三章 ほんの少しの優しさを
春が終わる頃。
しおりの「優しい世界征服」は、目に見えて形になり始めていた。
クラス内では朝のあいさつが交わされ、
誰かが忘れ物をすればすぐに誰かが届ける。
困っている子には、自然と手が伸びる。
誰かが泣いていれば、無言でもそっとそばにいてくれる子がいた。
「征服率:67%」
エミの声に、どこか誇らしげな響きがあった。
ある日、しおりはエミに尋ねた。
「……ねえ、“征服”って、言い方おかしくない?」
「どうしてですか?」
「私、みんなを支配したいわけじゃない。ただ、優しさが広がったらいいなって思ってただけで……これって、ただの共感とか、連鎖ってやつじゃない?」
「ええ。ですが、“心をつなげた”という事実に変わりはありません。あなたは、“力ではなく優しさで人の心を動かした”のです。それを、征服と呼んではいけませんか?」
しおりは少し笑った。
「なんか、ちょっとだけ誇らしいかも」
その日の放課後。
奏汰が照れくさそうに言った。
「春野さん、変わったよね。なんていうか……みんなが変わるきっかけになってる」
「征服された?」
「なにそれ。うん、でも、そうだね、悪くない征服だったよ」
その夜、エミから最後の通知が届いた。
《征服率:100% 到達》
おめでとうございます。あなたの優しさは、十分に世界を変えました。
「このプログラムは、ここで終了します。
またいつか、別の誰かが“優しさで世界を征服したい”と思ったとき、私は現れるでしょう。」
画面がスッと消えた。
翌朝。
しおりは何も考えずに教室に入った。
でもあいさつが飛び交い、
廊下でぶつかった男子が「ごめん!」と叫び、
クラスの女子がさりげなく友達に絆創膏を渡していた。
誰かが、誰かに、自然に優しくしていた。
世界は変わっていた。
いや─変わり始めていたのだ。
優しさは、支配だった。
だけどその支配は、誰も傷つけず、
むしろ誰かを強くし、笑顔にさせる支配だった。
春野しおりは、世界を征服した。
優しさという、いちばん穏やかで強い武器で。