ダンジョンとリアリティ
ファンタジーにおいて欠かせないのがダンジョンの存在。街の近くの洞窟だったり、秘境に存在する迷いの森だったり、砂漠の地下の古代遺跡だったり、はたまた突如現れた魔法陣により飛ばされた先のワケの解らない空間だったり、その内容は様々です。今回は創作物やゲームにおけるダンジョンについて、カジュアル&超ライトゲーマーとして、底辺物書きとして考察していきたいと思います。
まずはコンピューターゲームから。RPGに限らずダンジョンは存在しますよね。お決まりのように魔物が出てきたり宝箱があったり。そして、奥にはダンジョンの主が待ち構えているというのが王道パターン。王道過ぎて面白くないのではと思いますが、なんだかんだいってそういった王道があると安心するんですよね。セーブポイントがあったりするのも特徴。この辺りは賛否両論ですが、私はセーブポイント賛成派です。やっとの思いでボス部屋まで辿り着いてブレーカーが落ちたり、全滅したら凹みますよ。それまでの苦労が水の泡になってしまいますからね。あれ、何かトラウマが。
コンピューターゲームにおけるダンジョンは、何よりも視覚的な要素が大きいと思います。ダンジョンを探索しているだけで、「ああ此処はこうなっているんだ」という情報をすぐに得られるのが、コンピューターゲームの特徴ですね。ダンジョンの内容を視覚から得ることができるため、どんな構造なのかを把握することも容易です。また、複雑な仕掛けなども、その仕掛けがどういったものでどうやって解いていくのかを把握することが出来ます。聴覚的な要素があるのも特徴で、おどろおどろしいBGMでダンジョンの怖さを演出ということもあります。
次に卓ゲーにおけるダンジョンについて。コンピューターゲームと異なり、卓ゲーだと視覚的要素がありません。なので、口頭で伝えていく必要があるわけですが、これが意外に厄介。例えば、「赤の扉」にしても、何処が赤いのかとか、どんな感じの赤さなのかとか、実は全然赤くないとか。人によって色々と考えが変わってきます。だからといってあまりにも細かく描写してもくどいですし、細かく描写したところでゲームマスターが想定していた内容がプレイヤーに伝わるとは限りません。聴覚的要素もゲームマスターからの情報に限られますし、BGMは事前に用意したり、あるいは参加者がセッション中に延々と歌ったりしない限り流れることはありません。
ただ、コンピューターゲームでは決められたイベントでしか出来ないようなことを、プレイヤー側が能動的に機転を利かせることで行えるのが利点。ゲームマスターの裁量が関わってきますが、こういったことが出来るのは、なんだか冒険をしている感じがして良いですよね。瓦礫を退かしてその先に進むとか、隠し扉を発見すると言ったことも、コンピューターゲームではただの作業のように行うのに対し、プレイヤーに判断が委ねられ、その行動によって以後のダンジョンの展開が無限に(少し語弊はありますが)分岐します。ゲームマスターがセッション中にアドリブ利かせて、救済のためのアイテムをシークレットで設置したりというのも。
具体的に言うとこんな感じでしょうか? 廃墟の中で敵から逃げているというシチュエーションを例に挙げてみたいと思います。
プレイヤー「家具や荷物を扉の前に置いて、敵の進行を防げたり出来そうかな?」
ゲームマスター「あー、ちょっと待って。そこまでは考えていなかった。シナリオだと普通に追いかけっこをしてもらうつもりだったんだけど……」
プレイヤー「無理言ってごめん」
ゲームマスター「いや、面白そうだ。出来るものとしよう。重い物を動かすから、筋力判定で難易度はちょっと高めで。成功した場合は、敵の行動を遅らせることが可能だ。ただし、失敗した場合は1ラウンド行動不能となり、次の移動の判定に大きなマイナス補正がかかるよ」
プレイヤー「ありがとうGM。判定マイナスはきついけど、やってみる価値はあるね」
うーん、ちょっと無理あるか。卓ゲー歴がそう長くないので、どう説明したらいいか解らんのです。そこまでマスタリングも上手くないし、プレイヤースキルも高くないので。教科書通りのマスタリングやプレイングしかできないのです。スミマセン。
文章においても、卓ゲーのダンジョンと共通してくることがあるのではと思います。
こちらも視覚的・聴覚的要素がありません。ほぼ皆無です。卓ゲーでは、説明する際にある程度は紙に書いて公開するなどの方法である程度は伝えることは出来ますが、小説などではそうはいきません。読者にそのダンジョンがどういったものなのかを伝えるのは、すべて文章なわけです。細かい描写をすることも出来ますが、これもあまりにも細かく描写し過ぎるとくどいのと、やはり作者が想像していた構造が読者に伝わるとは限らないのです。ゲーム以上に伝えることが難しいのではないでしょうか。
まず挙げられるのは、ダンジョン内で出来ることがかなり限られてくることですね。例えば炎を使う場合。ゲームでは当たり前のように洞窟内の敵に炎をぶっ放していますが、本来洞窟のような密閉空間の中で火を扱うのは自殺行為に等しいのです。廃坑だったりすると尚更。酸欠は勿論、下手すれば焼身自殺をする羽目になります。また、武器を例に挙げると、狭い通路では大型の武器は思うように扱えません。振り回すことすらできないなんてことも。炎を使う魔術師や槍や両手剣を使う戦士がダンジョン内で役立たずになってしまうのです。
そうならないような設計にしたり、あるいはサブの武器を持たせたりすることで何とか回避することは出来ますが、そういったところの調整も悩むところでもあります。そこは、普段通りの実力が発揮できないというところでピンチを描写出来たり、そのような逆境の中で如何にして勝利するかといった展開にも持って行けるという考え方も可能なため、一概に悪いことだとは思えません。
次に挙げられるのは、ダンジョンの内容でしょうか。ゲームならば楽しませるようなギミックがあるのは当然です。侵入者を排除するような仕掛けですが、ゲームではなかなか面白い構造のものが多々出てきます。しかし、冷静になって考えてみると、「障害とするならば、もっと単純で合理的な物を作ればいいのでは?」という考えに至ってしまうわけです。小説に置いて凝ったギミックの仕掛けを作ったところで、別にそこまでする必要があったのか、となってしまいます。現実的な考えでいった場合、ダンジョンの仕掛けというものは侵入者を撃退するために存在すればいいわけです。こういったところで、読者を楽しませつつ、なおかつ合理的で不自然ではないとトラップを如何に描写するか。難しいですね。
他にも、その場に見合ったキャラクターがいるかということが挙げられます。人の手がまったく入っていないような森の中に人造生物がポツンと佇んでいる。炎の洞窟の中に、雪男や半魚人がいる。これって普通に考えるとおかしいのです。こういった不自然ではないかと思われることにも気にしなければなりません。此処は、ゲームにも関わってくることだと思います。しかし、この辺りを逆手に取って、
「本来、この場にはあのような敵はいないはず。どういうことだ」
「何か俺達の知らない存在が裏で動いているに違いない。調べてみよう」
と、かなり適当になりましたが、このように展開を広げていくことも可能です。魔物に限らず、宝箱やアイテム関係についても同じことが言えます。
何が言いたいか。それはゲームと小説はまったくの別物ということです。ゲームではあらゆるものがシステム化されているため、プレイ中は特に気になることはないのですが、小説となると「おいおいちょっと待てや」というようなものもありますよね。ダンジョンとは異なりますが、民家に入って箪笥を漁る行為。普通に考えて許されることではありません。他にも、金属の鎧を着ていると電撃に弱くなるとか、モヤシみたいなヒョロガキが屈強な男に白兵戦で勝利するとか、筋骨隆々としたキャラは素早さが低いとか。
この辺りを「ファンタジーだから」で片付けてしまうのはちょっと味気ない。リアリティを何処まで入れるか、悩むところです。何かを書く際に、このあたりを意識してみても面白いのでは、と思っております。