐに引いた。
若干の涙目で目的地を見る。
そこは大きな屋敷だった。よく言えば歴史を感じる風貌であり、悪く言えばぼろい屋敷。けれど、宙に漂っているマナは心地よい場所と教えてくれる。
「それにしても本当にここであってるのか?」
「う? ちがうの?」
「紙に書いてあるのはここで間違いないんだが……領主様のご隠居に用とはお前一体何もんだ?」
言って良いのかな? と少しだけ悩むけど、熊さんは良い人だから話しても問題ないと判断する。
「せいれい」
「は?」
「わたしせいれい」
「…………は?」
「むーしんじてない」
「いや、信じてないってお前。信じられる限界を遙かに超えてるっつーか。は、マジか?」
「うん」
「精霊の名を騙るのは重罪だぞ?」
「そうなの?」
「ああ。首斬られるか死ぬまで働かされるかだ」
「へー。それでもわたしせいれいだよ?」
「……マジ?」
「しつこいよ?」
「いやだってよ。精霊様っているのは知ってるが秘境の奥地から出てこないって聞いてるんだが」
「それ水と火と光の姉さん。ほかの姉さんはいろんなばしょにあそびに行ってる」
「……常識が崩れる音が聞こえるぜ」
「かしこくなってよかったね?」
「……ありがとう」
目頭を押さえて空を仰ぐ熊さん。その目にはうっすらと涙が見えた気がする。
常識が崩れる時って意外とあっさりと来るものだから安心して、と実体験踏まえ忠告しようと思ったけど、止めて肩を叩く……ことは出来ずにふくらはぎをぽんぽんと叩いた。
改めて熊さんを起こして屋敷の中に入る。
大きな門を開き中に入る。本当は門番が必要らしいが家人が知らない人を家に入れる事を拒絶したためこのような形になっているらしい。
何で知ってるの? と熊さんに聞くとこの町に住んでて知らない奴はいないと返ってきた。
それでも最低限のお世話係……メイドや執事はいるらしく最低限の見た目は取り繕ってあった。それも併せて屋敷は趣のある風貌になっている。
「こんな辺鄙な所に何の用だい?」
屋敷の扉前に行くと声が上から聞こえた。
熊さんから「ご隠居」と呟いた声が聞こえたので、声の主がその人だろう。顔を見ようと見上げる。
二階の窓から覗いている人影が見えた。光の加減で詳しい姿は見えない。
「ご隠居、あんたに客だ」
「お客? 何も聞いていないよ。何処のどいつだい?」
「ここの嬢ちゃんだ。精霊らしい」
「……本当かい?」
「かもしれない」
「確証なしかい。まあいい入りな。だがベーリアスあなたは駄目だよ」
マナが動いたのを感じ、扉が勝手に開いた。執事的な人が開けたのかと思ったが扉の後ろには誰もいない。
「くまさんありがと」
「おう気にするな。つか熊じゃねーよ」
さっき初めて知った熊さんの名前を言う。
「べりあーす」
「ベーリアスだ」
「べりーあーす」
スペルにするとvery earth。とても大地。意味が分からん。
熊さんは深くため息を吐くと「くまでいい」と肩を落とす。背伸びをすれば何とか肩に手が届きそうだったので、つま先立ちで何とか肩を叩く。
熊さんとはここで手を振って別れた。改めて屋敷の中に入る。途端に扉が閉まった。
ホラーゲームでこんなシチュエーションがあった気がする……。
少し肝が冷える。今の私ならお化け程度なら仕留める事は簡単だけど、やっぱり怖い雰囲気は恐怖を感じる。
「ぴー!」
恐怖を振り切るように叫ぶ。うん大丈夫。
気合いを入れた直後、どこからともなく声が聞こえる。
「地下に来な。そこを右の通路に下に向かう階段がある。そこを降りて真っ直ぐだ」
風のマナに頼んで声を運んだんだろう。これは大丈夫、怖くない。
言われた通りに歩を進めると階段があり下る。通路は石で出来ており上を歩くとかつ、かつ、と乾いた足音が廊下に響いた。やっぱり怖いものは怖いもので、内心怯えながら慎重に足を進めている。
怖い以外は特に問題なく進み、通路の先には扉があった。
「うにぃーー!」
力を込めて扉を押す。人形態では見た目通りの力しかないので扉一つでもとても重い。しかも金属で出来ている重厚な扉だったらしくさらに開けにくかった。
やっとの思いで開いた数センチの扉に手をかけて体重を乗せ、再度開く。
「うにゃーー!」
扉一つにすごく時間をかけてやっとかっと子供一人分通れるくらい開けることが出来た。
体を滑り込ませ中に入る。
中は一言でいうなら研究室のようだった。ビーカーやフラスコ、試験管等あっちの世界の実験道具はもちろんSFの世界でしか見たことがない巨大で透明な筒。中には化け物……ではなく水で満たされているだけだった。
ほっとした。
「こんな小さい子供が精霊だって?」
「う?」
風のマナに運ばれた声、ではなく本物の声が聞こえた。声は先ほど入ってきた扉から聞こえたので後ろを振り向くと年老いたお婆ちゃんが杖を突いて立っていた。
腰を真っ直ぐにこっちを見る目は厳しく思わず謝りたくなってしまう。
「それで一体何の用だい? この私を訪ねてきたんだ。用が無いわけじゃ無いだろう?」
震える体を諫め、水のお姉ちゃんから渡された紙を差し出す。お婆ちゃんは紙を乱暴に受け取ると、さっと視線を巡らせ、目を大きく見開いた。
「こりゃ驚いた。あんた本当に精霊様かい」
「う、うん。お婆ちゃんは?」
「あたしかい? あたしはラフラさ。何十年も昔に水の精霊様に認められた水の担い手の一人さ」
「らふら?」
いつだったか水のお姉ちゃんから聞いたことがある。
昔泉に来た少女で、もの凄くお転婆で高飛車だったけれど、心が綺麗な女性だったって。そして水のお姉ちゃんの数少ない親友だって。
「らふら。水のお姉ちゃんのしんゆう?」
「あら、水の精霊様がそう仰ったのかい?」
張り詰めた表情から一変、途端に嬉しそうに聞いてきた。頷くと、さらに破顔して喜んだ。
ん?
彼女の周りのマナが嬉しそうにくるくると回っている。よく見るとマナは水のマナだ。
水のマナが存在している。そのことに気づくと周囲の器具が何のためにあるのかが朧気に分かった。
先ずは地下室。これは水が蒸発するのを防ぐのと少々肌寒い室温を保つため。
次にあの巨大な筒。あれはおそらく泉の水。もしくは限りなく近い何か。
実験器具についてはマナを濃縮するためかな?
それらが水のマナにとって心地よい空間を作り出していた。
実験器具に視線を送っているのに気づいたのかお婆ちゃんは、
「ああこれかい? これは過去の実験のなごりさ。もっとも成果は何もなかったがね」
悲しそうな顔で実験器具を触る。触るというよりは撫でるように優しく触れていた。
「せいか?」
「水のマナを凝縮すれば水の精霊様の力が及ぶ領域を作り出せるんじゃないかってね。結果は駄目だった。水のマナを感じることは出来ても集まりゃしない。本当、精霊様ってのは面倒なつくりだね」
「んう?」
「難しかったかい? ようは水の精霊様と自由にお話できる道具を作ろうって思ったのさ」
「おお!」
リアル携帯電話。あるいはテレパシー。それがあれば何時でも何処でも水のお姉ちゃんと話が出来る!?
溢れんばかりの期待を込めて尋ねる。
「あるの!?」
「さっきも言っただろう? 出来なかったって」
「……」
期待していただけにしょぼーんですよ。しょぼーんですよ。大事なことだから二度言いました。それにしても上げてから落とすとはこのお婆ちゃんただ者じゃない。
「はは。水の精霊様と親密な関係って事だけはあるね。落ち込み方がそっくりだ。…………本当懐かしいね」
「かなしいの?」
精霊の力を使わずとも伝わってくる悲しい感じ。お婆ちゃんの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「ああすまないね。歳を取るとどうしても涙もろくなってしまって。……もう大丈夫さ」
「なきたいならないてもいいよ?」
「いや遠慮しておくさ。女の涙は安くはないのさ」
お婆ちゃんは目頭をこすり顔を上げると、始めに見せたような厳しい顔になった。
「水の精霊様のご依頼確かに拝見致しました。私はこれを受諾しあなた様を支援しましょう」
「う?」
「あんたの手助けをするって言ってんだよ」
「おお」
こうして私は拠点と協力者を得た。
ひとまず今週分はこれで終わり。次はまた来週の日曜を待っててください。
たぶん、おそらく、メイビー、掲載します。