2.4 初めての町一歩手前
泉を離れる前に水のお姉ちゃんから一枚の紙をもらった。この世界における紙類は少々高いため、必要な時以外は口約束で済まされる事が多い。
そんな事もあるため水のお姉ちゃんが紙を渡してきたことに驚いた。
「しばらくは北東にある町を拠点にすると良いわ」
と、それだけ言って泉に消えた。まだここに居たいと心残りはある、そんな未練を振り切って森を駆けた。
万物の泉周辺の森は深く、知らない人が中に入れば二度と出ることが出来ないか、数週間かけてようやく外に出ることが出来るほどだ。けど道を知っていれば半日で抜けることが出来る。
精霊としての力。思考や感情の送受信。それを脇道に生えている大きな木に使う。
「道おしえて」
――ここを真っ直ぐ行けば森を抜けられるよ
「ありがと」
お礼に水筒を取り出して泉の水をかけてあげる。木は味わったことのない未知の水に歓喜し、ざわめいた。
私はそれを眺めてから言われた通りに足を進める。それを何度か繰り返した頃、ようやく森を抜けた。
「でたーーーー!!」
私はこのとき初めて世界を見た。
今までの私の世界は泉とその周辺だった。もっと詳しく言うなら水のお姉ちゃん、泉、森、草、魔物が私の世界だった。それが空は葉ではなく本当の空が広がり、水気を帯びた風ではなく乾燥した風が頬を撫でて、見えなかった月が二つも浮いている。
今は夜の為、周囲は暗いが月明かりが地面を照らしている。地球と比べると小さく見える月だが、二つもあるので明るさはこっちの方が明るく感じる。
「う、そうだ。……そなー」
初めて見た世界に浮かれていたが、気を引き締め、先ずは状況の把握を始める。ソナーで周囲に魔物がいないか、あるいは人がいないが確かめる。ソナーに込めるマナを少し多めにし広範囲をカバーする。マナの質を高めれば生物だけじゃなく植物さえもわかるけど、今は意味がないからしない。
マナが森の中で使ったソナーよりも広範囲に広がる。
「……あんぜんかくほ」
少なくとも一キロ以内に魔物や人はいない。けど油断はできない。オオカミなんかは速度が速いため五百メートル程度は十秒もあれば詰めてくるため、少し余裕がある。
そのためちょっと工夫。範囲を百メートルに短くし、ソナーを五秒ごとに発射する。五秒待つのは使用したマナが回復するのが五秒だから。今使ったソナーが回復するには五分ごとかかるから五分後行動を開始する。
それまでちょっと休憩。
空を眺める。空にあるのは星と二つの赤と青の月。ふと水のお姉ちゃんが教えてくれた双子月にまつわる物語を思い出した。
世界にまだ月が一つしかなかった頃、二人の姉妹がいました。
一人は赤髪の激情家。一人は青髪の冷静家。
相性が悪いはずの二人は反対にとても仲が良かったのです。
赤髪が魔物を倒すと告げ森に入る時は、青髪が必要な道具と戦略を用意し。
青髪が人を助けると告げ町に行く時は、赤髪が護衛として常に近くに寄り添う。
常に一緒に行動する二人を人々は『赤青の満月』と呼ぶようになりました。
噂を聞いた精霊は二人に興味を持ちました。
月日が流れ、精霊はまた噂を聞きました。
曰く、赤青の満月が近くの村に居ると。
精霊は二人に会いに村に赴きました。
訪れた村は火に包まれていました。
血、火、瓦礫、悲鳴が至る所に広がっています。
村には山賊、盗賊、野盗、強盗がいて、人が人を襲っていました。
その中で一際悲鳴が強い所では二人の赤と青が戦っていました。
青髪が指示を出し、赤髪が剣を振るう。
二人は順調に賊の数を減らしていきました。
けれど、ある賊が卑怯にも人質を盾にしたのです。
青髪は躊躇しました。人質はまだ幼い子供だったのです。
僅かな隙を賊は見逃しませんでした。
沢山の矢が二人を襲い、青髪が地に伏します。
赤髪は嘆き、激情のまま剣を振るいます。
そうして残ったのは瓦礫と血と死体と死体と死体。
赤髪も例外なく血に染まっています。
片腕は引きちぎれ、足には矢が刺さり、体には剣が突き刺さっています。
赤髪は残った体力を振り絞り、体を引きずりながら青髪に近づきます。
けれど途中で息絶え、手が繋がれることはありませんでした。
精霊は二人を助けることはしませんでした。頼まれなかったのです。
強い願いがあれば精霊は応える。
けれど二人は自らの力で状況を打破しようとしていました。
精霊は二人の在りように感動し、常に一緒に居させてあげようとしました。
二人のマナを一つにし、空へと上げます。
マナは遙か上空まで昇りそして月になりました。
始めにあった月は赤く染まり、上がった月は青く染まりました。
まるで二人のように。
こうして二人は満月となり、空には赤い月と青い月が浮かぶようになりました。
悲しい物語だった。初めて聞いた時はちょっとうるっと来たけど何回も聞いた今は大丈夫。
この物語に出てくる精霊は風の姐さんらしく、遊びに回っていたところ風の噂が流れてきて見に行ったらしい。その後の事は風の姐さん本人が事実を風の噂に流したようで、今の話はほぼ事実らしい。違うのは死ぬ瞬間二人はちゃんと手を繋いでいたという点だけみたいで、内心ほっとしたのを覚えている。
物思いから戻ると、
「もういいかな? れんぞくそなー」
狭い範囲に弱いソナーを発信。後は五秒おきに使用するようマナにお願いする。
「これでよし。あとは……ぴー!」
竜形態に変化する。理由は不明だけど変化する時は「ぴー」と鳴かないといけないらしい。そうしないと変化せずただ叫んだだけになる。荷物は水筒くらいなので体に紐で括り付ける。ちょっと体が締め付けられるのが気になるけど、すぐに慣れるだろう。
腕輪は尻尾の先端に生えている毛の根元に着いているようだ。大きさが違うのは精霊特性なのか、装備特性なのかは分からないけど、失う心配がなさそうで安心した。
「ぴ。ぴー(うん。行動開始)」
羽をぱたぱたと動かして地面から浮く。三十センチ程浮くと尻尾を動かして前に進む。体をくねらせて進むのも慣れたもので、
「ぴー!(回転宙返り!)」
ぐるんと後ろ宙返り。こんな風にアクロバットな飛行も可能にしている。
「ぴー、ぴーーー!!(次いで、ツイストトルネード!!)」
横回転に加え、渦を巻くように回転する。暇があれば竜形態で飛んで遊んでいたため多少の揺れや高度では酔いも怯えもしなくなっている。それに精霊は飲食や睡眠すら必要ないらしく、一日中練習に費やしたこともある。そんなこともあり、時間を費やして磨いた飛行技術は高い。
それでも初めての場所は心躍り、ひとしきり楽しむと真っ直ぐに町に向かった。
あれから太陽が昇り朝が来た。太陽は月とは違い一つだけだった。もし二つもあればもの凄く熱くて大変だったのかもしれないと思うと、冷たい汗が出てきそうだ。
周りは木はないものの高い草が脇道にいくつもある。のどかだなとちょっと気を緩めた。直後、ソナーが反応した。
「ぴ!?(敵!?)」
直後しまったと後悔。敵かもしれない相手が近くにいるのに叫ぶなんて、後悔しても仕方がない。竜の体を利用し草むらに姿を隠す。息を潜め、再度ソナーを発信する。今度の範囲は五百メートル、精度は低く生き物かどうかだけ、その代わり結果が早く分かるようにした。
……ちょっと拙いかも。
ソナーに反応した数はおよそ三十。一カ所にまとまっていたり、直線上なら問題ない数だ。けど、
囲まれているなぁ。
前に五、後ろに五、左右に五ずつ、そして少し離れた場所に十。少しずつ距離を詰めている事から狙いは私だと分かる。そしてこの統率力。おそらく敵はゴブリン。
この状況を打破する為の手段。囲まれた時は薄い所を突くべし。
敵がゴブリンなら裏の裏まで読む知能はほとんどない。だから包囲戦は正攻法で打ち破る。
口の中にマナを溜めると草むらから飛び出し、敵を視認する。
やっぱりゴブリン。
浅黒い肌に申し訳程度の腰布を付けた人型の魔物。手には棍棒か鉈のような斧を持っている。遠くに居るのは弓矢を装備している。赤黒く変色していることから殺して奪ったことは明白だ。
敵が薄いのは……真正面。
口に溜めていたマナを解放する。マナは一直線に飛んでいきゴブリンを飲み込んだ。
技名『竜の吐息―ドラゴンブレス―』。込めたマナの数だけ威力を増す竜形態の技。最初に覚えただけあって一番馴染んでいる。前に失敗したのはあれだ。調子に乗ったせいだ。
「ぴー(よし)」
放出した竜の吐息に飲み込まれ、真正面五体は消し飛んだ。私を包囲していたゴブリンは今の一撃の威力を見て竦んだようなので、その隙に真正面に急いで逃げる。
十分な距離を稼いだら背後に振り向く。あのゴブリンの群れの指揮官は頭がいいのか、正気を取り戻すと部隊をまとめ上げ、同じ技を受けても消滅しないように散らばっていた。ここで一カ所に固まっていたらあと一発で勝負が終わっていたのにと舌打ちしたくなる。
それはそうと今居る場所はさっきの使ったマナの範囲外。もう一度竜の息吹の準備を開始する。今度はより多く、より密度を濃く、口の中にマナを溜め待機する。
このまま引いてくれたら楽なんだけどなぁと楽観した意見が出るが、そうは行かないと冷静な部分が告げている。そうしている内にゴブリン達は真正面、右、左と三隊に分かれて距離を詰めてきた。
「ぴーぴぅー(うーめんどくさい)」
敵のゴブリンはおそらく中位の『ゴブリンリーダー』くらいありそうだ。その割にはゴブリンの数が少ない。一般的にゴブリンリーダーがいるゴブリンの群れは五十体が目安だ。多少前後するが三十体という事はない。その事から推測すると、単に成り立てか、何処かの冒険者に削られた後かもしれない。
一瞬逃げるという選択肢が脳裏を掠めたが、却下する。それも
ゴブリンは滅!
が本能に刻み込まれているからだろう。
竜の息吹のマナ構成を単純な放出型から拡散型に変更する。その分威力が落ちるだろうから、さらにマナを集める。
新技『竜の散弾―ドラゴンショット―』。三隊に分かれているといってもそれ程距離を取っていないため竜の散弾なら範囲内……のはず。内心ひやひやしていたが新技は予想以上の効果を発揮した。
竜の散弾の一発一発に感じるマナは弱い。おそらく一発二発なら問題なく動けるだろう。けれど何十何百となれば話は別だ。
波と表現するのが正しいほど竜の息吹は拡散し、ゴブリン達を飲み込む。波が過ぎるとそこにいたゴブリン達の姿は完全に消滅していた。念のために一分ほど警戒を続けるが何も立ち上がってこないと分かると緊張を解く。
「……ぴー(……ふー)」
大きく息を吐き出す。新技は思った以上に威力があって使える。けど威力と範囲に比例するようにマナを大量に使うようだ。竜の息吹がマナの回復に一分かかるのに対して竜の散弾はおよそ五分。広範囲ソナーと同じくらい消費する。
これは戦闘面から言うと少し厳しい。それが一人旅となるとさらに厳しさは増す。竜の技が使えないと私自身攻撃力に乏しいし、技直後は逃げるしか出来ない。マナがある場所に逃げればいいけど、いつもそうは行かないだろう。だから多くのマナを使う技は高威力の反面、より多く隙を作るため戦闘がうまく運ばない。
より使い勝手の良さを追求しないと。
今後の課題の一つを胸に刻み、私は町へと向かった。
太陽が沈み、双子月が顔を覗かせ、また太陽が昇る頃、ようやく町が遠目に見えた。
「ぴー?(あそこかな?)」
混沌の町。あそこで待っているのは一体何か期待に胸を膨らませ足取り……羽ばたきも軽く感じた。