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異世界川柳「幸せね、ごはんもあるわ、ベッドもね」身代わり花嫁は今宵も一人で寝ています。

作者: 佐久ユウ

大きなミスがあったので、タイトル変更、改訂してます(^^;

 「幸せね、ごはんもあるわ、ベッドもね」


 アンジュは寝る前に川柳を作るのが日課だ。


 川柳はよい。五・七・五の十七音で感情を自由に豊かに表せる。


 結婚式の後、夫とは会えていない。だが何事も『石の上に三年』と言う。『住めば都』ともいう言うが、リステリー公爵の邸宅ていたくはまさに都、生家より超絶豪華絢爛ちょうぜつごうかけんらんだ。

 

 アンジュ・スチュアートはそんな気持ちを川柳にして手帳に記して閉じると、夫が用意した固めのダブルベッドにひとりぽつんと眠った。



◇◇◇




 アンジュの前世の趣味は川柳だった。五七五の音に乗せて心情を綴ることは生きがいだった。


 享年75歳、名は安寿あんじゅといった。人生100年時代まだまだ現役、清掃のパートをしながら仲間と川柳を作るのが好きだった。


 そんな彼女は事故死でも病死でもなく『ピンピン、コロリ』であり、不満はなかった。


 後悔があるならただひとつ。思い切って新聞に投稿した川柳が日曜誌面の入選に選ばれたか知ることができないこと。


 彼女は金曜日、清掃中のトイレで倒れたからだ。





 アンジュはハーレクイン公爵の分家に生まれた。


 分家の初代当主がウイスキーのコレクターで、呑兵衛のんべえだった。酒代で本家から分け与えられた資産は一代で底を尽き、本家から借金をした。


 だから2代目父アレンは自動車工場で工員として働き、母ソフィは残った邸の家財整理と針子仕事で食いつなぐありさまだった。


 共働きの両親はアンジュを乳母に預けた。二人は馬車馬のように乳母代を稼ぎ、借金返済に奔走した。乳母は気立ては良いが貧しく、アンジュは馬小屋の藁の上、畑仕事の乳母の背ですくすく育った。


 そんなある日、彼女は前世を思い出し『自分は安寿である』と言って乳母を驚かせた。まだ満2歳、知らせを聞いてやってきた両親の前で7歩くと、


「わたくしは、天上天下てんじょうけんげ唯我独尊ゆいがどくそん……あ、字余りだわ」


 とそらんじていた。


「あなた、ただ者ではないわ! どこの国とも分からない言葉をすらすらと。連れて帰りましょう!」

「立派な人物になるかもな! こんな時のため本は売らずに置いてあるのだ!」


 母はアンジュを引き取り、仕事を辞めた。

 

 さすがに転生しても身体は2歳児。オムツ替えに食事の準備、育児がある。頼みの乳母はきみ悪がって泣いて仕事を固辞したのだ。


 二馬力が一馬力になり、生活はますます貧しくなった。母はアンジュのため、わずかにやしきに残っていたよくわからない彫刻、下品な絵画を売り払いオートミールとミルクに変ると、アンジュに食べさせた。

 薔薇が枯れた庭園には野菜を植え、スープにして家族3人で食べた。

 屋敷じゅうのカーテンはアンジュの子供服と布オムツに仕立てた。


 それでもアンジュが年頃の娘になると金は底をついた。生活用品も売られ、部屋にはシーツと枕代わりのクッション、膨大な蔵書のみ。

 本だけが多い、究極のミニマリストになった。

 彼女は針仕事をして母と共に家計を支えていた。

 



 

 そんなある日、アンジュは本家に呼ばれた。


「シャンデリア いくつみたのか 分からない」


とアンジュが思わず呟くくらい、豪華な屋敷だった。


 本家の当主は軍人、戦いが大好きなえらそうな男だ。ひとり娘のコロンは父に似ない可憐な令嬢として知られ、パンタローネ商会の経営者リテスリー公爵と婚約していた。


 しかし結婚式を3日後に控え「庭師のクソ野郎」と駆け落ちして行方不明になった。


「『リステリー公は浮気者だ!』と適当な事を言いよって、駆け落ちしたらワシの面目が丸潰れだっ!」


 当主の話は長かった。要約してアンジュは一句、心で詠む。


(『身代わりの 花嫁になれ 今すぐに』か……)


 つまりアンジュを養子にするので、明日にリテスリー公と結婚せよ、代わりに分家への借金は帳消し、父に年金を支給するという条件だ。


 両親の苦労を知るアンジュは二つ返事で了承した。両親との別れの挨拶もあわただしかった。それでも父アレンと母ソフィは今の暮らしよりはマシなはずと、涙をのんで養子に出すことを承諾した。




◇◇◇



 (王女でも こんな真珠は 付けられない)


 アンジュは生まれて初めて姿見ではっきりと自分を見た。生家の姿見は売られ、使用人が不在の窓は姿が映らないほど汚れていたからだ。


 三連の真珠のネックレス、繊細なレースのドレス。濡羽色の黒髪に紫水晶の瞳を持つ少女の儚さを際立てている。


 そして結婚式が始まった。コロンと婚約してたのに、前日に相手がアンジュ変わっても先方は文句を言わなかったらしい。


 リステリー公は肩まで伸びる金髪を後ろでまとめ、紅い瞳を持っていた。体格は良いが筋骨隆々ではなく、スマートに見える。


 前世で安寿に太陽光発電を売りつけにきた営業マンのように微笑んでいる。


『美男子と 詐欺にご注意 したごころ』


 つい前世の『詐欺撲滅さぎぼくめつキャンペーン川柳大会』に入賞した自作を思い出す。


「政略結婚なので緊張なさらず。あなたの本家、軍人ハーレクイン公爵と婚姻を結ぶのにはメリットがあるのです」


 アンジュは顔をしかめた。政略結婚も戦争も好きではない。


「軍人と取り引きを? 武器商人ですか?」

「父の代まではね。私の代で止めました。戦後は人の命を奪うより、人に夢を与えることに投資したい」


 リステリー公爵は嘘っぽい笑みを浮かべ、両手を堂々と広げた。


「これから儲けますよ。この国一番の商会にして戦争で失われた芸術を取り戻すことが私の夢です。つまり芸術家たちのパトロンです」


「はぁ……お名前を伺ってもよろしいですか? わたくしはアンジュです」


 リステリー公は胸に手を当て、ひざまずく。


「芸術・芸能の神さながらのアポロン。そうお呼びください」


 舞台挨拶のように振る舞われ、どことなく胡散臭いとアンジュは思った。偽名なのは明らかだ。


 『顔だけの 笑顔に注意 詐欺かもね』


 入選した前の年『詐欺撲滅キャンペーン』に選ばれなかったのを思い出し、アンジュは眉間にシワを寄せずに済んだ。


「……誠実さ 顔で測れぬ むずかしさ」


 ニコニコするアポロン(偽名の疑い大)は立ち上がるとアンジュを見下ろした。


「いま……何か、おっしゃいました?」


「いえ、お気になさらず。司祭さまがお待ちです。旦那さま」


「はい。奥さん、どうぞよろしくお願いします」


 そう言ってアポロンは手袋をはめた手をアンジュに差し出した。やや警戒するアンジュに向けられた美男子の笑みに、アンジュはもう一つよむ。




『美男子の 破壊力や 恐るべし』



◇◇◇




 結婚後、アポロンの力は顔だけでは無いとアンジュは思い知る。


 シャワールーム付きの50室の寝室とリビング。食堂すら4ヶ所ある。100人が収容できるホールに、前庭、中庭、裏庭。菜園に、果樹園に、牧草地に厩舎。

 広い図書室には10万冊の蔵書、それに総勢100名の使用人が仕えていた。


 ずらずらーと並んだ使用人たちに鞄一つで嫁いだアンジュはおののいて、思わず手帳開き、鉛筆で書き留めた。


『王宮と ほぼ同規模で 怖すぎる』


 そんなアンジュの心を知らぬように、アポロンは微笑んだ。


「何か分からぬことは、そちらの侍女頭じじょがしらから聞いてください。私は仕事があるのでまた後ほど」


 アポロンは騎士のようにアンジュの左手の甲にキスして、颯爽さっそうと廊下の奥へ消えた。


 侍女頭たちにあいさつを済ませ、寝室でまたまたアンジュはぽかんとした。


 きらびやかで、豪華で、華やかな調度品。壁ある数々の絵画、壺、彫像。衣装部屋には手の込んだドレス、宝飾品、靴に鞄。そして部屋の中央にどデカい天蓋付きのダブルベッドがある。


「今夜は初夜ね……身体は20歳だけど心は……いいえ、心だって永遠の20ハタチだけど大丈夫かしら……」


 前世は独身だった。恋人はヒッピーだったり、売れない作家や歌手志望者だったりした。


 結婚で男に夢見るのはやめようと、教師になって定年まで働き、定年後は清掃員としてパートに出て、両親を介護し自宅と病院で看取り、親が溜め込んだ荷物を1人で整理し、雨漏りする自宅を退職金でリフォームしてつつましく生きていた。


 そんな前世の走馬灯を今さら思い出したアンジュには夢のような景色だ。


 だが夫の財力におののいたのは一瞬だった。


 75年の人生経験を持つアンジュは、死ぬときは何もあの世に持って行けないことを知っていた。


 だから晩年は積極的にミニマリストになり、今世では必要に迫られてミニマリストになって過ごした。


 この部屋はそれとは対極、少し居心地が悪い。


 走馬灯を巡らせているアンジュから侍女たちに手持ちの鞄を取られ、6度めのお召し替えをされた。


 夕食も豪華だ。アポロンはまだ仕事で先に食べるよう、との伝言を執事から聞き食べ始める。食べ残さないようにと思ったが、途中でギブアップした。


 「すみません、持ち帰り容器は……」


 執事に怪訝けげんな顔をされ、自分の自宅であることを思いだして咳払いする。


「残りは明日、朝食で頂きます。お手数ですけど保管しておいてください。わたくしには多すぎるのでこれからは3分の1に。腹8分目が健康に良いので」


「奥さま……残飯を食べるとおっしゃるのですか?」


「痛みにくいものを残したので残飯にはしません。自然の恵みに、お百姓に、狩人に、料理人や配膳して下さる皆さまに感謝しています。田畑の肥にするにしても、食べずに捨てるのは罰当たりです」


「……分かりました。奥様のおっしゃる通りにいたします」


 執事はうやうやしく頭を下げ、アンジュは部屋に戻った。侍女たちによって身体は清められ、夜着に着替えたところでふと思った。


 『しまったわ 文句言う嫁 嫌われる』


 反省も俳句にするのがアンジュのくせ、いや川柳愛だ。


 『半年は 様子見なのよ 控えめに』


 手帳に書いて気持ちを引き締める。しばらくするとノックが聞こえ、夫かと緊張したが執事だった。


「大変申し訳ありません。旦那様より『今夜は疲れているだろうから先に休みなさい』とご伝言がありました」


「分かりました。旦那さまに『お気遣い痛み入ります』とお伝えください。それから夕食で差し出がましいことを言って迷惑をかけました。そちらのご都合の良いようにしてください」


「とんでもございません。旦那さまより、奥さまの言われた通りにするよう言い付けられております。奥さまのお望み通りにいたします」


 優秀な執事はそう言って頭を下げ部屋から出ていった。


「はぁ……でも嫌われてたらどうしましょうか……」


 そんな時でもひらめいた。


「幸せね、ごはんもあるわ、ベッドもね」


 川柳を作ると前向きな気持ちになり、アンジュは言われた通りにさっさと眠ろうとした。


 しかしベッドがふかふか過ぎて眠れない。


 寝具を整え、枕を一つ持って毛足が長い絨毯の上で暖かなローブにくるまると、ようやく眠りに落ちていった。



◇◇◇



 彼は夫婦の寝室にそっと忍び込んだ。寝台に妻の姿はない。


 (まさか逃げたのか? いや警備の者に見つかるはずだ)



 寝台のサイドテーブルに目的の手帳がある。屋敷に入ってきた時に何か書き付けていた手帳だ。彼は悪いと思いつつ、彼女のねらいを知るために手帳を手に取る。


 ハーレクイン公の娘コロンが庭師と駆け落ちした噂を聞いていた。すれ違いの原因は自分だと自覚していた。


 劇場の役者たちと打ち合わせに忙しく、突撃訪問してきたコロンの対応を家令に任せたら関係がおかしくなった。


 そもそも打ち合わせは誕生日に演劇をサプライズしようとしたものだったが、演劇の招待状を出したら、


『最低ね。女がいるんでしょ。みくびるな、バカ』


 と手紙が届き、弁明の手紙も、謝罪の訪問を願う手紙も突き返された。


 予告なしの訪問はハーレクイン公が許さないと思い、平民に変装して会いに行った。垣根から様子をうかがうと、コロンは庭師とお熱い密会の最中。それでも彼女を信じたが駆け落ちと聞いてそれなりに落ち込んだ。


 そんなところへ養子アンジュがやってきた。公爵の企みなのか、便乗なのか、いずれにしても怪しすぎる。


 彼はパラリと手帳をめくる。細かい文字で短い十七音が書き連ねてあった。


 針仕事 手帳が買えて しあわせよ

 新聞を 羽毛代わりに 暖を取り

 返済書 父母の汗 流れ消え


「何だこれは……」


 彼は唸った。ハーレクイン公爵邸でアンジュは酷い仕打ちをうけてきたのだろうか? しばらく困窮を詠んだ歌が続いたあと、


 シャンデリア いくつ見たのか 分からない

 偽妻にせづまに なってやりましょ 恩返し

 父母に 親孝行を 今度こそ


「分家からの養子とは聞いていたが……」


 彼はさらに手帳をめくった。


 しまったわ 文句言う嫁 嫌われる

 半年は 様子見なのよ 控えめに

 幸せね ごはんもあるわ ベッドもね


「なんだこの 胸に響くぞ 十七音」


 彼は芸術を愛し、詩や韻文にも理解があった。だから初めてみる俳句も五七五、十七音の法則があり、行間に彼女の心を読み取った。


 彼は目頭が熱くなるのを感じて、手帳を閉じると、ようやく床の上にアンジュを見つけた。


「なぜ床に……そうか『寝台で 買われた肉は 骨に染み』……寝台すら売り飛ばして肉を買い求めるほど困窮されていたから……床で眠られるのが習慣なのだな」


 彼はフカフカの寝台のシーツが整っているのを見て、寝心地に慣れないのだろうと想像した。それでもローブは寒そうなので、毛布をアンジュにかけ、寝台よりは座面が固い長椅子に寝かしてやった。


 思った通りアンジュはすやすやと眠っている。


「明日には硬めの寝台に変えさせよう」


 彼は執務室に戻り、さらにベッドの用意を指示し、家令にアンジュの家を極秘に調査するよう指示した。




◇◇◇




 夫アポロン(偽名の疑いまだ晴れず)とはほとんどすれ違いの日々を過ごした。


「政略結婚は本当のようね」


 執事によると夫は予定を前倒して超過密スケジュールをこなしてるらしい。


「それでも確かまだ25歳……いくら若くても過労死してしまわないかしら?」


 このひと月、アンジュはそれだけが気がかりだ。何せ初夜から夫婦の寝室に彼は一度も来ていない。かと言って別の場所で寝てる様子でもない。執事に問い詰めると、


「その……運転手が運転する行き帰りの自動車でお眠りになっています」


 と言葉を濁してそっぽを向いた。怪しすぎる回答だった。


 アンジュは夫の顔を見にひっそりと彼の職場パンタローネ商会へ夫が付けてくれた侍女とひっそり出かけた。


 王都中心部のパンタローネ商会は5階建の建物だった。商会と言ってもいわゆる百貨店で、1階は宝飾品、化粧品、2階は衣類、3階は調度品、4階は子供服、5階は文具売り場とレストランがあると侍女がいう。


 アンジュは平日なのに賑わう店に足を踏み入れて、それに気づき、一句詠む。


「すごいわね 家にあるもの 全部ある」


 思わず口にすると、夫の声で川柳が返ってきた。


「商品は 試して良さが わかるもの、ということですよ」


 侍女がさっとアンジュから離れ、深々と頭を下げる。やはりスーツ姿のリステリー公爵だった。侍女が慌てた。


「だんな……いえ会長。アンジュ様は今日は買い物にこられて」


「エマご苦労さま。執事のマッドから報告は受けています。案内は私がしますから、あなたは本日、有給です。熱心に働くだけでなく時には自分の時間を愉しむことも大切ですからね。この手当で平日の買い物を楽しんでください」


 夫はそう言うと、札の入った封筒を侍女に渡したので、アンジュは驚いた。


(もしかして 侍女に裏金 愛のため?)


 アンジュの疑惑の視線に気づいた夫は、彼女の心を読んだようにほほえむ。


「手当を渡すのは彼女だけじゃありませんよ? あなたの意向を汲み、良い仕事をしてくれたことへの対価です。私の様子を見に来たと聞いています。5階のレストランで少し話しませんか?」


「それは願ったり叶ったりです」


 自然とアンジュの声色は冷えた。エマはよく世話を焼いてくれるが『旦那様に報告に行く』と立ち去ることも度々あった。


(恐らくは、侍女と夫は できている) 


 深呼吸して、夫が差し出した手に手を添えた。


侍女はスキップしてすでに売り場に消えていた。疑うとますます怪しく見える。


 階段を二人で登るあいだ、夫は饒舌じょうぜつだった。


「あなたはずいぶんご苦労なさっていたのですね。ご尊父、ご母堂のため望まぬ結婚をなされたのでしょう? 金は力とは言いますが人の真心までは動かせない。やはり芸術が心を震わせるのだと思います」


「そうですか……このひと月ずいぶんとお仕事が忙しかったのですね?」


「ええ、何より御尊父、ご母堂へのご挨拶もありましたしね。ご実家に一流の家財道具を整え、優れた使用人を雇用し、掃除を徹底させ、傷んだところは補修し、新たに美しい庭園を築いて整えるのに時間がかかったのです」


 アンジュはゾッとして夫を見上げた。


「……父母も 金の力で 丸め込む?」


 踊り場で夫はドキッとした顔でアンジュを見下ろした。それは本心を明かされた男がする顔でアンジュには前世の男たちの顔が走馬灯のように重なった。


 (やっぱりね 夫は夜の 遊び人)


 二人はしばしそのまま時が止まったように見つめあった。




◇◇◇




 彼は頭が真っ白になった。

 妻の紫水晶の瞳は疑いの色を向けている。可愛らしい口元は固く結ばれている。


 何より、金の力で何でもする男だと思われていることがショックだ。


 彼は息をゆっくりと吐いた。

 信用は一度失うと時間がかかる。


 それが分かっているから商品は屋敷で試し、良いと思ったものしか店には並べていない。配下の氏名と家族構成は全員記憶し、感謝の気持ちは手当や言葉で示してきた。それなのに間違えた。


 いずれにしても丁寧な説明が必要だと思い、彼は深々と頭を下げた。


「御尊父、ご母堂のためスピード感を持って対処した結果、あなたへの報告が遅くなり心からお詫び致します。ハーレクイン公が戦犯になり、分家のあなた方に非がないことを陛下に素早くお伝えする必要があったものですから」


「ええっ? お義父さまが戦争犯罪者どういうことですか?」


「ここではひと目もございますから、レストランの個室へ。予約しています」


 二人はレストランの個室に移動した。


 彼は突然用意された身代わり花嫁アンジュをハーレクイン公が自分を消すために送ったスパイだと疑った。


 だから彼女が肌身離さず手にしている手帳を調べた。しかし、それは邸宅の警備情報ではなく、心情を見事につづった芸術だった。


「私の川柳を見たんですか!」


「勝手に見てすみません。あなたが何を書きつけているのか気になったので」


「いえ、別に良いんです。ちょっと恥ずかしいだけですわ……芸術だなんて畏れ多いです」


「芸術とは本心です。十七音に凝縮された心情。ソネットより短い芸術……話を戻すと、心動かされた私は、あなたの家を調べました」


 ハーレクイン公は分家の借金は帳消しにした。だが分家の邸は近所から幽霊邸と呼ばれるほど荒れていた。


 本家は義父にわずかな年金を与え職を権力で奪った。世間体のため自動車工場に圧力をかけクビにした。母は外出禁止にした。


「そんな! 実は両親と連絡を取ったら借金取り消しは無しにすると言われ、知らなかったのです。それにお祖父様がお酒好きで本家から借金してたのが原因だから、強く言えなくて」


「契約書を調べたらひどい金利でしたよ。それに返済金は邸のシャンデリアにしていたみたいです。ですが悪業はそれだけではないのですよ」


 公爵は戦後、戦時中の不正で起訴されていた。のらりくらりと疑いをかわしていたがパンタローネ商会、つまり彼は自分の父が残した書類を元に告発した。


「あなたが、告発なさったのですか?」

「ええ、父も騙されていたのですが、軍人だった公爵は父の売った武器を横流ししていました」


 公爵は自分が使うと言って仕入れた銃器をパンタローネ商会に告げず、敵に売って利を得ていた。公爵は戦うなら正々堂々と対等にをポリシーにする戦争バカだった。


 彼の父親は後悔して、敵兵が持つ銃器のシリアルナンバーが証拠だと公爵に訴えたが、揉み消され逆に脅された。父は良心が苛まれ、病んで亡くなり、母も父を追うように天国に旅立った。


「正直、公爵の身内となり油断させて不正をあばこうと婚約しました。でもコロンは関係なかったし、一時期は惹かれれたのも事実です。もちろんもう終わった話ですけれどね」


「政略結婚はそういう意味だったんですね」


「はい。こちらの作戦が公爵にバレてるのではないかとあなたを一時でも疑ってすみませんでした」


「いいえ、それは私も同じです。てっきり遊び人だと思ってましたから。それで公爵は?」


「国王陛下は即日、公爵位を剥奪、国家反逆罪で投獄しました」


 事情聴取に呼ばれた彼は養女アンジュの身を守ることを第一に動いた。その甲斐あってアンジュの養子縁組は解消、公爵位は分家だったアンジュの父が継いだ。


「ですからあなたの実家の再建を手伝ったつもりだったのです。あなたの御尊父ご母堂は『戦犯の、稼ぎをむさぼった男の屋敷に住みたくない』とおっしゃったので」


「すみません。わたくしとんだ、勘違い。……でしたわね」


 ふっと彼は上品に笑った。


「今も無意識に十七音を口にされましたね。あなたを屋敷に招いたとき、十七音を口にされて芸術の女神ミューズかと思いましたよ。まさにアポロンの私に相応しい」


 彼はそう言ってアンジュの左手甲に口付けを落とした。


 アンジュは顔を赤くして、それから姿勢を正した。


「お願いです。本当のお名前を明かし下さいませんか?」




◇◇◇




 アンジュは夫が自ら運転する自動車に揺られつつ屋敷に向かっていた。


「あの……お仕事は大丈夫でしょうか?」


 夫は紅い瞳で真っ直ぐ前を見たまま、黙っていたが息を吐くと、ようやく口を開いた。


「仕事は前倒ししたので大丈夫です。それより正直怒っています。公爵は養女に嫁ぎ先の夫の名を教えなかったんですね」


「え、ええ。リステリー公と。執事や侍女のみなさまは『旦那様』と呼ばれるから聞く機会を逃してしまって」


「つまりあなたは夫の名前をまともに知らず、名分からない夫の屋敷で一月も過ごしていたわけだ」


(怒ってる? 名前も知らぬ 妻だから?)


 アンジュが身を固くしていると夫アポロン(やはり偽名だったらしい)の手が伸びて隣に座るアンジュの腰を引き寄せた。


「きゃ!」


 アンジュの叫びと、車体が大きく揺れるのがほぼ同時だった。


「すみません。屋敷の正門の前なのに、道が悪くて今の箇所は数日中に直しますから」

「あ、いえ庇ってくださってありがとうございます」


 夫は屋敷の玄関前に駐車し、アンジュをエスコートした。執事が走ってくる。


「ジョン、悪いが用事は後にしてください。しばらく誰も執務室に近づけないように。アンジュ、執務室に来て下さい」


「は、はいっ」


 夫はアンジュの手を引き執務室に入れ、スーツから引き出しの鍵を取り出して開けると、また鍵を取り出し、壁際の本棚に隠されていた鉄製の金庫に差し込んだ。


「それにひと月前の自分にも腹が立ちます。あなたに疑いの目を向けたこと差し引いても、疑いを持たれる言い方をした自分を恥じています。日頃、皆に名を大切にするよう言っておきながら、笑われますよね?」


「そんな。私も確認を先送りしていて、すみませんでした」

「いいえ、あなたは悪くない。これで信じてもらえますか?」


 アンジュが頭を下げると、夫は国王陛下の爵位証明書を差し出した。


『アポロン・ジョージ・フィリップ・ウィンザー』


(アポロンが 本名なんて 私バカ)


 申し訳なさで顔を赤らめるアンジュは重要なことに気づいた。その下には公爵領や伯爵領の他に海辺サンビセス国王も兼任していた。


「こくおう様? アポロン様……公爵家が元王族なのは知っていますが、現役の王族なのですか?」


「はい。連合国家の一つ、サンビセスは今はほぼ独立国、王と言っても実質名誉職です。でもひと月弱は向こうの儀式に参加する義務があります。陛下とも比較的近い親族として。だから忙しくなる前に汽車でサンビセスに行きましょう。明日から2ヶ月ほどね」


「えっ? 明日? 一緒に?」


 アポロンはアンジュに手を差し出した。


「最初のひと月はハネムーンです。のんびしましょう。仕事の代理は信頼のおける部下に任せてるので大丈夫。サンビセスの陽気な音楽と踊り、透き通る海と白亜の街並みと温泉地。すぐにでもお見せしたい」


「突然の 新婚旅行 びっくりよ」


 唖然としつつも、つい俳句を詠むアンジュにアポロンは声を出して笑った。


「もちろん御尊父ご母堂はひと足先に現地でお寛ぎ頂いていますよ。お二人が喜んでいる姿を見るのは親孝行してるようで私も嬉しいのです」


 そこまで言われたら、アンジュも首を縦に振るしかなかった。


「アポロンさま。今まであなたのことを疑ってごめんなさい。ふつつか者ですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします」


「アンジュ顔を上げて下さい。


 愛してる アンジュの心 まごころを」


 俳句で改めて求婚されアンジュは白い頬を赤く染めた。


「ありがとうございます。わたくしも、

 

 アポロンの ことにこそ 愛はある」


 二人はほほえみあい抱きしめ合うと、彼女はもう一つ作った。


「不幸でも 川柳はさちを 連れてくる」



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