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 ーーー僕のためのダンジョン? この、はずれダンジョンが……?


 ヒトミさんの言葉に僕が抱いたのは、もやりとした気持ち。

 けれどそれがどんな気持ちなのか、はっきりと自覚するより前にヒトミさんが「よし」と向きを変える。

 ダンジョンの奥にいる僕に背を向けた彼女は、入り口を指さしてにっと笑った。


「能力に問題なし。ならば、契約を結ぼうじゃないか」

「契約、って?」


 まばたきを繰り返すばかりの僕の手のひらに、ショウさんが拾った魔核をぽんと乗せる。

 ちらりと見えたショウさんの目が、じわりと空色に光っているのは、魔核を鑑定しているのだろうか。


 ーーー攻略者資格持ちなだけじゃなくて、スキルまで持ってるなんて。二人とも本当にすごいなあ。


 目の前にいるのに、遠いところの偉人を眺めているような気持ちになっていた僕に、ヒトミさんが告げた。


「臨時パーティ契約だよ。君たちとわたしとで、対等な契約を結ぶのさ」


 ※※※


 意気揚々と歩き出したヒトミさんの背を追ってダンジョンを出たところで、彼女はがっくりとその場に膝をついた。


「え、え! 大丈夫ですか!?」

 

 慌てて駆け寄り声をかければ「ああ……」と頷きながらも顔色が悪い。青ざめた額にはびっしりと汗がにじんでいる。


「この白衣を着ていても、じわじわと精神にからようだね。やはり完全装備で行くべきだったか……」

「っあー……ポーションがしみるぅ! ほいよ、パーティ金額で一本五万、どうよ?」

「買おう」


 ポーションをあおったショウさんが問えば、ヒトミさんは流れるように答えた。ついで、懐からお札を掴んでひらりと広げる。


「はいはい、確かに」


 お札を数えたシュウさんが「ほい」と気軽に投げた瓶をヒトミさんは軽々とキャッチして、血の気の失せた唇に押し付ける。


「……はあ。君は君で腕がいいな。研究仲間として勧誘したいくらいだよ」


 ポーションをごくりと飲み干したヒトミさんは、はやくも赤みを取り戻してきた唇をぬぐってショウさんを見る。


「あっは、お断りぃ。社会の歯車が嫌になってこうしてるってのに、自分から首輪なんてつけませーん」

「残念だな。でも、今回は協力してくれるんだろう?」

「まーね」

 

 へらりと笑ったショウさんが僕の肩に腕をまわした。


「あのダンジョンの素材が欲しいし、ルイ君面白いし!」

「えっと、魔核が欲しいならどうぞ。無理して僕を褒めなくても大丈夫ですから」


 やさしいシュウさんに気を使わせてしまった。

 申し訳なさを覚えながら魔核を差し出すと、シュウさんは眉を寄せて僕のひたいを指ではじく。


「俺はそーゆー貢がせやってませんからぁ。買い取りなら喜んで!」


 ころり、表情を変えてにこやかに言うシュウさんに流されるまま「あ、はい。じゃあそれで」と答えてしまった。


 すると、手の中から魔核が消え、代わりに置かれたのは万札の束。


「え? え! シュウさん!?」

「魔核ってねえ、良い素材になるんだわあ。しかもこのダンジョンってこれまでまともに入れた人がいないから、価値高いのよ」

「でも、僕はただ立ってただけで。戦ったわけじゃないのに……」


 ただ立ち尽くして、浴びせられる言葉の嵐をやり過ごしただけ。

 それも、いつか耳にしたものばかりだったから、すでに抉られた箇所をすこし削られたようなものでしかない。


 ーーーそれなのに、こんな大金を受け取るなんて。


 悪いことをしているような気がしてそわそわしていると、ショウさんが僕の頭をくしゃりと混ぜた。


「たまたまでも実力じゃなかったとしても、魔物の核は本物なの。実感なくてもこの取り引きは正当なもんなんだから、ほらほらお金しまっちゃいな〜」

「わ、は、はい……」


 やっぱり落ち着かないけれど、しまえと言われて僕はお金をかばんにしまう。

 そうすると、次は前を進むヒトミさんがどこへ向かっているのか気になった。


「あの、ヒトミさん。どこへ向かってるんですか?」

「ああ。契約のためにね、保証人になってくれる人の元へ向かうんだよ。ご存命であれば君のご両親が最適だが」


 ずんずんずんずん進んでいくヒトミさんについて歩いてたために、すでに僕らはダンジョン前の広場を抜けている。

 

「母さん、ですか」


 ダンジョンを出てすぐ、廃墟同然の実家を横目につぶやけば、ヒトミさんは「ああ」と頷いた。


「知っているかもしれないが、ダンジョン攻略は危険を伴う。攻略者資格を取得する際、いざというときの連絡先を登録するんだ。そこで必要になってくるのが、保証人というわけだ」

「ほんとは役所であれこれ書類書かなきゃなんだけどねえ。そこらへんはお偉いさんパワーでなんとかしてくれるんでしょー?」

「そこは任せておきなさい。こんな時に使わなくて、なんのための権力か」


 胸を張るヒトミさんと笑うショウさん。

 ふたりがどんどん歩いていくのを見ながら、僕は立ち止まっていた。


「あの……」

「んん? どしたの、ルイくん。まだ心配事があるー?」

「なんだい、何でもは聞けないが、ある程度の融通は効くよ。研究への貢献として、謝礼ももちろん払う」


 謝礼。お金。働いて、その対価に得られるもの。


 ―――それがあれば、少しでも借金返済の足しになるかもしれない。


 働き口すら得られなかった僕はせめてあとを濁さず消えてしまおうと思っていたけれど。


 ―――この命を少しでも何かの役に立てて消えていけたなら、今日まで無駄に生き延びたこともすこしは許されるだろうか。


 僕は心を決めた。


「あの! 僕の実家、ここなんです!」


 指さしたのは蔦が絡まる寂れた我が家。

 すっかり陽が落ちた今、暗闇のなかに冷ややかに立ち尽くすその影はひどく暗く、あらゆる重みに今にも押しつぶされてしまいそう。


「これが、実家……? もしや、君の家は一家離散を……?」

「いえ、母が住んでるはずです」


 ヒトミさんが「なんと……」と絶句した。

 無駄に背の高い建物を見上げて、ショウさんがぽかんと口を開く。


「わぁお。なかなか雰囲気あるお家だねえ。殺人事件とか起きてそう」

「あはは。父さんは死んでますけど、家じゃなくてダンジョンで死んでるから大丈夫ですよ」


 ショウさんが「わあお」と言ったきり黙り込む。

 僕は、ふたりの顔を見る余裕もなくて拳をにぎりしめたまま、声を絞り出した。


「あの、こんなところでも良ければ、いっしょに来てもらえますか」


 ***


 母さんはやつれていた。

 大学へと進学をした四年前もすでにやつれていたけれど、さらにしわが増え、ひっつめた髪は白髪が目立ち、ひどくみすぼらしい。虚ろな目に映る僕もよれたスーツを身に着けて、大差ないけれど。


「おかえり、ルイ」

「うん。えっと、うん」


 事前の連絡もなく四年ぶりに帰ってきた、息子を何も言わず迎え入れてくれた母さんに、申し訳なさが摘みあがっていく。

 

 ―――手土産のひとつもあればよかったんだろうか。本来なら初任給でプレゼントを、なんて思ってたのに。僕なんかが大それた夢を見ていたなあ。


 胸に湧く感情を持て余しぼうっとしていると、母さんは僕の背後に目をやった。


「ところで、そちらの二人は……」

「はあい、ルイくんの友だちのショウでーす」

「研究者をしている、神野ヒトミと申します」


 ひらり、手をふったショウさんとぴしり、姿勢を正したヒトミさんの姿に、母さんはほっと息をつく。


「そう、借金取りでないなら良いのよ。みすぼらしい家だけれど、良かったらあがってちょうだい」


 母さんに促されて、ショウさんとヒトミさんを家のなかに招き入れる。

 宿屋用に設計された無駄に広い玄関はすでにガラスが割れ壊れているから、脇にある引き戸が今の入り口だ。


「おお? この戸、閉まらないな?」

「ああ、それはコツがあって」


 ショウさんが戸を閉めようと苦戦しているので、僕はいつもしていた通りに戸に力を加えてスライドさせた。レールがひしゃげているせいでスムーズとはいかないけれど、それでどうにか扉は閉まる。

 すかさず鍵をかけるのは、借金取りが入って来ないようにするためのくせだ。


「むう、どこを踏んでも床がきしむな……鶯張りか?」

「あ、ヒトミさん。あまり端のほうに寄ると床板が腐ってる箇所があるので。母さんの足跡をたどって進んでください」

「ほう。なかなかスリルに満ちた工法だな」


 母さんに連れられて向かった先の部屋は、備品置き場として作った建物のなかで一番狭い部屋。電気代など削れるものは何でも削るため、親子二人で布団を重ねあって眠りについたのは懐かしい思い出だ。


「わあお、部屋のなかもなかなか……飽きさせない作りだねえ」


 ショウさんが言葉を選んだ理由は、壁紙がわりに張られたアルミホイルと梱包資材が織りなす、まだらな壁面を目にしたからだろう。

 暖房をつけるという選択肢なんて無かったから、この無料の保温剤にはずいぶん助けられたものだ。夏場は丁寧にむしりとり、冬場にはまた貼り付けて何年も使っているものだから、茶色く変色した箇所も見受けられる。


「何もないところですが……」


 母さんの言葉は謙遜でもなんでもなく、本当に部屋のなかには何もない。せいぜい、座布団よりも薄い敷布団とつぎはぎだらけの毛布が一組と、母さんの服だろう畳まれた布が数枚あるだけ。

 使い古されたペットボトルに入った水は、きっとどこかの公園で汲んできたものだろうけど、ひと様に出せるようなものじゃない。


 お茶のひとつ、座布団の一枚もない部屋のなかにヒトミさんは躊躇なく腰を下ろした。ショウさんは興味深げに部屋の壁を見て歩いている。


「単刀直入にお伝えします。息子さんがダンジョンに入るための保証人になっていただきたい」

「ダンジョン……?」


 てっきり『保証人』という借金を思わせる言葉に反応するかと思った母さんが繰り返したのは『ダンジョン』のほうだった。

 ヒトミさんの横で膝をつき、僕は身を乗り出す。


「保証人と言っても、保険金の受取人と同じだよ。僕になにかあったとき、ダンジョンで得た報酬を受け取る相手を指定しなきゃいけなくて」

「だめよ!」


 噛みつくような叫び声が母さんの口から飛び出てきた。

 

「そんな、死ににいくようなこと許せるわけないでしょう!」


 ―――こんなに大きな母さんの声、はじめて聞いたかもしれない。


 呆然とする僕の肩をつかみ、母さんはなおも叫ぶ。


「お金のことなら気にしなくていい、って何度も言ったでしょう! 私はあなたが元気なら、それでいいの。どこかでのんびり暮らしてくれていればそれでじゅうぶんだから、そんなダンジョンなんて危険な場所に飛び込もうとするのはやめてちょうだい!」

「で、でも母さん。見てよ」


 僕は慌てて鞄をさぐり、ショウさんにもらったお金の束を見せた。


「ほら、見てよ。ダンジョンで手に入れた魔核を売るとね、ひとつだけでもこんなにお金がもらえるんだよ。これならきっとすぐに借金だって返せるし」

「だめよ!」


 母さんは半狂乱になって僕を抱きしめる。

 手のひらのうえのお金がところどころ板の剥げた床にバラバラと舞い散ったけれど、目にも入っていないようだった。


「御母堂。聞けば、ルイくんの御尊父もまたダンジョンで亡くなったとか。ルイくんがあのダンジョンを攻略することで、故人の無念もまた晴らされると……」

「あの人は自殺よ」


 母さんの一言でヒトミさんがぴたりと動きを止める。

 見開かれた大きな目が僕を見るから、母さんにしがみつかれたまま僕は頷いた。


「父は、ダンジョンが封鎖される前日に中に入ったらしいんです。そのころこのあたりには家以外にも攻略者を目当てにした店がたくさんあって、その店先にあった防犯カメラにダンジョンへ消えていく父の姿があったらしくて」

「御尊父に攻略者資格は……」

「もし持っていたなら、借金つくってこんな大きな宿を建ててないでしょうね」


 ヒトミさんは「むう」と口をへの字にする。

 母さんを説得してまで僕を連れて行くメリットがあるか、考えているのだろう。


 ―――ああ、やっぱり帰って来なければよかった。おとなしくダンジョンの奥を目指して、ひと目につかない場所で餓死でもしていれば……。


 借金を返して母さんを楽にしてあげたい、なんて夢は、儚く散るだろう。

 そう思っていたのに。


「御子息は必ず無事に返す! どうか、力を貸してほしい。わたしの研究の発展のために、彼の力が必要なのだ!」


 ヒトミさんはがばりと床に土下座した。薄汚れた床板にもかかわらず、きれいなひたいを押し付けている。


「今はまだわたしが若く美しい研究者であるということで世間の目をひき、いくらかの研究費用も手に入れられている。しかし、結果を出さなければやがて誰もが手を引くだろう。そうなる前に、わたしは結果を出さなければならない! そのために、ルイくんの存在が必要なんだ!」

「あなた……」


 必死に訴える少女の姿に、母さんの腕の力がゆるむ。

 けれどヒトミさんは顔を伏せたまま、なおも続ける。


「聖属性の魔法が確立されれば、助かる命が増えるんだ。確率されれば研究する者が増え、さらなる魔法の開発へと発展するだろう。その足掛かりをつくる大切な役目に、御子息をお貸しください。どうか、ルイくんの力を!」


 うれしかった。

 百もの会社に不要だと言われ続けた僕をこんなにも必要だと言ってくれる人がいることが、うれしかった。


 僕は母さんの腕をそっと押しのけ、ヒトミさんの隣に座る。

 こんなときでも背筋を伸ばした美しい彼女の姿勢を見習って、僕も母さんに向かって頭を下げた。


「母さん、僕からもお願いします。僕は、自分に可能性があるなんて思えないけど、でも、ヒトミさんのことは信じたいんだ。できるだけ母さんに迷惑をかけないように気をつけるから……」


 深く、深く頭を下げた。

 いくつも受けた会社のうちのどこかの面接で、あいさつの練習だと頭を下げさせられたそのときよりも、ずっと素直に頭が下がっているのを感じる。


 しばらくして、聞こえたのは小さなため息。


「わかったわ」

「母さん!」


 うれしくて顔をあげると、母さんは泣いていた。泣きながら笑っていた。


「ルイがやりたいことなら、保証人でもなんでもなるわ。でもね、迷惑をかけないようにじゃだめよ」

「え……」


 ―――だったらなんて言えばいいんだ。


 戸惑う僕の後ろに、ショウさんがひょいとしゃがむ。


「そーゆーときは『かならず無事に帰ってくるから、それまで待ってて』って言えばいーんだよ」

「あ、ぶ、きっと、無事に帰ってくるから、待ってて、くれる……?」

「もちろんよ。行ってらっしゃい」


 仕方ないわね、と言いたげな笑った母さんの顔は、ずいぶんと痩けてくたびれていたけれど。


 ーーーああ、幸せだったあのころみたいだな。


 そこに僕は幼いころ、まだダンジョンも無かったころに毎日感じていた温かさを思い出した。


「では、こちらが書類だ」


 ほっこりと見つめ合う僕ら母子の間に、ヒトミさんは紙を一枚ぺらりと置く。


「そしてこちらが研究協力への謝礼だ」


 どん、と音を立てて置かれる札束に、僕の感傷は消し飛んだ。

 薄い白衣のどこから現れたのか、束というより小山のようなお札が床になだれる。


「こ、え、ええ!?」


 僕は何を言って良いのか、声にならない。

 母さんは驚きすぎて意識が飛んでいるのか、瞬きも忘れて固まっている。


「もちろん、これは協力してくれることへの謝礼なので、報酬の一部でしかない。今後はダンジョンの攻略が進むごとにさらに成功報酬を支払うつもりであるし、もちろん、ダンジョン内で手に入れた素材は君のものだ」

「これで、一部……」

 

 母さんが倒れた。

 僕も倒れてしまいたい。


「こんな、こんな大金……」


 目の前のお金だけでも、僕が何年も働いてようやく手に入れられるかどうか。


 ーーーこれに加えてさらに成功報酬がもらえる。魔物の素材も売れるなら……。


 借金を返すことも夢じゃない。

 いいや、さらに母さんとふたりで暮らせる新しい家も建てられるかも。


 ーーー夢を抱くなんて、いつぶりだろう。それも、叶うかもしれない夢なんて……。


 僕の肩をぽん、と叩いてショウさんが笑う。


「まあ、ぼちぼちいこーや」

「はいっ」


 意識せずにこんな元気な声が出るなんて、自分でも忘れていた。


 ーーー僕はこのはずれダンジョンで、成功するんだ!


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