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ダンジョン美容クリニック  作者: 伊藤ほほほ


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3/12

第3話 レベルを上げたいよね?

 ロングメイスを壁に立てかけ、冷めたご飯とスープで腹を満たした。

 キッチンへ移動し、包丁でステーキの表面を削いで、塩コショウで味が付いた部分を取り除く。さらに、少し湯がいてから水で冷やし、細かく刻む。


「この子のエサって、犬と同じでいいのかな……」


 シャーマルヴォルフの生態を知らない。お腹が減るのかすらわからない。メラ先生から聞きそびれてしまった。もし異世界の食材かつ決まった物しか食べないのであれば、会社員である私にとって大問題である。

 試してみるとしよう。アルミのボウルに肉をよそい、お茶碗に水を汲んでやる。


「はい、召し上がれ」


 従魔の前に置くと、匂いを嗅いでから食べ始めた。どうやら美味しいらしい。満足そうな気持ちが伝わってくる。全て平らげて、今度はチャプチャプと水を飲んでいる。

 なんと愛らしい光景だろう。背中を撫でながら、にんまりと微笑む。


「色々買わないとね」


 首輪にリード、ブラシにエサ入れ、爪切りもペットシーツもオモチャも……。最初にお高いステーキをあげてしまったが、ドッグフードは食べてくれるのだろうか。必要なものはたくさんある。財布は軽くなってしまったけれど、明日はペットショップに寄るとしよう。

 自宅に大型犬がいる。この状況が何よりも素晴らしい。これから一緒に暮らすパートナーだ。モンスターだとしても、幸福な時間は変わらない。


「バフッ!」


 シャーマルヴォルフが咳をするように吠え、口の周りをべちゃべちゃに濡らしたまま振り向く。床に水滴が散らばった。


「しーっ、吠えちゃダメ。ちょっと待って……」


 眉を細め、人差し指を唇の前に持ってきて注意した。ここは安アパート。ペットを飼うことは許されていない。両隣の部屋から苦情が来たら追い出されてしまう。

 駆け足でタオルを取ってきて、愛犬の前でしゃがむ。口元を優しく拭いてあげた。すると、お返しとばかりに、大きな舌でほっぺたを舐めてくる。


「ふふふ。うちの子、可愛すぎる。……そうだ、名前どうしよ?」


 大事なことを忘れていた。ぶるんぶるんと頬を揺らされながら悩む。

 ゴールデンレトリーバーならゴル、マウンテンバーニーズドッグならバニにしようなどと妄想していた。この子はシャーマルヴォルフだから――


「シャマル。あなたの名前はシャマルね!」

「ゥ……」


 話がわかるのか、シャマルは嬉しそうに返事をしようと口を開きかける。だが、ついさっき私に言われたことを思い出したのか、ゆっくりと首を引っ込めた。


「シャマルは良い子だねぇ」


 これは褒めねば。お利口さん(シャマル)の首元をわっしゃわっしゃと撫で回す。

 シャマルは舌を出しながら、満足そうに笑っていた。


 さて、寝るにはまだ早い。シャマルを散歩に連れて行ってあげたい。スマホを起動し、ホーム画面を覗く。

 ……あった。転移アプリだ。

 開いてみると、非常にシンプル。


【転移】


 真っ白な画面の中央に、ボタンが一つ表示されていた。

 ロングメイスを肩に担ぎ、玄関でスニーカーを履く。よし、準備完了だ。


「シャマル。私ね、綺麗になれるんだって。行ってみようか、異世界……」


 短く息を吐いて気合を入れ、転移ボタンを押す。

 私とシャマルの体が光に包まれた。


*****


 照りつける日差しに目が眩む。手を翳(かざ)して空を見ると、晴々とした青空が広がっていた。

 転移に成功したらしい。周囲から賑やかな声がする。


「朝採れ野菜を買ってってくんな!」

「ダンジョン行くやつ、武器研ぐよー!」

「腹ごしらえなら、うちの肉焼きがオススメだ!」


 石畳の通路を挟み、露店がずらりと並ぶ。

 人通りも多い。みんな見慣れない格好だ。鎧やらローブやらで武装している。この世界では、ダンジョンやモンスターが身近なのだろう。

 空気が乾燥していることから、雨が少ないのかもしれない。石造りの家ばかりなのも、気候が関係していそうだ。


「そういえば……」


 従魔の情報も見れるとメラ先生が言っていた。情報管理アプリを開く。


――――――――――――――

【シャマル(シャーマルヴォルフ)】

レベル1


【ステータス】

体 7

魔 2

感 10


【スキル】

・威嚇

――――――――――――――


 私よりステータスが高い。モンスターとの戦闘を任せることになりそうだ。鋭い感覚を活かし、索敵をお願いするのもいいかもしれない。

 スキルを調べてみた。

 威嚇――鳴き声で相手を追い払ったり、注意を集めることができる。


「シャマル、家の中じゃなければ吠えてもいいからね?」

「ワンッ!」


 知らない土地で、何が起こるかわからない。現地の人間に絡まれたり、モンスターに襲われて命の危機に瀕したり。身動きが取れないときは、シャマルに助けを呼びに行ってほしい。

 ダンジョンという未知の場所で戦うにも、声が出せないとスキルが使えないし、不便な状況も多そうだ。

 必要なら吠えてもいい。ついさっき注意したばかりなので、勘違いしないよう教えてあげた。すぐ理解してくれるあたり、さすがお利口さん。


「どこにあるんだろ、ダンジョン……」


 早速レベルを上げたいところだが、どこへ向かえばいいのかわからない。


 ――ピポッ!


 そのとき、普段はあまり鳴らないスマホから通知音。

 ここは異世界だ。基地局などあるはずがない。しかし、画面に〝クエスト〟と書かれたバナーが表示されていた。

 不思議に思い、タップしてみる。


――――――――――――――

ダンジョンに行け!


達成条件 ポータルを潜り、第一階層に辿り着く


報酬 始まりの腕輪

――――――――――――――


 青いウインドウが現れた。イエスもノーもなく、受注させられたらしい。勝手にマップアプリが開く。現在地から点線が伸びている。目的地は森の中にあるようだ。

 報酬を調べてみた。

 始まりの腕輪――身に着けると体の値が一増加する。

 ただ移動するだけで、ステータスを補強してくれる装備が手に入るのはありがたい。早速移動を開始した。


 街を出て、外へ。

 雑草が生い茂り、風に揺れている。青く、爽やかな香りが運ばれてきた。一部剥き出しになった地肌が道となり、視界一面に広がる森へと続いている。マップアプリに従い進んでいく。


 森の中は暗く、葉っぱの間から差し込む木漏れ日だけが頼り。夜になったら、とてもじゃないけど歩けそうにない。

 とぐろを巻いた細い幹の樹木、毒々しい紫色の瓢箪みたいな果実をぶらさげた大木。新緑の絨毯には、カラスの羽に似た気味の悪い草が混じっている。どれも地球では見たことがない。

 影になったところでは、光苔が薄ら緑色に光っている。その中で、小さな翼を生やした妖精を思わせるキノコがぼんやりと白く輝いている。放出された胞子が、暗闇の中で夜空を彩る星々のように宙を舞っていた。


 しばらくして、現在地と目的地が重なった。

 街からそんなに離れていないこの場所に、それ(・・)はあった。


「あれが、ダンジョン……」


 ごくりと喉を鳴らす。

 木々の隙間で渦を巻く、楕円形の青白い光――あれがポータルだろう。中心に向かって螺旋を描きながら、人間を飲み込もうとする化け物の口に見えた。

 いよいよモンスターと戦うことになる。恐怖と不安で、胸の動悸が早鐘のように響く。


「大丈夫。やるって決めたんだから」


 気合を入れるため、ロングメイスを横薙ぎに振り抜く。遠心力で増した先端の重さに体が引っ張られてしまう。強く踏みとどまり、足を開いて重心を安定させる。

 反対から振りかぶり、もう一度。ブオンと大気を押し退ける音がした。へっぴり腰で、武器に使われている感じは否めない。それでも威力は十分だろう。


「行こうか、シャマル」

「ワフ」


 従魔と見合わせ、ともに頷く。深呼吸をして、渦の中へと一歩を踏み出す。

 薄い膜を突き破る感覚があり、視界が暗転した。


 すぐに両目は光を取り戻す。先を見通すことが不可能なほど薄暗い通路に立っていた。道幅は車が一台通れるくらいか。

 ジメジメして、カビ臭い。地面は硬い赤土。所々に石が転がっている。足元に注意しなければ、躓いて転んでしまいそう。

 壁と天井はブロック塀のような構造で、それ自体がぼんやりとした光源になっているようだ。


 さて、クエストは達成しているだろうか。スマホを開いて確認する。


【報酬受け取り】


 画面にボタンが表示されていた。押してみると、目の前の何もない空間に、ポンッと腕輪が出現した。


「わっ!」


 驚いているうちに落下してしまったそれを拾う。細い銀色のチェーン。均等にルビーみたいな宝石が配置されている。

 左の手首に装備してみた。少し体が軽くなった気がする。


 通路を進んでいくと、奥が曲がり角になっているようだ。左から光が漏れ出していることからわかる。

 角を曲がったその先に、大部屋があった。野球の試合ができそうなほど広い。隅々まで見渡せるだけの光量もある。

 地面の上を、ポヨンポヨンと跳ねながら移動する生き物がいた。あれがスライムだろう。半透明の体に、大きな目が二つ。直径は一メートルくらい。動きは遅そうだ。

 戦闘に入ると豹変してスピードが上がる……なんてことがない限り、あの感じなら勝てるかもしれない。


 ――ピポッ!


 スマホから通知音が鳴った。

 またクエストが始まるらしい。


――――――――――――――

スライムを倒せ!


達成条件 スライム0/15の討伐


報酬 スライム皮の干物

――――――――――――――


「これってもしかして……」


 思うところがあり、報酬を確認してみた。

 スライム皮の干物――水にさらして二時間ほどで、プルンと心地良い歯応えに戻る。細切りにしてサラダやデザートにするもよし、凍らせてシャーベットにするもよし。

 まさに棚からぼた餅。ドロップ率が低いと言われていたモンスター食材が、すぐ手に入る可能性がある。自然と鼻息も荒くなるというもの。


「殺(や)りましょう!」


 恐怖心など消え失せてしまった。メラメラと燃える眼(まなこ)に〝美〟の文字が浮かび上がる。

 まずは従魔が戦う様子を見て、余裕そうなら自分もやってみよう。それぞれ問題なければ、効率よく討伐数が稼げる。

 シャマルと向かい合ってしゃがむ。頭を撫でながら話しかけた。


「シャマル、あれ(スライム)倒せる?」

「ワフッ(うん)!」

「危ないときは逃げるんだよ?」

「ワンッ(できる)!」


 魔物使いだからこそ、気持ちが理解できる。

 従魔の興奮が伝わってくる。獲物を前にした猟犬みたいだ。

 立ち上がり、シャマルの横から背を叩く。そして叫んだ。


「ゴー!」


 シャマルが飛び出した。遠く離れた一匹を狙うらしい。銀色に輝く毛皮が風を受けてうねる。大きく体をスライドさせて、どんどん加速していく。

 そのスピードのままスライムに飛びつき、噛みついた。表皮に牙を食いこませ、首を振り回して投げ飛ばす。

 ボールのように跳ねながら転がるオモチャを見て楽しくなったのか、尻尾をこれでもかと振り回し、右へ左へと追いかけては前足で弾く。

 攻撃しているようにも見えはする。だが私は、広い庭で駆け回るゴールデンレトリーバーの動画を思い出していた。あれ、多分遊んでるよね。


「シャマル、危ないから早く倒さないとダメよ!」


 私の声にハッとして、我に返るシャマル。前足でスライムを抑え込むと、今度こそ分厚い皮を食いちぎった。

 討伐に成功したらしい。魔物は消え去り、美しい光の粒子へと形を変えた。あれが〝グロウ〟か。

 発生したグロウは二手に分かれ、ダイヤモンドダストのように飛翔する。私の体にも吸収された。


「私もやってみようかな。シャマル、手伝って!」

「ワオンッ」


 近くのスライムへと駆け寄る。重いロングメイスを持っているにもかかわらず、たまに皇居の周りを走るときより速い気がした。

 敵はこちらを認識しているのかいないのか。攻撃してくる素振(そぶ)りがない。

 シャマルの身体能力は凄まじく、もう近くまで来ている。これで守ってもらえる保険付きだ。攻撃しても大丈夫だろう。武器を大きく振りかぶる。


「えいっ!」


 気合を入れて、真下へ向かって振り下ろす。金属球は見事にめり込み、スライムをこれでもかと押し潰した。


 ――ポヨンッ


 しかし、威力が足りなかった。硬い水風船のような体に弾かれてしまう。私は反動で尻餅をつく。

 衝撃に耐えきれず手放したロングメイスが、少し離れた地面に落下してズンと鈍い音が鳴る。


「痛(いた)っ!」


 反射的に悲鳴が漏れた。ダメージはない。

 だが、スライムの両目が私に向く。ずるり、ずるり……ナメクジの如く近づいてくる。


「シャマル、威嚇!」


 そこに、シャマルが間に合った。


「ウォオオオオオンッ!」


 大気を震わす低い遠吠え。音の波が、スライムの体表をビリビリと揺らす。挑発が成功したようだ。ターゲットを変えた巨大な二つの目が従魔を睨む。

 冷や汗をかいた。自分でも簡単に倒せそうだと高(たか)を括(くく)っていた。すぐに立ち上がり、武器を拾う。そして、敵を見つめ直す。

 あのポヨンとした体、そういえば何かに似ている。……そうだ、児島課長のでっぷりとしたお腹。だんだん怒りが湧いてきた。

 

「シャマル、離れて!」

「ワンッ(了解)」


 スキルの存在を思い出した。

 メイスを振りかぶりながら走る。


「誰(だぁれ)が平安美人よ、クソ課長!」


 見栄えなど関係ない。がっと股を開いて踏み込む。

 溜め込んだストレスを一撃に乗せ、横薙ぎに振り抜いた。


 ――スパァンッ!


 自分のものとは思えない力が出た。目にも止まらぬスイングスピード。先端が触れた瞬間、スライムが消し飛んだ。

 キラキラと輝くグロウを見ながら呟く。


「何この爽快感っ!」


 晴れやかな心。脳が喜んでいる。両手を広げて光の粒子を胸一杯に吸い込み、天を仰いでご機嫌な笑みを浮かべていた。

 でも、スキルを使ったせいなのか、急に疲労感が生じている。肉体的ではなく、脳が疲れている感じだろうか。

 ……まあ、これくらいなら、ハラスメントに耐えてきた私には軽いものだ。スキル一発で課長の嫌味一回分と考えることにしよう。


「シャマル、二人で別々にスライムを倒していくよ!」

「ワフッ」


 ロングメイスをギュッと握り、頷く。

 もうコツは掴んだ。クエスト達成まで残り十三匹。後はもう時間の問題だ。大部屋の中を駆け回る。


「私の頑張りを否定するのは違うだろっ!」


 走って叩く。


「こんのハゲエエエエェ!」


 走って振り抜く。

 ドッカンバッカンと地面が爆ぜる。


 ……夢中になってストレスをぶちまけていたが、スライムの姿が見えない。いつのまにか狩り尽くしていたらしい。

 何匹倒したかわからないけれど、クエストは達成しているだろう。スマホを開いて確認する。


【報酬受け取り】


 早速取り出してみよう。ボタンを押す。幅広の春雨みたいなものが目の前に現れた。

 地面に落下する前に掴む。文庫本くらいのサイズだ。これがスライム皮の干物か。


「ふふっ。なんだか今日の私、私じゃないみたい。そっか、ミヤビ・キムラになったんだもんね」


 昔はもっと明るい性格だった気がする。

 松下さんが好きだった私――取り戻したくても、ゴミ箱に捨ててしまったせいで、もう焼却処分されていることだろう。暗い自分に慣れすぎたせいで、とっくの昔に忘れてしまった。

 どうせなら、新しく私を作り直そうか。目指すべき姿になればいい。木村雅ではなく、これからは〝ミヤビ・キムラ〟として生きていこう。


「よし、吹っ切れた! ……っと、もうこんな時間か。今日はここまでかな」


 時計は深夜十二時に差しかろうとしている。


「そろそろ帰るよー!」


 シャマルを呼んで、転移アプリを起動した。

 帰宅すると、この日はシャワーを浴び直して、すぐに眠ってしまった。

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