二話 表情筋の硬い眠り姫
瞼をを閉じているのに、月明かりが瞼を貫通して、少し眩しい。
それに何だかあったかくて、安心する包容感がある。
なんなのだろうか、この感触は?
目をふと開けてみると、そこにはツーンとしている顔があった。
そして、何処からともなく甘い匂いがして、吸い込まれるように首元を舐める。
子供だって甘い飴があれば舐めるだろう?
それと同じなのだ。
そこに首があるから、舐めてみる。
初めてフグを食べようと思った人もいただろう。
それと同じで、言わば挑戦者なのだ。
まずは体験してみて、その後のことはそのあと考えるのだ。
首筋を舐めることは、いわば自然の摂理なのだ。
首筋からは少し汗っぽい酸っぱい匂いがただよう。
この臭いは一般的には臭いと呼ばれる臭いだが、やはり上級者の俺は一味違った。
……しょっぱいような、岩塩をすりおろした味がしたのだ。
苦虫を噛んだような顔をしていることだろう。
「しょっぱ」
ついぽろっとでてしまった。
本当に不意に言ってしまったのだ。
決して他意は無い。
これはあれか、所謂ノンデリ発言だった。
心の中でつぶやいた謝罪に対する返答がすぐに行動で返ってきた。
右手からのボディーブロー
かなり重く、ヘビーな良いパンチだ。
成長を感じて俺は嬉しいよ。
そして、そんな感慨深い想いに耽る間も無く、左手でアッパー。
こちらも腰がきっちり入っていて、人を殴ることに一切の抵抗感と迷いがないと感じられる突きだ。
とんでもないな。
そして、「グハァ」と情けない声が出ながら、意識がなくなる。
二度目の眠りについた。
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ふっと目を開ける。
すると、心が安らぐような、暖かくて、全てを包んでくれそうな肌がそこにあった。
どうやらふくらはぎの上で寝かされていたらしい。
うひょぉ、たまらないどすなぁ。
「やっと起きたのッ?」
耳をガンガンと殴られるような声の声量で聞いてくる。
バグだ。バグっている。
いや、そもそも人を殴る奴がまともなわけがないか。
「あぁ、起きたよ、ありがとう眠り姫」
「……まぁ、私も悪かったわッ!」
マジで声がでかい……鼓膜が破れる
「俺もごめん……あともうちょっと声量下げられるかな?」
少し申し訳なさそうにそう伝える。
「わかったわッ!!!」
うん……変わらないらしい
まぁ、しょうがない、彼女はあまり頭が強くないから仕方がない。
眠り姫、彼女のことを呼ぶときにそう言う。
本名は伊勢神 香夜。
かやちゃんだ。可愛いどすなぁ、ふひぃ。
俺はかやと呼んでいた。
和風で日本人らしい名前だから俺はそう呼ぶのが好きだった。
でも、彼女はそう呼ばれるのは嫌だったらしい。
彼女の家族はもう居ない
事故に遭って両親が亡くなってしまった。
買い物に行くと言って、香夜と香夜の妹を家に置いて行った後にすぐ……らしい。
まぁ、俺も後から聞いた話なんだが。
香夜の両親を引いたクズは飲酒運転だった。
香夜の両親が赤信号から、青信号に変わったタイミングで、乗用車両にクズが横から突っ込んできたらしい。
香夜の父親はその場で心肺停止。
母親の息は事故当時はあって、そのまま直ぐに病院に運ばれたが、死亡が確認されたらしい。
引いたクズはその場から逃げ、警察の捜索後に逮捕された。
香夜が当時9歳の時だった。
まぁ警察から、後で聞いた話なんだが。
その後直ぐに香夜が病気を発症した。
眠り姫の呪い、眠り姫病、正式名称は分からないが世界で3例しかない奇病を発症した。
主な症状は重度の睡眠障害、記憶の喪失、能力の低下、心拍数の低下が挙げられる。
最悪のタイミングだった。
香夜は発症当時は少し睡眠時間が伸びる程度だったが、
15歳現在では一日中寝ている日や、夜中の間だけ起きていられる日など、
発症の影響はまばらになってきている。
一つ言えるのは悪化しているということ。
記憶の喪失に関しては記憶が偶にあやふやになっている、所々抜けている記憶がある。
例えば、自分の名前や両親のことはかなり怪しくなってきている……
いや、香夜自身が思い出したくないかも知れない。
親のことや、自分自身のことも全部洗い流してしまいたいのかも知れない。
心拍数の低下に関してはあまり考えたくない。
ただ一言だけ
心臓が止まる可能性がある……
可能性と言ってもかなり低いらしい。
だがかなり低いということはそうなる可能性はあるということだ。
香夜にとって家族は妹だけだ。
妹は香夜と一緒に留守番をしていたので、事故から免れることができた。
今は香夜の父方の祖父母と暮らしている。
でも、俺も香夜にとって家族のような存在でいたい。
俺はそう思っている。
「ねぇッ!」
ビクッと体を震わせる、考えすぎていたな。
「ごめん、眠り姫、どうしたの?」
そう聞くと、待ってましたと言わんばかりに顔をドヤって、
「髪を結んでッ!」
と自信満々に言ってきた。
「よし!まっかせなさーい」
少し女々しい声でそう言い、いつも通りに髪を結ぶ。
何故か引かれていたが、そんなことは気にせずむししていく。
一寸の濁りもない純黒の髪の毛にすっと手を通す。
……やはり病院をすぐ出てきたので風呂に入ってないな。
髪が少しツヤっとしている、、、。
まぁ、まったく気にしないが。
潔癖症のくせに香夜のは不思議と汚いと思わない。
何でなのだろう?
こういうのは親しい人なら大丈分なのだが、他人だと、どうも嫌悪感が出てしまう。
きっと大丈夫なのは、香夜がそれだけ家族に近い、ということなのだろうか。
……なんか、うれしいな
ハーフアップの髪のセットの完成と同時に、不覚にもニヤッとしてしまった。
「なんでニチャァって、してるのッ!?」
何故かニヤッとしたつもりが、ニチャァになったらしい、
「いやっ、なんでもないよ」
そんな風に少し誤魔化しながら、ベンチに手を置き、足と背筋を伸ばす。
ご満悦な様子だ。
我ながら上出来なのではないだろうか。
中々に素材の良さを、引き立てられてられている。
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
そういうと、香夜は少しもじもじしながら、手の裾を掴んでくる。
「明日も来てくれる?」
上目遣いで、愛玩動物のように、そうおねだりしてくる。
「もちろん!」
言葉数は少ないが気まずくならない。
この和やかな雰囲気は好きだ。
病院の前まで一緒に歩いて行き、手を振りながら、帰路に着く。
明日は食べ物を持ってきてあげよう、と思いながら病院を後にするのだった。