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ポーションお兄さん、もといショウさんの案内でやってきたのは、ダンジョンを少し下ったところにある窪地。
せり出した壁に三方を囲まれた、小部屋めいた場所だ。
「まあまあまあ、ここで会ったのも何かの縁っていうかぁ? 一本いってくれーぃ」
「あ、はい。ありがとうございます。いただきます」
程よい岩に腰かけるなり、ショウさんは瓶を差し出してくれた。
ちゃぷんと揺れるショッキングピンクの液体。
僕なんかをもてなさせて申し訳ないと思いつつも、もらったポーションらしき液体を一気にあおる。
ーーーどろっとしてねばっとして青臭さが鼻いっぱいに広がる……いやでもせっかく出してもらったんだから、飲み込まなければ!
ごっくん。
のどにじくじくと刺激を残しながら落ちていった液体が、胃のなかでもなにやらごわついている気がする。
「あの、今の液体は……」
「俺のポーション試作品第……何号だぁ? わすれちまったなぁ。けど、どーよ。それ飲むとマシになるっしょ」
「何がでしょう?」
マシ、とは。
首をかしげる俺の前で「あー、やべやべ」と言いながらショウさんが別のポーションをあおった。
液体の色は……ひどく澱んだ沼のよう。
でろりと流れ込むそれを飲み込んで、ショウさんは「ふへぇ」とため息をひとつ。
「何がってお前、もしかしてこの声が聞こえてねぇの?」
「声、とは?」
ショウさんが指さしたのは宙空。そっちに目を向けても何もないし、その先にはダンジョンのうす暗闇が広がっているだけ。
不思議に思っている僕に、ショウさんは「そりゃすげぇや」と楽しそう。
「このダンジョンに一歩踏み込んだら、ほら、声が聞こえるだろ。恨みがましいような、不安をあおるような精神的にクる声がさあ」
「声……」
言われて耳をすましてみるけれど、ショウさんが言うような声は聞こえない。
「えっと、ごめんなさい。聞こえないみたいです。『早く死ねばいいのに』『なんでまだ生きてるの?』って声なら聞こえるんですけど、これはダンジョンに入る前からだから違いますよね……?」
確認してもらう手間を取らせて申し訳ない、と思いながらも訊ねれば、ショウさんが「んぇ?」と不思議な声を上げた。
「あ! あ! 申し訳ありません! そんな、確認してもらうなんてお手数取らせるようなこと言って。僕なんかにはダンジョンの中の不思議な声も構ってくれないんだと思います!」
「え、いや。それ鬱の症状じゃね? ていうか、それでダンジョンのこの声聞こえなくなるもんなの?? え、え、じゃあさ。ルイくんさ。ポーションがぶ飲みしなくてもここで活動できるってことぉ?」
ショウさんが驚いたように目を丸くする。
「じゃあさ、もしかしてダンジョンのなか歩いてても、どんどん身体重くなったりしないのぉ?」
「えっと、身体が重くて動かしづらいのは不眠が原因で、もう一年ほど前から続いてまして、ダンジョンに入ってからは特に変わりはない、と思います……」
「じゃあじゃあ、耳鳴りとか膨れ上がる不安とか」
「不安は……もうずっと、僕がこの世に生きてることが不安でたまらないですね」
「ちなみにそれはいつからって聞いてもいーい?」
「いつから……いつからでしょうね」
「え、じゃあ耳鳴りは? 震えとか、吐き気とか……」
「耳鳴りは僕が何社落ちてもずっとそばにいてくれる、僕の唯一の友だちですから。震えと吐き気はこのダンジョンで死のうって決めてから、ずいぶん遠のきました。僕があんまりダメなやつだから、とうとう愛想をつかされてしまったみたいで」
恥ずかしくなって照れ笑う僕に、ショウさんは「はあぁ」とため息をついた。
「俺があっちこっちのダンジョン巡り歩いて開発したポーションでようやく中和できる悪環境を、自力で跳ねのけるたぁ、びっくり人間もいたもんだなあ」
言って、ショウさんはポーションをぐびり。
もしかして、定期的に飲みながらでないと身体がつらいのだろうか。
「じゃあ、このダンジョンがはずれな理由って」
「あー。普通の精神の人間はまともに活動できねえからだろうなぁ。俺もポーション切れたら倒れる自信あるもん」
ちゃぽん、と瓶を揺らすショウさんの顔色は、うす暗いせいで見えづらいけど確かにあまりはつらつとはしていない。
「あの、だったらショウさんはどうしてここに」
―――こんなはずれダンジョンに、どうして来たのだろう。もしかして、自殺仲間……?
それならおすすめの自殺スポットを教えてもらえるだろうか、と期待したのだけれど。
「俺はねえ、各地のダンジョンを回ってポーション作るのがライフワークなのよぉ。まだ見ぬ魔物、まだ見ぬ素材を使ってまだこの世にないポーションを作るの。そのためにあっちこっち巡ってきてさあ、満を持してここに来たわけよぉ」
へらりと笑ったショウさんがマントを左右に広げると、丈夫そうな布の内側にはポーション瓶がずらり。どれも色や粘度の違う液体が入っているようで、確かに、ライフワークにしているのだと頷けた。
「すごいですね……」
ポーションの数もだけれど、夢をもって活動するショウさんが眩しい。
あまりにも眩しくて僕は目を開けていられなくて……。
「あれ、ライト……?」
―――これ、ショウさんが輝いているんじゃない。ショウさん、光に照らされてるんだ。
ショウさんの背後から巨大な光が射しているのに気が付いた。
ダンジョンに入るときには日暮れだったはずなのに、この光はなんだろう。
そう思っていると、光のなかに誰かのシルエットが映る。
「ほーっほっほっほっほぅ! 進みなさい、信者たちぃ! 聖なる美少女の新しい伝説を作るため、このミナのために道を作るのよぉ!」
ビリビリと洞窟の空気を揺らしたのは、甲高い女性の声。それに続いたのは「ク・ズ・イ! クズイ、ク・ズ・イ!」という低い大合唱。
「うわ、うるさぁ。なにごとぉ?」
ショウさんが耳をふさいだとき、ライトの位置が変わって音の正体が見えてきた。
洞窟型のダンジョンを埋め尽くすように、タンクトップ姿の男たちの群れがいる。群れの中央には濃いピンク色の御神輿があって、その上には女性が立っていた。
もの凄く布の面積が少ない上下を着た、ピンクの髪の女性だ。
強いライトを浴びても目鼻立ちがはっきりと見てとれるくらい、化粧もしっかり施されている。
そんな女性が、先頭からばたばたと倒れていく男たちにふわふわの飾りがついた金色の扇子を振り上げた。
「ちょっとぉ、何倒れちゃってるのぉ? こんな入口で止まってちゃ、ミナの奇跡の動画が撮れないじゃなあい! 信者が倒れて神輿を担げないなら、新しい信者が神輿を担げばいいじゃなーい!」
「「「おっしゃる通りでございますー!」」」
「未踏破ダンジョンで動画配信して、ミナの人気を爆上げするのよ!」
「「「爆上げわっしょい!」」」
女性、ミナさんの言葉を受けて、倒れた男たちを踏みつけて新しい男たちが洞窟の入り口のほうから踏み入ってくる。
踏み入ったそばからバタバタ倒れつつ、さらに新たな人員がやってきてはミナさんの乗った神輿を運んでいく。
けれど、もうすこしで僕らのすぐそばまでたどり着く、というころ。
「あ、ら……?」
神輿の上の女性の身体がぐらりと傾いだ。
バターンッ。
盛大な音をたてて地面に倒れ伏した彼女を心配して「ミナさま!」「ミナさまぁ」と取り囲んだ男たちも、次々と倒れていく。
ライトを持っていた人も倒れてしまったのだろう。地面を照らす光のなかで、大勢の人が重なり合って呻いてる。
「大変だ! 助けなきゃ!」
「そーお? ルイくんがそう言うなら手伝いましょーかねぇ」
立ち上がった僕にショウさんが付いて来てくれた。
一番そばに倒れていた男の人に駆け寄って、抱き起したところでハッとなる。
「この方、ダンジョンの影響で倒れたんですよね。ああ、どうしたら……!」
僕は無力だ。無力どころか役立たずだ。
倒れている人たちを目の前にして、おろおろするだけなら風に舞う枯れ葉と変わらない。
いいや、枯れ葉はのちに朽ちて土を肥やすのだから、僕は枯れ葉以下だ。
そんな僕の横から、さっそうと瓶を差し出す手が。
「はいはぁい、お兄さん助かりたいですかあ? だったらこちら、このダンジョンの影響を抑えることに特化したポーションいかがですか~」
「あ、ああ……く、れ……」
抱き起した男の腕がポーションに伸びた。けど、ショウさんはさっと腕を引いて、男の手を避ける。
「ただいま特別価格、一本七万円でぇっす!」
「な、な!?」
目を見開いた腕のなかの人は、うめいてぱたりと倒れてしまった。
力の抜けた身体は重くて、貧弱で役立たずな僕では抱えていられない。どのみち、気絶していてはポーションも飲めないだろう。
できるだけそっと地面におろして、ショウさんに恐々と聞く。
「あの、ショウさん。さっきのポーション七万円って、僕もご馳走になったものでは……」
財布のなかにいくら残っていただろうか。
電車賃を払ったあとのアルバイト代の残りがどれだけあったか、考えるまでもなく足りないだろう。
―――僕の臓器を買い取ってもらえるだろうか。新しいポーションの材料として……いや、無理だな。むしろお金を払っても使ってもらえるかわからない素材だ。支払いの終わってないスマホなんていらないだろうし……。
悩む僕にショウさんは何でもないようにへらりと笑った。
「いーの、いーの。ルイくんは面白い子だから仲良くなりたくって俺がおごったんだから、代金なんて取らないよぉ」
「ショウさん……!」
―――死ぬためにダンジョンに入る不届き者な僕を面白いだなんて、なんて心の広い人なんだろう。
感動するルイの前で、ショウはにこぉっと目を細める。
「で・も、こいつらは別。ダンジョンに入るって俺が助けてあげる義理ないしぃ? むしろようやく完成した新作ポーションを売ってあげよっかーって言ってるだけ親切っていうかあ」
「だっ、たら……」
ショウさんの後ろでうめき声。
まだ意識のある人がいたんだ! と目を向けると、ピンクの髪の女性、ミナさんが吠えた。
「ミナを第一に助けるべきでしょぉっ!」