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就職活動であぶれた無職、かつ攻略者適正はすべての素質が測定最低値の器用貧乏な僕が、ダンジョンを攻略する。
―――そんなこと、想像ですら許されないに決まってる。
「いえいえいえいえ、無理です! 僕にはそんな能力ありません。攻略者適正オール1なんです、すみません。僕はただの無能なんです、本当にごめんなさい。本当はダンジョンに入る権利すらありません!」
「しかしな、君はすでにその数多くの攻略者が成し得なかったことをしているんだ」
「成し得なかった、こと?」
察しの悪い僕に呆れることなく、ヒトミさんは大きくうなずいた。
「このダンジョン内に居続けることだ。気付いているか? 入り口とはいえここはダンジョンの内部。わたしが魔法を行使できたのが、その証拠だ」
「あ……」
むん、と胸を張って言ったヒトミさんの足が地面を叩く。
寂れた町の埃っぽい地面とは違う、傷つけられない謎の素材でできた硬質なダンジョンの地面に、ハッとした。
幼いころ、生じたばかりのこのダンジョンに入って昏倒する多くの大人たちの姿を見てきた。
はじめは近場に住む攻略者たちが。次に力自慢の攻略者たちが。そして最後には世界的に名の知れた攻略者たちがやってきたが、その誰もがこのダンジョンの一階を踏破することすらできずに倒れていった。
そんなダンジョンを構成する硬い地面が、僕の足の下にもある。
「それは、その……僕があまりにもゴミクズすぎて、このダンジョンに人間認定されていないのかも、しれないです」
現に、ショウさんが言っていた『おぞましいうめき声』は、僕の耳にはささやきかけてくれない。怨念めいたものにさえ、相手にされない底辺なのだ。
「ふうむ? 理由は不明だが、君がこのダンジョンに適性を持っていることは明白だ。このわたしでさえ、聖属性に特化した素材を織り上げた特別な装備をまとってようやく、ここに立っているというのに」
「特別な装備、ですか」
言われて、ヒトミさんの服に目を向けた。
動きやすそうな肌に沿う上下の上に、白衣をまとっている。
ややサイズが大きめなのか、指の先まで袖ですっぽりと隠れ、裾は地面に付きそうなほど。
だぼだぼな点をのぞけばいたって普通の白衣に見えるけれど。
「んあー、すげえ。それって天狐の純白毛を編んでるくね? 糸は弩級天蚕のものに星月花の雫か……うーわ、神聖白兎の魔力結晶をボタンに使うとか、いっそ邪悪さすら感じるわぁ」
のっそりと起き上がったショウさんが、感心したような声をあげると、ヒトミさんは「ふふん、わかるか」とうれしそう。
「わたしの持てる力のすべてを以て集めた、聖属性の素材で作り上げた特注の白衣だ。このダンジョンの持つ負の影響を無効化し、着用者の身を守る素晴らしい発明なのだよ!」
「はあ~、なるほどねえ。金にもの言わして克服したわけねえ」
立ち上がりざまに、ショウさんはポーションをぐびり。
しかめ気味だった顔をへらりと緩めて、伸びをする。
ヒトミさんはどろりと揺れたポーション瓶の中身に興味津々。
「そういう君はポーションで克服しているわけだな? 言うなれば知識と経験にものを言わせて」
「そーそー。放浪のポーション職人、ショウさんだよ~。んで、こっちは特殊体質のルイくん」
ショウさんが僕の肩をぽんと叩くと、ヒトミさんが「体質か」と眉をあげる。
ふと、周囲を見回した彼女につられてあたりに目を向けると、ダンジョン前の広場は静かになっていた。
信者の人たちと武装集団とのいざこざは片が付いたようで、縄をかけられた信者たちがダンジョンに背を向けぞろぞろと連れられていくのが見える。
ヒトミさんは数人残っていた武装集団の人たちに手を振り「そちらは任せた! わたしたちはダンジョンの攻略に向かう!」と宣言し、ダンジョンの奥に向けて歩き出した。
かと思えば、数歩進んだところで足を止め、くるりと振り向く。
「何をしている。いくぞ」
「え、え?」
「権利云々を気にするならば、このわたしが君に許可を出そう。ダンジョンへの適性を持ちうる一般人に、神野ヒトミが研究の一環としての臨時許可を出す。これで文句はないだろう」
言うだけ言って、ヒトミさんはまたまっすぐ前を向いて歩き出す。
ずんずん進むその背中は、後に続くものがいると信じて疑っていないようだ。
―――本気で僕を誘っていたんだろうか。いいや、そんなわけがない。
立ち尽くす僕の背を押したのはショウさんだった。
「ほいほい、ルイくんも行ってみよ~。どうせ死ぬなら、ちょっとくらい寄り道したってそんなに変わんないでしょ~」
「あ……はい」
***
ダンジョンのなかはうす暗いのに、昼夜を問わず視界は効く。
不思議な洞窟を真っすぐに進んで行たヒトミさんが、ふと立ち止まる。
「ふむ。人目も無くなったようだし、少々君のことを教えてもらいたい」
「え、僕ですか?」
どきり。鼓動が弾む。
まっすぐに僕を見つめてくるヒトミさんの視線にだらだらと汗を流しながら、僕は逃げたがる身体を意思の力で必死にしばりつけ、声を振り絞った。
「ぼっ、私は! 間川ルイと言います。大学では農学部に所属しておりっ、遺伝子資源の開発に関わる研究室でっ、ま、学んでおりましたっ」
―――噛んだ。噛みまくった。自己紹介もできないなんて最悪だ。
落ちた。
嫌な確信を持って冷や汗を流し続けている僕に、ヒトミさんは目を光らせて首をかしげる。
「うん? そうか、その過程で何かそうとう辛いことがあったのか? ストレス耐性が下限を突破して、マイナス無限大と表記されている」
「ひえっ!? ええと、辛いこと、辛いこと……自分の無能ぶりを痛感し、社会にとってまったくの不要な人間であることを自覚いたしました!」
終わらなかった質問に戸惑いながらもどうにか答えたところで、僕は気が付いた。
「目が、光ってる……?」
比喩でなく、ヒトミさんの目が光っている。
意志の強そうな大きな目が、金の光をまとっているのが見てとれる。
僕の声にとなりでショウさんが「おー」とゆるい声をあげた。
「それ、あんたのスキルかあ。俺の真眼とはちょいと違うみたいだなあ?」
「おお、君もスキル持ちか。わたしのは神眼と言ってな、真眼と違い生きているもののみを対象とした鑑定スキルだ」
「ははーん、それでルイくんのストレス耐性がマイナス無限大だってぇ? そこまでぶっ飛んでるとは、たまげたねえ」
バシバシと僕の肩を叩くショウさんは、なぜかうれしそう。
「いえ! そんな! 僕はそんな大それたものではっ」
慌てて否定したとき、すぐそばの暗がりがじわりと歪んだ気がした。
「あれ」
―――なんだろう。
目を凝らした僕の左右で、ヒトミさんとショウさんが「おお」「おやあ?」と声をあげる。
「ちょうど良い。君の力、試してみるがいい」
「ナイスタイミーング。言ってもたぶん納得できないんだろうからねえ、試してごらんよ」
言って、二人が暗がりに向かって僕の背中を押す。
よろけて倒れかけた僕の目の前で、暗がりに生じたぬらりとした黒い淀みが濃さを増し、形を作っていく。
「ア、シカ……?」
認識した瞬間、僕に向かってアシカめいた淀みがとびかかって来る。
「わ、わわっ」
慌てて横に避けた僕の脇腹をかすめて、アシカの身体が宙を裂く。
頭部をぐるりと一周する不気味な目がぎょろぎょろと僕を見つめながら、通りすぎた先でアシカがターンした。
「魔物だよ~。ダンジョンと同じで精神汚染系の力を持ってるから、気を付けてねえ」
「名前はグリオデスコタディ。ぬめる闇、と言ったところか? 攻撃力はさほど高くないが、触れた箇所から精神に作用するようだ。健闘を祈る」
いつの間にか遠く離れたところに移動したショウさんが僕に手を振って応援し、同じくショウさんのとなりに立つヒトミさんが目を金色に光らせながら拳を握って見せてくる。
「え、え、え!? 魔物って、攻撃って、僕、戦ったこと無いんですけど!! どうしたらっ」
言ってから、ハッと気が付いた。
『弊社の仕事、君は未経験なわけだけれど。もしも今後働くとなったとき、どんな心構えで臨むのかなあ?』
いつだったか、耳にした面接官の声が蘇る。
あのとき、僕は「これまでの経験を根底において、周囲をよくみて学び、精いっぱいがんばりたいと思っています」と答えたのだ。
「……僕なんてどうせ薄っぺらい考えしか出せないんだから、考えるだけ無駄だよね」
身構えていた身体から力を抜いて、とびかかって来るグリオスコタディを受け止める。
けっこうな衝撃があるだろう、と思っていたのに、意外にも魔物の身体は僕にぶつかり、どぽりと形を崩した。
そして、不定形の闇が僕を飲み込む。
どぷん、と沈んだ闇のなかは、意外にもうるさい。
『遺伝子の研究? ふうん。それ、なんの意味があるの。どうせ大学生だ~って遊んでただけなんでしょ。大した結果も出してないみたいだしねえ』
『ねえ、彼女いる? いないの? だったらいいけどさあ。もし結婚したからって、育休取ろうなんて思わないでね? パンフレットに書いてあるのは建前だから。わかるでしょ、それくらい』
『君、ひょろひょろだねえ。うちの会社は体力ないと続かないから。帰っていいよ』
わん、と響いたのは聞き覚えのある言葉ばかり。
どれも、就職活動をするなかでかけられてきた言葉たちばかりだった。
なかには就職活動をはじめたばかりのころ、一年以上前に聞いた言葉もあったけれど、僕の心は一瞬でその瞬間へと引き戻される。
「遊んでた……つもりは無いんですが。でも、から回ってたのだとしたら、そう思われても仕方ないのかも、しれない、です」
「彼女は、いません。育休の、ほかの福利厚生は……はい、満足に働けない新人が気にすることじゃないですね。申し訳ないです」
「体力は、あるつもりです。いえ、僕がそう思っているだけなので、表彰とかはなくて。はい、憶測でお時間とらせて申し訳ないです。すみませんでした」
蘇る声は際限がない。
次々と聞こえるそのひとつひとつが、僕の頭に直接、揺さぶりをかけてくる。
そんななか、僕はただ直立不動の姿勢を保って頭を下げ続けた。
「申し訳ありません。お時間とらせて申し訳ありません。お手数おかけして申し訳ありません。特技も得意科目も特筆することも無いくせに就職しようとして申し訳ありません。個性なんてかけらもないのに御社を志望したこと、申し訳ありません」
謝り続けるうち、声はだんだんと途切れていく。
―――書類すら見てもらえないのは僕がゴミだから仕方ない。爽やかさも話しやすさもない、そのくせ賢そうでもない僕が悪いんだ。時間をもらえただけで幸せだった。あんなにたくさんの方に僕の不要性を教えてもらったのに、いまだに酸素を消費していることを謝らなければいけないのは僕のほうなんだ。
それでも頭を下げ続けていると、やがて声すらも途切れて消えた。
―――ああ、とうとう僕にかける言葉すら惜しくなってしまったんだ。
虚しさがわずかに胸をかすめたとき、僕を覆う闇がどろりと溶ける。
かろん、と音を立てて地面に転がったのは、動画で見たことがある。魔物の心臓とでもいうべき、魔核だろう。
わっと上がった声はヒトミさんとショウさんのもの。
「なんと、無傷か!」
「わあお、魔物溶けちゃったよ」
うす暗がりが戻ってきた視界のなか、僕は天井をあおぐ。
「ああ……魔物も僕を死なせてはくれないなんて……」
魔物にも見捨てられる自分を知って、改めて絶望していると。
「ふうむ、無傷で倒しておいて自身の適正値は上昇するとは。このダンジョン、君のためにあるようなものだな」
ヒトミさんが目を金に光らせた。