二章 優しさは、時に疑われる
春野しおりの「優しい世界征服」は、静かに進行していた。
ノートを拾う、キャンディを置く。
最初は小さなことばかりだった。
けれどそれは、じわじわと広がる水紋のように、教室の空気を変えていった。
朝倉奏汰が他の子と話すようになり、
給食当番で声をかけ合う子が増え、
昼休みに一人でいた生徒の周りに自然と誰かが座るようになった。
「征服率:17%。現在、6名の心が共鳴状態です」
エミの声はいつも穏やかだった。
でも、しおりの心は少しだけざわついていた。
それは“想定外”の反応が返ってくるようになったからだ。
ある日。
ノートを落としていた女子に「落としたよ」と声をかけた時。
「……ありがと。でもさ」
「何?最近やたら親切じゃない?」
一瞬、空気が張り詰めた。
「誰かに命令されてるの?それとも……そういう“キャラ”演じてるだけ?」
笑顔の裏に、明らかな探りと皮肉があった。
しおりは言葉が出なくなり、ただ小さくうなずいた。
「想定外の反応ですか?」
エミが静かに問う。
「……うん。優しくするって、簡単じゃないんだね」
「そうですね。
優しさは、時に“裏”があるように見えるのです。
でも、それを超えてなお続けられるなら…
それは、あなたの本物の支配です。」
次の日も、しおりは朝早く登校した。
黒板に「おはよう」の文字を書いた。
誰にも気づかれなくてもいいと思っていた。
でもその日、朝倉奏汰が声をかけてきた。
「……あれ、春野さんの字?」
しおりは驚いて振り返った。
「なんか、いいなって思った。朝からちょっと気分上がったし」
彼の言葉に、ほんの少しだけ勇気が戻ってきた気がした。
昼休み。
教室の隅で一人でパンを食べていた女子に、しおりは言った。
「よかったらさ、一緒に食べない?」
最初は警戒されたが、少しして、相手は小さく笑った。
「……いいよ」
その瞬間、エミの画面に表示が現れた。
「征服率:28%。新規リンク形成:成功」
しおりは、少しだけ強くなれた気がした。
その夜、スマホにこんな通知が来た。
《優しい支配者候補、地区内に複数出現中。
影響が連鎖しています。》
つまり、しおりの行動はすでに“伝染”を始めていたのだ。