1話 カードショップを開く
白と紫の派手なコートに、富士山の形を模した緑髪。僕だ。久間御仁だ。
いつもの様にハローワークの扉を開けて入る。その度に思う。どこでこうなってしまったのかと。二十代の頃はサークル作って漫画や小説を書いて楽しくやってた。大手の出版社から小説も出したし、アニメ化もされた。自慢じゃないがそれなりにヒットした。だが、ヒット作なんて一本や二本が限界。駄作が続いてファンは離れた。話題の新作でもなければ大衆は見向きもしない。詰まる所、僕はオワコンになった。
パソコンの前に座り、出版関係の求人を探す。小説が駄目でも編集とか別の仕事でと思うのだが、良い求人が見付からないので未だに面接すらしたことない。
「はあ~。就職してぇな~」
大きな大きな溜息を吐く。
その時、ガラガラとドアが開く音が響いたかと思うと、室内にピリピリした空気が流れた。手の空いている職員数名が困惑した顔で入口へと駆け寄っていく。
たまに来るんだ。変な奴が。就職はときに人をおかしくする。
関わりを持ちたくないのでさっさと帰ることにした。また明日にでも来ればいい。気になった求人票を印刷して手に取った。
と、その時。
右手に持っていた求人票が後ろからバッと奪い取られた。
「底辺出版社に土下座して泣きつく気か~御仁ちゃん」
この声は!
知った声だった。ビリビリと紙を破く音がして、足下に破られた求人票がヒラヒラと舞い落ちた。
やれやれ、相変わらずだな。
「久し振りだね天壌さん」
久し振りの再会に少しワクワクしながらも、感情を押し殺して振り向いた。
そこにいたのは女。目がチカチカする程の眩しい金髪をぐるぐる巻きにして角に見立てている。整った顔立ちに豊満な胸。しかし、それを台無しにする青いジャージ姿。何故か背中に大きな手裏剣を装着していて、高速で回転している。鈍く光るその質感は到底偽物とは思えず、触れたら指を切断されてしまいそうだ。手には業務用の五リットルのウイスキーを持っており、泥酔しているのが一目でわかるぐらい顔が赤い。おまけに足がふらついていた。
天壌別子。彼女は僕が小説家だった時の担当編集者で、三年ぐらい世話になった。編集者を辞めてからの足取りは知らないが、元気にやってたみたいだ。
あの手裏剣は何だろう?本物に見えるけど銃刀法違反にならないのか?日本の法律は機能していないのか?
疑問に思っていると、いきなりウイスキーを僕の方へ振り回して撒き散らした。
「うわ!何っ!」
ズボンが濡れて飛び退いた僕を笑いながら、角からシュークリームを引っ張り出して袋を開けて食べ始めた。
まじで何なんだこの頓痴気野郎は。頭わいてんのか。
「君も、ハローワークで職探しかい?」
尋ねると急に両拳を挙げてグルグル回し、叫んだ。
「ワークスタディパーペキ!レツゴーニュワールド!」
え?何?
考える時間も与えずに陽気に出口へ走っていく。どうしたもんかと迷っていたが、周囲の視線が痛かったので付いていくことにした。
ハローワークのすぐ近くのファミレスでチョコレートパフェとコーラを二人分注文し、膝を突き合わせた。背中の手裏剣は外してシートに立て掛けている。シートが深く沈んでいるので、本物の金属だ。
彼女はアニメキャラらしき二体の男の子のぬいぐるみでお人形遊びをしていたが、酔いも少し覚めてきた様子なので軽く咳払いして、
「それで、仕事の話なんだよね?」
「...単刀直入は悪手。女と話す時は無駄な会話を挟むぐらいが丁度いい塩梅」
言って、角の中に二体のぬいぐるみをしまった。
どうなってるんだ?髪を巻いてるのに物理的にそのサイズの物が入るスペースがあるのか?
角の中が気になったが、聞くのも怖かったので触れないことにした。
「君相手にそんな気を回したくないし、大事な話なんだろ?」
ウイスキーのボトルを一瞥すると、愛想笑いしてこう返した。
「皆まで言うな」
「互いにある程度腹の内は読めてるだろ」
「...映画観に行こうぜ」
真っ直ぐ僕の目を見てそう言った。
「はい、嘘」
すかさずに返す。
「既婚者が嘘でも言うもんじゃない」
彼女は右下へ視線を落とした。
「離婚した」
「...なるほど」
そりゃお前の頓痴気に付いてこれる男はそうそういないだろうからな。いつ離婚しても不思議ではなかったけども。早く話題変えよ。
そこへパフェとコーラが到着した。
「仕事ってのはつまり、君の手伝いでいいのかな?」
再び僕の目を見る。
「ザッツライト!」
パチンと指を鳴らして、そのまま指先を僕に向けた。
あ、今回は普通に答えてくれるんだ。心の準備が終わったのかな。
「内容は?」
「カードショップのオープニングスタッフだべ」
「カードショップ」
胸が高鳴った。僕も彼女もトレカが好きで、SNSではコレクターとしてそこそこ有名だった。自分の店を持つのはカードマニアなら誰もが夢見るだろう。しかし、その相棒がSNSで【ピンクドラゴン】と名乗る彼女であることが最大の問題だ。彼女の影には万引きや詐欺といった悪事の噂がちらつく。そんな奴と一緒にいれば僕まで評判が下がる。だから断りたい。
だが、それ以上に首を縦に振る理由が僕にはある。
こいつは人間性に問題はあるが、タッグを組んだ三年間はワクワクの連続だった。ノリの良さと読めない言動、こいつといると退屈しない。裏で万引きも詐欺もやってるクソ野郎なのかも知れないが、一緒に働く選択をした方が毎日がワクワクするものになると思う。それに、ハローワークに通うのもうんざりしてきた。そろそろ何処かに腰を下ろしたいのも本心。
こいつの悪行もただの噂。犯罪に手を出さないか僕が見張ればいいだけのこと。残る問題は...。
「一応訊くけど、正社員だよね?」
「最初からは無理だべや。黒字が続けば正社員にするから安心してけろ」
ま、妥当か。頑張り次第で正社員になれるってことだし、知らない人に囲まれる職場よりか全然いい。
「よし乗った!ただし条件がある」
「条件?」
「SNSは僕が担当する」
彼女は顔を歪めた。
「陰キャの心を鷲掴みにする高次元の文章を書けますかな?」
不服そうだな。もう少し自分を客観的に見れないのか?SNSで痛々しいポエムを垂れ流して陰でポエムの人とか呼ばれているお前が言うな。お前がやると絶対オモチャにされる。
「出来るさ。で、仕事はいつから?」
「オープンは来月の頭。その一週間前からショーケースやレジの搬入があるから、二月二一日に秋葉原駅集合だやさ」
当日。心地好い青空に見守られながら秋葉原駅電気街口の人混みを掻き分けて改札を出て、すぐに天壌にメッセージを送った。一分待たずに返信があった。
『時間厳守は社会人として最低限のマナーであり、顔を合わせて初めて集合となることは言わずもがな』
うわ。出たよポエム。これだから...。しかも何が言いたいのかよくわからないし、よくこんな文章が書けるな。集合場所に着いてこの怪文書だけってことは、あいつを捜せってことか?うぜー。
しかし雇用主に逆らえる筈もなく、渋々捜索を開始する。人の往来が激しいとは言え、電気街口は広くはない。適当に歩いているだけであんな馬鹿みたいな髪型簡単に...。
少し歩いたところで足を止めた。ついでに、左右に動かしていた目も。
そこには妙な光景があった。高さ一メートル直径一メートル半ぐらいの巨大な天ぷらうどんのカップが逆さに置かれていて、複数の駅員に取り囲まれていた。
コスプレ...のイベントじゃないよな。まさか天壌か?いやいや、まさかまさか。
そう思ったのも束の間、駅員が二人がかりでカップをふわりと持ち上げると、まず水色の運動靴が見えた。あの日天壌が履いていたものだ。この瞬間、疑いは確信へと変わる。そこから一気に上に持ち上げられると、頭の上で浮遊したドーナツが高速回転する三角座りした青ジャージ姿の不審者が姿を現した。僕が働く店の店長だ。寒いのか、少し体が震えている。と言うか、なんでドーナツが浮いているのだろうか。
駅員が驚きの声をもらすと、彼女はスッと立って僕に向かって少し強い語気でこう言った。
「鈍感力の極み。修行不足が否めないのでセンサーを鍛えて自分の主くらいすぐに見付けられるようにすることが急務かなぁと」
駅員は互いに顔を見合わせた後、暴れる天壌をスムーズに駅員室へと運んでいった。
ありがとう駅員さん。いつも駅の平和を守ってくれて。
駅員室から出てくるのを待ち、改めて秋葉原に出た。いつの間にか頭の上のドーナツは無くなっていた。
「で、店は何処にしたんだい。駅から離れてもいいけど、離れ小島だと認知すらされないからね」
「人気店の小判鮫程度の腕前」
えーと、人気な店の近くに出店してついでに寄ってもらえる場所を選んだ、でいいのかな?
中央通りに出て道沿いに歩いていく。結構な距離を歩いていたが突然彼女は足を止め、道の向かい側のビルを指差した。
「駅から徒歩十五分。悪くないべ?」
「ああ。悪くないね」
周囲を見回してライバル店の存在を確認する。徒歩五分圏内に三軒。客足が伸びそうだ。意外としっかりしてるじゃないか。
信号を渡り、エレベーターで七階まで上がる。
ドアが開く。すぐ前に螺旋階段、その向こうにはビルが建ち並び、青空が広がっている。天壌が先に出て左の扉を開くと、何も無い広い空間が広がっていた。綺麗に清掃され、床がピカピカに輝いている。
「おお~!なんか、ぽいなっ!」
見える!見えるぞ!ここに並ぶショーケースとカードの数々が!なんかワクワクしてきた!
「ここがあたしらの拠点...くくく」
「何か企んでる様な笑い方をするなよ。それで、今日は何をするんだい?」
彼女はポケットからスマホを取り出して何度か画面をタッチしてからしまった。
「届いた荷物を並べるだけだべ」
「ショーケースかい?」
「あたぼうよ。他にもレジやら机やら椅子やら。スタッフ用の休憩スペースも必要だっぺ」
そうこうしている内に次々と物が運び込まれた。この日はショーケースを並べてスタッフ用のスペースを作っただけで一日が終わった。
「はい、お疲れさん」
「ん。ありがとう」
近くの自販機で買ってきたであろう緑茶のペットボトルを受け取り、口をつけた。
「明日はレジとパソコンの設定、防犯カメラの設置だべ。明後日からサプライやら新品商品の陳列。ポスター貼ったり店内の飾り付けも時間かかるからなー。ま、ちょっとずつ進めていこうべや」
時間はあっという間に過ぎ、オープン前日を迎えた。初日は販売だけで買取は二日目以降なので、買取レジは封鎖されている。店内には商品がずらりと並んでいた。シングルカードはもちろんのこと、各種カードゲームのパックや構築済みデッキ、カードを保護する各種スリーブにコレクター向けのディスプレイケースの数々。眺めているだけでワクワクする。しかし、ショーケースの約半分が空白のままだ。
「オープン記念の福袋とオリパの宣伝はしておいたけど、物はどこだい?」
彼女の方へ顔を向かわせながら尋ねた。見ると、彼女は胸の前で掌を向かい合わせていた。掌の間の空間には小さな銀河が広がっている。銀河は凄い力で広がろうとしていて、必死に押さえ込む掌が時々押し返されていた。汗を流しながら奮闘する表情は真剣そのもの。まるで、世界を救う戦いを人知れず完遂する魔法少女の様だ、と思いました。
「あの~オープン記念の」
「ん」
漸く僕に気付いた。
「オープン記念のアレね!ああ、それなら後であたしが持ってくるから」
声が上擦っているし、愛想笑いがぎこちない。
これは...やってんねぇ。
疑いの目で見ていると突然、銀河をガバッと飲み込んだ。すると、彼女の二つの眼球がスロットみたいに上から下へ回り始めた。
うわっ!何!?
ガンッ!と右目が止まると、虹彩の代わりに『やってます』の文字が書かれていた。左目も止まる。当然それは『やってます』の文字。テッテレーと音まで流れた。
いやこれ完全にやってるじゃん!つか何なのお前の体!
「うん。最後にもう一回中身を確認しよう。オープン記念の福袋やオリパは重要だ。多少損をしてでも客に良い思いをさせて、信用を得ることが大切だ。口コミで客も増える」
僕が彼女の目を見て話すと、彼女も真っ直ぐに僕の目を見た。目と言うか、『やってます』の文字なんだが。
「ドントウォーリー。慎重と臆病は似て非なる性格。臆病者は他人を信用しない自分に酔っているが、周囲から見ればただの滑稽な芸人」
何だかわからないが馬鹿にされているのかな?絶対に見せないという強い意志を感じる。
「僕が見たらまずいのかい?」
「信頼第一」
角からきび団子を取り出して、拒否する僕の手に無理矢理捩じ込んだ。こんなの要らない。
怪しいとは思いながらも口を出さないことにした。店長は僕じゃないし。
恐る恐るきび団子を食べてみたが、意外と美味かった。髪の毛入ってたけど。
そして迎えたオープン初日。案の定福袋とオリパの中身が詐欺だとクレームが相次ぎ炎上した。初日の新鮮な空気を味わう暇も無く閉店までクレーム対応に追われ、くたくたになって一日が終わった。
「ふぃ~疲れた~」
スタッフルームで椅子に座りながら背筋を伸ばす天壌。を横目で見る。迷惑をかけて申し訳ないという態度も謝罪も一切無い。それはまあいい。ムカつくけど。問題はそこじゃない。
「一言いいかな」
「ん?言ってみぃやさ」
キョトンとした様子。
「福袋とオリパに関しては君を信じた。正直ガッカリだよ」
「ガッカリ?」
彼女が首を傾げると、足下の床や彼女が座っている椅子から緑色の芽がニョキニョキと生えた。
「わっ!」
僕は椅子から飛び退いて距離を置いた。
その間にもそれはぐんぐん育っていく。伸びていくとやがて見慣れた姿になった。
「何って、もやしだべ」
知ってるだろ?という顔でもやしを引き抜いて食べている。
「何でもやしが」
「こっちでも栽培しようと思って種を持ってきたんだべさ」
「いや、明らかに異常な早さで成長していたが」
「...ここら辺パワースポットなんじゃね?」
何だよ今の間は!絶対今考えただろ!って、話が脱線した。オリパと福袋の話をしたいんだよ。
「もやしはいい。それより、こんな詐欺師みたいなやり方じゃ先は無いよ」
彼女は両手で払う仕草をしてから、
「未開封商品はプレ値で封入していませんってちゃんと書いたし、福袋の金額以上の物を封入したべぇ」
「投げ売りされてる激安ボックスを定価計算で入れれば炎上するだろ。馬鹿でもわかる」
彼女は「みちちちち」と笑い、
「馬鹿だからわかんねーさ、あいつらにゃ。あたしはきちんと計算して金額以上の商品を詰めた。商売を知らない乞食が自分の利益だけを求めて泣き喚くだけの事象。馬鹿の一言で斬り捨て御免。それに、どんなコンテンツでも参加者の九割は馬鹿。御仁もよ~くわかってるべや?」
薄い笑みを浮かべて僕を見る。彼女の瞳の中に、客を見下す彼女と客を信用しない彼女が見えた。それは、僕の心の鏡写しにも思えた。僕もカードゲーマーの民度が低いと思っている。大会ではイカサマが蔓延し、SNSでは誹謗中傷が絶えない。自分はまともだと思ってるまともじゃない奴が九割。でも...。
「でもね天壌さん、馬鹿でも客は客。丁寧に扱わないなら僕は辞める」
彼女はめんどくさそうに息を吐いた。
「アイアイ」
彼女は変顔をして蝶の様に舞いながらトイレへ向かっていった。
「反省してないな」
悪い予感がする。あいつのズルが露見して店が潰れる気がする。そうなれば僕はまたハローワークに逆戻り。天壌ともお別れだ。そうならない為には彼女を見張って詐欺を未然に防ぐしかない。整理してみよう。僕の目標は天壌の詐欺を防いで、売上を上げて、正社員になる。この三つだ。難しいがやるしかない。