ある作家が死んだ日
私は麻痺した思考を弄びながら、机の上のキーボードを見つめていた。
執筆用ソフトウェアの編集画面は、一昨日の夜から真っ白のままだ。キーの代わりに机の天板を爪で叩く作業を何万回繰り返しているだろうか。
こうしている間にも時間は刻一刻と流れていく。世界が私を置き去りにしたまま、得体のしれない醜悪な物に染め上げられていくのだ。
瞑目し深く息を吐き出す。突然部屋に響く呼び鈴が、私の心臓をどきりとさせる。こんな朝っぱらから押しかけてくる相手の心当たりは一人しかいない。
友人は気安い調子で部屋に上がり込んできた。普段から鍵を開けっ放しにしていることは親しい人間の間で周知の事実だ。取られるものなど何もない。ついでに言えば、私がトチ狂って自分の頭を撃ち抜いたとしても、あまり手間をかけずに発見してもらうための気配りでもある。
彼はテーブルの上に乗った未開封のダンボール箱に目を留めて、ああっと嘆きを上げる。
「……何だおい、まだ開けてないのか? 折角、今年発売されたばかりの最新型をプレゼントしたってのに」
「あんな物を使うつもりはないよ。私は『作家』だ」
友人が大げさな身振りで肩をすくめる。
「あのな。<想述>を使ってないクリエイターなんて、もういないんだ」
「私の作品を読んでくれる人はいる。そこそこ評価だってもらってる」
「今どき文字で書かれた物語を読む連中ってのは、読者じゃなくて『考古学者』みたいなもんだぜ。分かってるだろ?」
分かっている。ベストセラーのランキングに並ぶタイトルが全て<想述>を用いて吐き出されているということくらい。
<想述>。五感どころか作者の感情や思考過程までを包括的にデータ化し、読者の意識に直接流し込めるという画期的なメディア。
そのインパクトと利便性は創作物の概念を塗り替えてしまった。何しろ、その装置を頭にかぶって心の中で思い浮かべるだけで、一切の齟齬も誤解もなく自分の中にある心象風景を他者に伝えることができてしまうのだ。
血を熱くする冒険譚、とろけるようなラブロマンス、まばゆいばかりの立身出世。誰もが自分の心に描いた理想の物語を形にすることが出来るのだ。
小説だけではない。音楽、絵画、映画。およそ『作品』と分類される物は、何から何までこの世界から一掃されてしまった。
<想述>とは単なる目新しさだけではない、人類が手にしたまったく新たな表現手段なのだ。そう、まったく新しい、まったくもって『不愉快』な表現手段だ。
「だからといって、私のやり方を変えるつもりはないよ」
「その結果どうなった? この五年間、お前さんが書いた本はどれだけ売れた? 嫁さんに逃げられたのは二年前だったか? ここの家賃だって安くはないって聞いたぜ?」
そうだ。私はここ何年もほとんど実績を上げていない。作家が商売になっていた頃の蓄えを切り崩しているだけだ。それももう間もなく尽きる。私の創作意欲と同様に。あるいは私の人生そのものも、そこが行き止まりだろう。
「しばらく前に、お前に無理言ってプロットを提供してもらったことあったよな。あれを新人に渡して書かせた<想述>作品な、業界じゃ評判いいんだぜ。あん時のギャラだって生活費の足しになっただろ?」
そういえば、と記憶が蘇る。口座の残高が一時期妙に跳ね上がっていたことがあったな。気のせいだと思っていた。あまりに意に沿わない仕事だったので、意識して情報を見ないようにしていたせいか。
友人はソファに座り、薄気味悪いほどの優しい声になった。
「お前は物語を作る才能があるんだよ」
テーブルの上の箱をぽんぽんと叩き、私に視線で誘いをかける。冗談じゃない、自分の頭の中を他人に見せびらかす趣味はない。
「私は『文章』で物語を書きたいんだ」
「つまらんプライドなんぞクローゼットにしまっとけ」
叩きつけるような声が、私のこめかみに刺さる。そんなことなどお構いなしに、友人は見事な滑らかさで口を回す。
「昔からお前は言ってたよな、『読者に分かりやすく伝えることが全て』だって。<想述>こそ、その理想を叶える道具じゃないのか?」
そう。それがまさしく、ずっと私を悩ませている命題だ。
一つの言い回しに頭を絞り上げたところで、同じ単語から読者たちがそれぞれ受け取る意味は千差万別だ。それは『文章』である以上、避けて通れないプロセスのはずだろう。
それを解決する手段、<想述>が目の前に転がっている。瑣末な言葉の解釈に縛られず、伝えたいことを過不足なくありのまま伝えることが出来るのだ。だが、私はどうしても踏ん切りが付かないのだ。それは取り返しの付かない愚行であるように思えて仕方がない。
黙りこむ私を友人の声がぐいぐいとこじ開けようとする。
「紙とアルファベットが発明された後でも、粘土板に木のヘラでクサビを刻むのが立派なのか? 言文一致が行き渡った後もしゃちほこばった漢文調にしがみつくのが高尚なのか? お前がやってるのはそういう事なんだぞ?」
「……先人を悪く言うのは感心しないな」
「物の例えだ。真剣に受け取るなよ」
友人は天を仰いで、過去の巨匠たちに謝意を示してから私に向き直る。
「お前には才能がある。カビの生えたテキスト形式に縛られるべきじゃない」
彼はそう言って、箱の包装を手荒に破り開ける。中から取り出したゴーグルとヘッドホンをくっつけたような装置。それを私に向かって差し出す。
「とにかく、一度これで作ってみろ。お前の<想述>作品なら買ってくれる会社がいくつもあるんだよ」
それは『作家』の魂に向けられた死刑宣告に思えた。
装置を差し出す友人の前で、私は五分近くも考えてから、ゆっくりとその機械仕掛けの絞首縄へと震える指を伸ばした。
◇
私が世界の流れに屈してから三ヶ月が経った。
最初の<想述>作品データを出版社に転送してから、三十分後に私の口座への入金メッセージが届いた。予想よりも桁が一つ多かった。
一度始めてしまえばあとは堰を切ったように、私の中から物語は溢れ始めた。三つの長編と、二十近い短編を取り憑かれたように私は<想述>した。出版社はレーティング的に一部の手直しを要求してきたものの、作品の全てを好条件で買い取ってくれた。売れ行きを見ると、年間ベストセラーの末席あたりには食い込めるようだ。
先日、実家に戻っていた妻から久しぶりに連絡があり、食事の約束をした。
私の人生は再び輝きを取り戻している。
机の前に座り、<想述>装置をかぶった。考えるだけで物語が紡がれていく。
これは素晴らしい道具だ。だが、私はふと思う。
<想述>を超える発明がいつか出現するのではないだろうかと。
もっと簡単に、もっと直接的に人が伝え合う手段。全人類が互いの思考を即座に共有し追体験する日が来るのだろうか。それこそ嘘偽り無く、価値観に基づくフィルターも無しに人と人が触れ合えるようになった時、何が起きるのだろうか。
私は『文章』という鎧を脱ぎ捨てて生々しい『心』を読者にさらけ出した。では、<想述>さえも時代遅れになった時、私は何を捨てることになるのだろうか。
私は恐ろしい。その時、私は『心』までも脱ぎ捨てる事になるのではないかと。
そこに私が語るべき『物語』は残っているのだろうか。
その時、私は作家でいられるのだろうか。
私は私でいられるのだろうか。
目の前のモニタに映し出された、<想述>ソフトの作業進行度を示すインジケーターが順調に伸びていく。それは私の心を削り吸い上げていくしるしに思えた。
絶望的な無力感の中で、私はモニタを見つめ続けることしかできなかった。