序
ひとつの世界は終わりを告げる。
魔法、錬金術、超科学――ある日次元の壁を超え、それぞれ全く異なる理を持つ「異世界」からの侵略が同時に始まった
日常という名の、脆く儚い楽園が音を立てて崩れゆく。
影を統べる《巫女》、守薙縁。故郷を追われた異世界の《御子》、レムシュカ。
楽園を追われた二人の少女は、世界の終わりに抗うため、奇妙な旅に出る。
それは、この国に眠る古き神々や妖たちを封じ、世界の礎とする、非情な「神狩り」の巡礼だった。
だがその行く手には、日本の霊的秩序を守護する者たち、異界技術を狙う軍事組織、そして他の異世界からの刺客が待ち受ける。
妖怪と科学兵器が火花を散らし、魔術と巫術が夜闇を奔る。
これは、全ての理がごちゃ混ぜになった現代日本を舞台に、二人の「ミコ」が新たな神話を紡ぎ出す、過酷な現代伝奇異能バトル。
果たして、彼女たちの旅路の果てに、楽園は在るのか――。それとも、異譚の中に漂い流れる(エグザイル)のか――。
……三月の陽光は、春霞のフィルターを越して、のどかな暖かさを車内に届けている。窓から差し込む光に目を細めれば、空気の持つ微かな冷たさとは裏腹に確かな春の訪れを感じさせた。
山腹を縫うように続く長い坂道の先に、一本の赤い糸のように鳥居の輪郭が見える。
路線バスが単調なエンジン音を響かせながら坂を登っていくにつれて、豆粒ほどにしか見えなかったそれは、近付くにつれその大きさと威容を現し始める。
そんな路線バスの後方、二人掛けの座席に、のどかな田舎道を走る車内に不釣り合いな二人の少女が並んで座っていた。
一人は、窓際に座る少女、いや、幼女の年頃か。
ボリュームある豊かな金の髪を古風なウシャンカ帽にまとめ、ミリタリ風の印象を与えるトレンチコートに身を包んだ姿はどこか世俗離れしていて、言葉を選ばず表すならばコスプレイヤーのそれに印象が近しい。
だがその相貌の愛らしさには奇妙な出で立ちの不自然さを、一挙に“らしい”着熟しへと変えてしまう威力があった。帽子から数条ほつれ墜ちる金の髪、時折瞬く金の睫、深く濃く澄み切った翠の瞳。もう片方は、紅の瞳。
幼くも整った目鼻立ち。絵画がそのまま三次元化したかのような、現実離れした美がそこにあった。
人形めいて整っているその表情は、硬い。
膝に置いたタブレットから目を離さず、これから朗読会でもしようというのか、何事か同じ文言を真剣な面持ちで繰り返し口にしている。
その隣に座るもう一人の少女は、そんなパートナーの緊張感を意にも介さず、まるで遠足気分の雰囲気で鞄からおだんごを取り出していた。
艶やかな黒髪を一本の赤いリボンで高く結い上げた、快活な印象。
その出で立ちは、和装束を現代的に仕立て直したような独特のもので、動きやすそうな黒い上衣に袴を思わせる、上着と同じく黒いキュロットスカート。左腕を肘まで覆う黒布の長手袋に包まれていることも含め、少し風変わりな(或いはちょっとばかり若さを拗らせた)ファッションを好む、どこにでもいそうな娘だ。
彼女は手にした竹串に刺さっている焦げ目つきの三連団子を一気にみっつ頬張ってしまい、ハムスターのように頬袋を作ってもちもち咀嚼する。
口一杯に広がる香ばしい醤油ダレの風味に目尻を下げる娘。やがて満足げに呑み込み喉を鳴らしから、呑気な声で隣の幼女に話しかけた。
「ん~、この『ちんこ団子』、名前はアレだけど味はサイッコウね! 焼きたての香ばしさと、鹿児島醤油のよく利いた甘じょっぱいタレ、鼻孔を擽る焼けたお餅のかほり……ああ、全国に広まって欲しいわ~」
「…………」
尚も小さくブツブツとつぶやき続ける幼女を見て、唇をむにゃりとさせた娘は二組になっていた団子のもう一本を取り出した。
「レーム、腹が減ってはなんとやらだよ、食べない?」
レーム、そう呼ばれた幼女は黒髪の娘に視線一つ逸らさないまま。
しかし手だけがにゅっと伸びて団子を受け取り、一個だけ口に運び、そして返却。
娘は、二つ残った団子をにこにこしながら頬張った。
「……貴様の準備は万全か、ユカリ」
再び美味しそうに団子を咀嚼している娘に応えるような声がかかる。
ユカリ――縁。名を呼ばれた娘はにひっと竹串を噛んだ歯を見せ頷く。
「もちろん、いつでもおっけーだぜー」
「……やろうとしていることが解っているのだろうな?」
「もちろん、かみご――」
「馬鹿モン、口にするヤツがあるか…!」
顔を上げ、しーっと黙れの仕草を見せるレームに「にひひ」と笑みを返す縁。
「そんな緊張しなさんな、奴さんだってン百年ぶりに起こされるんだ、きっと寝惚けていることでしょうよ。もしか、そんなに抵抗されないんじゃない?」
「そんなわけあるか。彼の方は焚岳氏ノ命……火山を司る。八重深文書では武の御霊の相も持っているとある…気は抜けないぞ」
「はえー」
気の抜けた返事に「はーっ」とあからさまに大きな溜息を見せるレーム。しかし縁は屈託ない笑みを作ったまま、言葉を続ける。
「だいじょぶだいじょぶ、なんとなかるよ」
「……貴様は楽天的に過ぎる」
そんな会話を余所に、やがてバスが鳥居の袂に停車する頃には見上げるほどの高さとなったそれが、目に鮮やかな朱を空に映す。
俗世と神域を分かつ荘厳な結界――霧隠神宮の大鳥居が二人の来訪を静かに迎えていた。
「行くぞ」
「あいよっ」
観光用の循環バスを降りる。
大きめのロータリーには土産物屋、食事処、イベントホール、郷土資料館などが建ち並び、いかにも観光名所のフォーマット通りな情景が広がる。
進行方向が直感的にわかるように視線が誘導されたその先に、バスからみた大鳥居が二人を見下ろしていた。
一礼し、鳥居を潜る。
――たったそれだけなのに、神域に入ったのだと感じさせられる空気の変化があった。二人はそのまま歩き出し、目前の緩やかで広い階段を昇っていく。
並んで歩くと頭二つほど身長差のある二人連れ。年の離れた姉妹で通じるには流石に出で立ちが違いすぎるか。ともかく目立つ二人組だった。
やがて登りきった先に、本殿への長い参道が広がっていく。
「流石にデカいねえ」
「我々の目的地は……此方だ」
本殿の賑わいを背に二人は脇道へと逸れた。
参道を歩む老若男女、参拝に訪れた方々。土産物屋の呼び込みや参拝客の砂利を踏む音、そして香炉から立ち上る線香の香りが、まるで別世界のように急速に遠ざかっていく。
天を突くような老杉の並木が昼の光さえも厳かに遮り、進む先は薄闇と静寂と深い緑に支配された神の領域へと続いていた。