表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

空を飛んだ少年

作者: 嶋本圭太郎

   1


 空見大地は、空を飛びたい少年だった。

 飛行機やロケットに乗りたいのではなく、自分の力で。できれば鳥のように羽ばたいて、前方後方上下左右、何者にも束縛されない自由な空間で、思うままに飛び回りたいと思っていた。

 幼稚園や小学校に通っていた頃は、そんな自分の夢を声高に話すことができた。大人たちは楽しそうに話を聞いてくれていたし、自分も心から夢を語っていた。


 そんな彼は、今年で15歳になる。



「大地。勉強しなくていいの?」

 けたたましい掃除機の音とともに部屋に入ってきた彼の母親は、息子がベッドに寝転んでマンガ本を読みふけっている姿に、あきれたような声でそう言った。

「んん・・・」

「あなた、今年高校受験よ。分かってるの?いいところに入って欲しいなんて言わないけれど、真面目にやらなくて損するのは自分なのよ?」

「んん・・・」

「聞いてるの、大地?人生の何割かはここで決まっちゃうのよ。まだ半年ある、なんて思ってたら間に合わないわよ。大地!?」

「うん・・・」

「・・・・・・はぁ・・・」

 何を言っても生返事しか返さない息子の態度に、母親は心底脱力したような表情を浮かべると、掃除機の音とともに部屋を出て行った。

「まったく!なんだってあんなグータラな子供に育っちゃったのかしら・・・」

 まだ何かぶつくさ言っていたが、大地は聞かないことにして、手にもっていたマンガに視線をもどした。


 自分が空を飛べないことを意識したのは、いつ頃だっただろうか。

 自分の夢を他人に話さなくなったのは、いつ頃だっただろうか。


 ある日、いつものように自分の夢を語ったのだ。今までは笑顔で聞いてくれたはずの大人は、なんとも曖昧な顔をして言ったのだ。「大地くん、人間は空を飛べないんだよ」

 それがいつのことだったのかはもうよく覚えていないが、その表情とその言葉は、今でもはっきりと覚えている。

 そうして彼は、夢に挫折してしまったのだ。


 再びマンガを読み始めた大地だったが、気を削がれてしまったせいかすぐに飽きてしまった。本をベッドの脇に放り投げるようにして置いて、ため息をつく。 


 自分は、空を飛ぶことができない。

 この腕が翼に変わることはないし、背中から羽が生えてくることもない。

 空は、飛べない。


 あれ以来、大地には夢がない。

 叶えたいものがないのだ。

 高校には行くつもりだが、何のために行くのかは分からない。

 何のために勉強をしているのかも、分からない。

 何のために、生きているのかも分からない。


 死なないから、生きているだけだ。


 透き通るほど高い夏の空を映した窓。

 その外から、せみが盛んに鳴いているのが聞こえる。

 はかない命の彼らでさえ、空を飛ぶのに。

 何故僕は、飛べないんだろう?


 空を飛びたい少年は、今日も、ただ悩んでいる。



 その日の夜も、暑かった。

 大きく出ている満月が、ひょっとして太陽なんじゃ、と思うくらいに寝苦しい夜だ。

 クーラーをタイマーにして寝ていた大地だが、そのタイマーが切れた途端に、暑くて眠っていられなくなった。

 仕方ないのでもそもそとおきだし、台所へ行って冷蔵庫から出した麦茶をコップに注ぎ、一気に飲む。

「・・・ふぅ」

 冷たい流れが体の中を回っていくのを感じて、大地は一息つく。

 父も母も眠っている。それどころか、外の通りを車が通っている様子もない。まったくもって静かな夜だ。

 空も良く晴れている。今のご時世、山奥でもなければ、満天の星空というのは望めないかもしれないが、ぽつぽつと見える星々に、さらには満月。

「こんな夜に空を飛べたら、いい気持ちだろうな」

 自然とそんな言葉が漏れた。

 そこへ。

「そのとおり。こんな暑い夜には、空の高いところを飛ぶのが気持ちいいぞ」

「・・・・・・えっ!?」

 独り言に予想外の反応を受けて、大地は声の主を探した。

 明かりがついていないので良く見えなかったが、台所から続く居間の窓のところに、人影のようなものが見えた。

「どっ・・・泥棒!?」

「失敬な。私は泥棒などではない」

 恐る恐る大地が明かりをつけると、明かりに照らされたそれは人などではなかった。

 鳥だ。

 しかもとびきり巨大だった。

 全長は大地の身長と同じくらいだ。全身が羽毛に包まれ、そこから長いくちばしが伸びている。目玉は占い師が使う水晶球のように大きかった。

「なっ・・・」

 あまりにも予想外な存在に驚いた大地は、その場にぺたりとしりもちをついてしまった。

 そんな大地の様子にはお構いなしに、その鳥は悠然と喋りだした。人間の言葉で。

「ごきげんよう」

「あ・・・」

「ごきげんようだ、少年」

「ぐ、あ、ご、ごきげんよう・・・」

 大地が呆然としながらも挨拶を返すと、鳥は満足そうにその目をしばたかせた。

「そう、ごきげんようだ。今は夜というには遅すぎるし、朝というには早すぎる。時刻にそった挨拶はこの場合不適当ということになる。今のはそれを配慮した上での挨拶だ」

「はぁ・・・」

「挨拶が済んだところで自己紹介といこうか。私はノトルニス・レア・モア・ダイアトリマ伯爵」

「のと・・・?」

 ただでさえ混乱しているところに妙に長ったらしい名前を名乗られて、大地は目をくるくるさせたが、

「気さくに『伯爵』と呼んでくれて結構」

 と言ってもらえたので少しホッとした。

「君は?」

「えっ?」

「相手が名乗ったら名乗り返すのが礼儀というものではないかね?もっとも、世の中には名乗るべき名を持たない生き物も多々いるが・・・君はそんなことはないのだろう?」

「あ、はい・・・。大地です。空見大地」

 大地の回答を聞いたところで、彼(人間なら中年男性を思わせる低い声で喋っている)は再び満足そうに目を細めた。

「さぁ、それでは行こうか、大地」

「い、行くって・・・どこへ?」

 伯爵はそう聞かれるとにやりと笑って(いるように、大地には見えた)こう答えた。

「空を飛べる場所へ、だ」


  2


「空を飛べる・・・場所?」

「そうだ。地球上にいる生命は一部を除き空を飛べないが、今日は少々特別な力が働く日でね。そこへ行けば、君でも空を飛べる」

 大地は、伯爵の言っていることが良く分からなかった。そもそも、今こうして目の前の不気味な鳥のような生き物と会話をしていること自体が、彼にとっては良くわからないことだった。

 夢を見ているという感覚はないが、確かに現実であるという感覚も希薄だ。

「説明するよりは実際に行ってみたほうが早かろう。誰でも最初は大体そうやってとぼけた表情を浮かべるものだ。さぁ、行こう。君は玄関から出るといい。御両親を起こさぬようにな」

 言うだけ言って、伯爵は窓からひょい、と飛び降りた。鳥の格好をしているから飛ぶのかと思ったが、そのまま地面に降り立って、ひょこひょこと歩いていくのが見えた(ちなみに、ここは一軒家の一階である)。

 大地は、まだ状況が良く飲み込めていなかったが、とりあえず玄関のほうに回ってみることにした。

「狐や狸ならともかく、鳥に化かされるなんてこと、あるかなぁ?」


 寝巻きのまま、靴をはいて玄関から外へ出ると、伯爵が門のところで待っていた。

「来たな。では、行こう」

 そういって通りのほうへ向かって歩き出す。

「あ、歩いていくの?」

「他にどうしろというのだ?こんな時間ではバスは走っていないし、タクシーだって捕まらんだろう。第一、私のようなものがバスに乗ったり、タクシーを呼び止めたりしたらたいした騒ぎになって目的地に向かうどころではなくなるぞ」

「あ、うん・・・」

 そういうことではなくて、大地は、ひょっとしたら伯爵が自分をその大きな背中に乗せて飛んでくれるのではないか、と期待したのだが。

「何、歩くといっても5分ほどだ。君も歩きなれた道だろう」

 それだけ言うと、伯爵は大地に背を向けた。

 そして、ポツリと言った。

「私も、空は飛べないのだ」

「えっ・・・」

「鳥の格好をしていても、飛べないものは大勢いる。私も、その中の一人というわけだ。もっとも、だからこそこの役目を負っているわけでもあるがな」


 それからは、無言で歩いた。といってもそれほど長い時間ではない。伯爵が言ったとおり、目的地はすぐそこだった。

「ここって・・・」

「その通り。君は毎日のようにここへ来ているはずだな」

 伯爵に案内されてきたその場所は、いつも自分が通っている中学校だった。

 だが、こんな深夜に来たことはない。通いなれた場所のはずだったが、まったく違う場所のようにも見えた。

「屋上へ行こう。そこが、目的地だ」

 そう言われて屋上のあたりを見ると、その場所は少し光っているように見えた。


「屋上なんかに行って、どうするの?」

「何度も言っているだろう。空を飛ぶのだ」

 そんな会話を交わしつつ階段を上り、普段は閉めきられている屋上の入口へ来た。

「悪いが、扉を開けてくれたまえ。私は身体の構造上、こういうものは苦手でね」

 そう言われて大地が重い扉を開けると・・・

「う、うわっ・・・」

 そこは、大盛況だった。ものすごい数の「生き物」がいた。

 しかし、人間は見当たらない。犬、猫、猿、牛、・・・。象やキリンまでいる。さながら動物園だ。

「こ、これって!?」

「今日、空を飛ぶために集まったものたちだ。皆、自力では飛ぶことは出来ない」

「これが、みんな、空を飛ぶの?」

「そのとおりだ。もちろん君もな」

 それは、なんとも信じ難い話だった。それどころか、今目の前にある光景もやっぱり、信じ難いものだった。本当に世界中の飛べない動物を集めきったのでは、というほどの動物たちが、自分が通う中学校の屋上にひしめき合うようにしている。

「どうやら、我らで最後だったようだ。それでは、始めるとしようか」

 呆然としている大地に声をかけると、伯爵は動物たちの群れをかき分けるようにして前のほうへと出て行った。

 そして、叫ぶ。

「諸君!お待たせした。諸君らの夢を叶える時間だ。心の準備はよろしいか?」

 伯爵の声に、動物たちがそれぞれの言葉で答える。それらは渾然一体の歓声となって、空間を揺らした。

 それを伯爵が翼を広げて制し、言葉を続ける。

「さて・・・今日まず最初に飛ぶものだが・・・」

 するといったんは静まり返った動物たちがまた騒ぎ出す。どうやら、真っ先に飛ぶのは自分だとアピールしているらしい。

 それを再び伯爵が制す。

「普段ならば公平に投票によって決するところであるが、このたびは珍しいことに、人間がこの舞台にやってきている。実に70年ぶりのことだ!私は彼こそが、今回最初に飛ぶものにふさわしいものだと思うが、どうかね!?」

 伯爵の突然の提案に、それまで呆然としたまま話を聞いていた大地はビクッと身体をすくませた。近くにいたものたちが一斉にこちらに目を向けたのでさらにビクッとし、おまけに目線を向けたものの中にライオンや熊の姿を見つけてさらにビクビクッとした。

「どうかね?私の提案を受け入れてくれるか?」

 伯爵の問いかけに、歓声と怒号が同時にあちこちからあがった。だが、やがて歓声が怒号を押し始め、1分と経たないうちに、歓声一色になった。

 大地はいつの間にか動物たちに取り囲まれるようになっており、ひょっとしてここで食い殺されるんじゃないか、などと考えていた。しかし、あたりが歓声に包まれるようになると、自然と前のほうが大地に道を開き、押し出されるようにして前に歩み出た。

「私の提案は歓喜とともに受けいられたようだ。さぁ、ではいよいよその時だ。大地よ、私のところまで来るといい」

 そう言われて大地が改めて伯爵のいるところに目をやると、そこには学校の屋上なら必ず張り巡らされているはずの柵がなかった。

「さあ、大地よ!」

 伯爵の声に引っ張られるように、後ろの動物たちの声には押されるようにして、大地は伯爵のところへたどり着く。

「さぁ、行こうか」

「えっ、ちょ、ちょっと待って!」

「なんだ?」

「ま、まさか・・・ここから飛び降りるの?」

「飛び降りるのではない。飛ぶのだ」

 伯爵は言い換えたが、大地にとってそれは同義語にしか聞こえなかった。

「そ、そんなことしたら死んじゃうよ!」

「さっきも言ったが、今日は特別な力が働く日なのだ。心配しなくても、ちゃんと飛べる」

「そんな、そんなことい、言われても・・・」

「早くしろ。皆、本当は一番に飛び立ちたいのを我慢して、そなたに譲ってくれているのだぞ」

 言われて振り向くと、大勢の動物たちがこちらを注視している。

 ここでいつまでも躊躇していたら、それこそ殺されてしまいそうだった。

 大地は、震えながら片足を上げた。一歩先の地面は、はるか下にかすんで見える。

「そうだ。その足を踏み出せば、そなたの身体は重力の束縛から解放されるだろう」

 大地は固まってしまっている。

「夢をかなえたくはないのか?」

「!」

「ここへ来ているものは皆、自分たちに空を飛ぶ力がないことを知りながら、空を飛びたいと願ったものたちだ。同種の中でも最も強くその願いを持つものが選ばれ、ここへ来た。人間には長い間ここへくるほどに強く空を飛びたいと願ったものはいなかったが、君がおよそ70年ぶりに選ばれた。つまり、君は人間の中でもっとも空を飛ぶことを願っているものなのだ」

「・・・」

「あと一歩足を踏み出せば、願いがかなうぞ。そこで突っ立っていたところで、生涯かないはしないが、一歩踏み出すだけでお前の世界が変わるのだ!」

 夢。

 夢がかなう。

 かなわないはずの夢がかなう。

「・・・・・・・・・・・・・・・!!」



「さぁ、では空中散歩としゃれ込もうではないか」


   3


 踏み出すときに覚悟した落下感は来なかった。

 空中に投げ出された大地の足は、何もないはずの空間を、しかしやんわりとつかんだ。

 まさに、ふわりと、浮いたのだ。

「さぁ行こう。初めて体験する世界へ」

 そう言った伯爵も、飛べないはずの身体をふわりと空中に浮かせている。

 そして、彼らは飛んだのだ。



 下には、町並みが見える。

 かなりの速さで、それらが動いていく。

 右には闇のほかに何も見えず、左には一緒に飛び立った伯爵がいる。

 そして前には、月だ。

 自分たちは今、月をめがけて飛んでいるのだ。

 そう、間違いなく。

「空だ!!」

 大地は叫んでいた。

「すごい!すごい!!」

「そうだろう!私も初めて空を飛んだときには君のように感動したものだ・・・」

 伯爵がそういって目を細めるのも、大地は目に入らなかった。

 特別に身体を動かさなくても、自分の思うように進める。右と思えば右へ、左と思えば左へ。

 両腕を大きく開いて、飛行機のアクロバティックのように、グルグルと自分の身体を回転させてみる。

 一瞬自分の目まで回ってしまったが、失速することもなかった。

「うわっ、あっ、ははははは・・・」

 自然と笑いが口をついて出てくる。

 今度は、一気に高度を上げてみる。

 耳が痛くなるのも気にせず、あたりを見回す。

 自分の町が一望できた。

 遠くの地平線は丸くなっているのが分かる。

 今まで、まったくもって見たことのなかった景色だ。

 自分が夢見た景色だ。

 広い空の中で自分ひとり。そうしているとまるで、地球の内側に入り込んでしまったかのような、不思議な感覚を覚えた。

「すごいや・・・」

 大地が腕を広げたままの姿勢でその場でたたずんでいると、伯爵が追いついてきた。

「君は、飛ぶ前はあれほど躊躇していたくせに、いざ飛んだとなるとずいぶん無茶な飛び方をするな・・・」

 伯爵は、ぜぃぜぃと息をついていた。必死でついてきたのだろう。

「どうだ、今の気持ちは?」

「最高・・・」

 大地は、伯爵の問いかけが耳に入っているのかどうなのか、遠くを見つめたまま答えを返した。

「そうだろうな。夢がかなったのだ。長く見た夢ほど、達成されたときの感動は大きいものになる。・・・だが、大地よ。夢がかなったそなたは、次には何を夢見るのだ?」

「・・・えっ?」

 突然の伯爵の問いかけに、大地は現実に引き戻されたような思いになった。

 思わず、伯爵の顔をまじまじと見る。

 彼が真剣なのは一目でわかった。

「これからそなたはどう生きる?何のために生きるのだ?そなたはまだ若いが、もう夢を一つかなえてしまった。次はどうする?」

「どうするって、言われても・・・」

 新しい夢など、思い浮かぶはずもなかった。

 思い浮かぶようなら、今まで無気力な日々を送っていることもなかっただろう。

 今までの高揚した気持ちとは一転、暗く沈んだ思いが大地を占領する。

「ふむ。少し言い過ぎてしまったようだ。それより、そろそろ戻らねばならぬ。空を飛べない我々が空を飛べる時間は限られているのだ」


 大地たちがもどってきても、他の動物たちはまだ半分くらいが飛び立つ順番を待っているような状態だった。

 大盛況のあたりを避けて、大地たちは動物たちのいないところへ落ち着いた。

「つまり、わたしがいいたかったのは・・・」

 伯爵が口を(くちばしを)開いた。

「生き物は大概、夢を持って生きているものだ。たいていの場合、それは長生きをするであるとか、よき伴侶とともに暮らすことであるとか、子をたくさん作ることであるとか、まぁそう言ったたぐいのことだ。中には、ここに集ったもののように、空を飛ぶことを願うものたちもいるが・・・。大抵の者たちはそういったことを願い、生きている。だが、人間というものは、少し様子が違う。今言ったような夢とともに生きるものももちろん多くいるが、それだけではない。これだけ繁栄している種族だからな。他の種族とは違う、多種多様な夢がある。それはそれでいい。ここで重要なのは、多種多様であったとしても、夢をもって生きていること自体は、他の生き物となんら変わらない、ということだ」

 伯爵はまぶたをパシパシとしばたかせて、続ける。

「つまり、これほどの繁栄を手にしてもなお、生き物は夢を捨てられないのだ。逆にいえばだからこそ、夢を捨てられないからこそ、これほどの繁栄があるとも言える。人に限らず、全ての生命は夢を見ることが必要なのだ」

「うん・・・」

「私はそなたをここに呼ぶために、しばらくの間、そなたのことを調査した」

「えっ!?」

「ここに呼ぶことが出来るだけの願いを持っているかは、時間をかけなければ分からないことなのだ。許してくれ・・・。その調査で分かったことだが、そなたは空を飛ぶことを強烈に願っていた。だが一方で、そのこと以外に夢をもっていなかった」

 動物たちが集まっているところから、歓声があがった。ひときわ身体の大きな象が、重い身体を揺らしながら、その身を宙に浮かせたのだ。

「さらに問題だったのは、その唯一の夢である空を飛ぶことを、そなた自身が不可能であると思っていたことだ。叶えるつもりのない夢は、生きるうえでの力になれない・・・。そのままでは、近いうちにそなたは消えてしまうかもしれなかった。だから、私はそなたをここへ呼んだのだ」

「そうだったのか・・・」

「何故、夢を持たないのだ?」

「夢を持ちたくないわけじゃない・・・でも、見つからなかったんだ!僕に出来ること・・・僕にかなえられる夢が!なんにも、何にも見つからなかったんだ!」

 大地の両眼から、自然と涙があふれ出る。伯爵はそれをやさしく包むような眼差しとともに、言った。

「そなたは何を持って、出来ることと出来ないことを決めたのだ?誰かに言われたからか?ちょっとやってダメだったからか?そんなものは、夢を見るうえでは何の障害にもならないぞ」

「でも、でも・・・」

「そもそも、そなたは何故、空を飛ぶことを夢に見たのだ?それなら出来ると、思ったのか?」

「そうじゃ、そうじゃ・・・ない・・・」

「出来るからではなくて、それがしたかったからであろう?」

 涙の止まらない大地は、もはやただうなずくしか出来なかった。

「夢を見るとは、そういうことなのだ。自分のしたいことを思えばいい。そして、そのために進んでいくことだ。かなうか、かなわないか、それを決めることさえ、そなた自身で出来る。出来ないと思った時点で、夢は終わる。思わなければ、かなうまで夢は続くのだ・・・」

「うん・・・」

「何も、今日明日に夢を見つける必要はない。ゆっくりでいいのだ。そうだ、いっそのこと自分の夢を見つけること、それ自身を、そなたの夢にしてしまう、という手もあるぞ?」

 そういって伯爵は笑った。大地もつられるようにして、涙を流しながら、笑みを浮かべた。

「いい笑顔だ。・・・今日の経験とともに、もう一度周りを見てみるといい。そうすれば、今までは見えてこなかった、新しい景色が見えるだろう。・・・先ほどのようにな」

「・・・うん、わかった」

 伯爵は大地の返事を聞くと、翼をバサバサ言わせながら歩き出した。大地がついていくと、つい先刻、彼らが入ってきた、屋上と校舎内を結ぶ扉までやってきて、止まった。

「お別れだ。朝になる前に、人間たちにこの空間を返さねばいかんしな。扉を開け、行くがよい」

「伯爵は?」

「私は、ここに残って後始末だ。彼らを送り返さねばならぬしな。私が受けた、大切な仕事だ」

「そうか・・・きょうは、ありがとう」

「どういたしまして。・・・さらばだ」

「うん・・・さよなら」

 そうして大地は、扉に手をかけ・・・そこで、もう一度振り返った。

「ねぇ、伯爵。伯爵の夢は何?」

「私か?・・・そうだな。ここへ来た全ての生き物が、ここへ来たことを幸福な思い出として、生きる糧としてくれることだ。そのために、私はこの仕事をしている。誇り高き仕事だ」

「僕は、きっと今日ここへ来たことを、幸せに思い出せるよ、伯爵」

「そういってくれるか。感謝のきわみだ。・・・私がそなたと再び出会うかどうかは、おそらくはそなた次第だが、再び会うことがあってもなくても、そなたが素晴らしい夢とともに、幸福に生を送れることを祈っておるよ」


 屋上の扉から階段を下りて、夜の校舎を抜けて学校の外へ出る。校門のあたりで振り返って屋上のあたりに目をやったが、そこはもう周りとまったく同じように、静けさにだけ包まれていた。

 伯爵とともに来た道を一人で帰り、両親を起こさないようにそっと玄関を開けて、自分の部屋へともどった。

 ベッドに入ると、まるでさっきまでの時間は、本当に夢の中での出来ことであったかのようだ。

 だが、たとえあれが現実でなかったとしても、今の大地の心には、さっきまではなかった思いが、確かに根付いていた。



 朝。夏休みなのは学生だけなので、父はいつものように会社へ行き、母は洗濯の準備を始めていた。大地はというと、今までは昼近くまで寝ていたのが、今日は9時前に目が覚めた。

「ちょっと、散歩いってくる」

「なぁに、勉強は!?」

 珍しく早く起きたと思ったら、という言葉とともに、母親の怒声(本人は怒鳴ってるつもりはないのだろうが・・・)が飛ぶ。

 だが、今日の大地はもう、今までの彼ではない。

「大丈夫、帰ったらちゃんとやるよ」

 これまでにない、息子のしっかりとした受け答えに、母親は口が開いたまま、

「あ・・・そう」

 と、まるで昨日の大地のような受け答えを返すのみだった。


「さて・・・と」

 学校のジャージにスニーカー。といっても、別に走るつもりではなかった。

「まずは、ゆっくりいこう」

 昨日、空から眺めた町を、今度はしっかり歩いてみたいと思った。

 まだ、夢はない。

 だけどもう、ただ生きてるだけの人生を送るつもりはなかった。

 踏み出した足が、しっかりと地面をつかむ。


 空を飛びたかった少年が、大地を踏みしめて歩き出す。

 見上げれば、空はいつでもそこにあるのだ。


                                終わり



この小説は、自分の個人HPで掲載していたのですが、そちらを整理したのでこのたびこちらに改めて投稿することにしたものです。


ちなみに、書いたのはもう今から10年ほど前です。当時書いていたものはまともに完結している作品すらほとんどないのですが、この小説はその中で唯一といっていい、まともな体裁がとれていたものです。


改めて読むと、今も昔も書きたいこと自体はあんまり変わってないんだなぁ、と思います。文章力も・・・あんまり変わってないですか?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 少年の変化が心地よかったです。 [一言] そこそこ長いのに、一気に読めました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ