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なけなしの財産をはたいて、やってきました四年ぶりの故郷。
人もまばらな電車のなかで、僕と同じ駅に降りる人の姿はない。
降り立った駅の改札はもはや無人と化していて、電車が軋んだ音をたてて行ってしまうとひどく寂しい。
電車賃を払って寂しくなった懐以上に、冷ややかな風が吹きつけた。春になったはずなのに、僕のために寒風が残っていたかのよう。
―――なんて、僕のためなわけない。自意識過剰もいいとこだよ。
ため息しかつけない無能な僕は、自嘲しながら駅を出た。
在学中の四年間を華やかなダンジョンタウンのそばで過ごしたせいか、さびれた故郷がいっそうわびしく感じられる。
僕が子どものころには人が行きかっていた駅前の通りに人の姿はなく、つぶれた旅館や土産物屋、かろうじて生き残っているといった体の電気屋が、ビジネスホテルの影になってひっそりと息をしていた。
アスファルトを割って生える雑草を避けながら、駅前の通りを進む。
『火、水、雷、風そして土。以前から研究されてきた攻略者適正に加え、近年は聖属性の存在が提唱されています。本日はその聖属性研究の世界的な権威である、神野ヒトミさんにお越しいただきました! 神野さんは若干十八歳にして攻略者としても』
電気屋の店先に置かれたテレビの声が耳に飛び込んできて、僕は慌てて脚を速めた。
―――十八歳で世界的な研究者か……。僕と比べたら月とすっぽん、いやいやすっぽんは食べられるから月と石ころ? いやいやいや、石ころがあれば釘が打てるから僕は石ころ以下じゃないか。
足元を見つめてせかせかと歩く。
忘れたいのに、さっき見たテレビ画面のなかの研究者が脳裏をちらつく。
ぱつりとそろった前髪の下、凛々しい眉と意思の強そうな瞳に宿る光が目に焼き付いていた。
―――ずいぶん若い女の子だったな。研究者で、攻略者でそのうえかわいかった。あんな子はきっとどこへ行っても引く手あまたなんだろうな。そりゃそうだよ。誰だって無能を抱えたくはないもの。彼女を雇えないからって、代わりに僕を雇うなんて会社にとっての損失もいいとこだ。
自分をたしなめ黙々と歩いているうち、陽は傾いていく。
春の陽射しのやわらかさが消え、冷ややかさが強くなるころ、僕はとうとう足を止めた。
気付けばあたりにひと気はなく、まばらに走っていた車すら見あたらない。
それどころかアスファルトは割れ、まともな道は見つけられず、崩れ落ちた廃墟がそこかしこに点在する始末。
そのただなかに、蔦に飲まれかけた無暗と豪華な建物。
大学のあるダンジョンタウンで見た宿屋と同じくらい、あるいはさらに立派な宿屋の残骸だ。
きっとそこには今も母さんが暮らしているのだろう。割れたガラスの向こうに干からびたような服が干してある。
「ああ、帰ってきたんだ……」
四年ぶりの実家は記憶にある以上に悲惨で、むなしい。
けれどむなしさで言えば今の僕のほうが上だろう。
借金まみれの暮らしから脱却するため、母ひとりを置いて都会に出てが学問をおさめたというのに、働き先を見つけることもできずにのこのこと帰ってきてしまったのだから。
ーーー会って行こうか。
ちらりとそんな気持ちが顔をもたげたけれど、首を横に振って押し殺す。
最期の時に着られる一張羅なんて、就活用に買ったスーツしか無かった。吊り下げのくたびれたスーツを着て「就職できなかったんだ」なんて言えやしない。
かと言って、就職が決まったなんてつまらない嘘はつきたくなかった。つくのなら、僕はどこかで元気にやっているという、ささやかな嘘が良い。
―――会わせる顔がないから、僕はいくね。さようなら、母さん。
廃墟にしか見えない実家の前を通りすぎた先、そこに僕の目的地があった。
寂れた土地にぽっかりと口を開けた大穴、それはダンジョンの入り口だ。
地底型ダンジョン。
十五年前に現れて、僕らの暮らしをめちゃくちゃにしたもの。
かつては憎くてたまらなかったそこが、自分の求めた死に場所にぴったりだなんて。なんて皮肉なんだろう。
「やっぱり誰もいない」
本来であれば国による厳重な管理下におかれているはずのダンジョンだが、このダンジョンは違う。
攻略できないはずれダンジョン。
過去、どんな攻略者もなかに入るなり具合を悪くして、探索どころか数歩進むので限界。
そうして出現から数か月で新たな攻略者は現れなくなり、町をあげたダンジョンタウン化計画は潰え、ダンジョンによって潤うことを夢見て建てられた豪華な建物の残骸と、多額の借金だけが残された。
そのせいで、今では入口にロープが一本張られたきり。見張りもおらず、入り放題なのだ。
「それでもダンジョンなんだから、死体を消してくれるはず」
そうすれば母は僕がどこか遠くで暮らしていると思ってくれるだろう。
仕送りもせず顔も見せない親不孝な息子として、死体を残さず行く。
それが今の僕にできるせめてもの親孝行だった。
「はあ……父さんもこんな気持ちだったのかな」
いつか、自殺した父さんのことを思いながらロープをまたぐ。
膝の高さでたるんだロープ一本きり。
―――これで無暗と二酸化炭素を生み出す無駄な命がひとつ、消えるんだ。
ほんのりとした喜びすら抱いて、夕闇に背を向けダンジョンの入り口をくぐる。
一歩。二歩。三歩。
―――そろそろ倒れるだろうな。
幼いころ、あまたの攻略者たちが、三歩踏み込んだあたりで崩れ落ちたのを何度も目にした記憶から、そう思っていたけれど。
四歩。五歩。六歩。
―――あれ?
七歩。八歩。九歩。十歩。
「あれ……?」
一向に倒れない自分を不思議に思ってもらした声が、洞窟のようなダンジョンの壁にぶつかって響く。
「気持ち悪くない……苦しくもない」
過去の攻略者たちはあんなにも体調不良をうったえ、苦しんでいたというのに。
「息も、できる。重圧も、感じない」
何ならついさっきまで感じていた、無為に命を長らえる罪悪感から解放されただけ、動きやすいような気さえする。
過去の攻略者たちが、どんなに抜きんでた適正を持っていたとしても進めなかったというのに。
「……なんなんだ、これ。これじゃあ僕……」
僕の適正地はオール1。
適性が無いわけじゃないけど、特筆するところもない。
到底、攻略者になることなんてできない数値だと小学生のころに諦めたというのに。
「これじゃあ僕、このダンジョンで死ねないじゃないか!」
「おんや~。死ぬだなんて。穏やかじゃないねえ」
「っ、誰ですか!」
無人だとばかり思っていたダンジョンに響いた男の声。
もしかして僕の命を狩ってくれる魔物だろうか、と期待を胸に顔を向けたけれど。
現れたのは瓶を手にしたひょろ長い男。
若いように思えるけれど、洞窟の暗闇に浮かび上がる髪の毛はすべて白い。
顔色がひどく青ざめて、髪も眉も白くなっていることを除けば、いたってふつうの人間に見えた。
へらりと笑みを浮かべた彼は、ふらつく足取りで僕のほうへと歩み寄りつつ、瓶をひとあおり。
「ふぃ~、ポーションは効くねぇ。こいつは天翼のポーションって名づけとこう」
口元をぐい、とひとぬぐい。男が僕に視線を向けて、気安く手をあげてくる。
「よお兄ちゃん。兄ちゃんも俺特性ポーション、いっとくぅ?」
「あ……」
彼は僕を見てる。
僕を、まっすぐに。微笑みすら浮かべて、僕を見てる。
「あ~。俺、アヤシイ者じゃないヨ? 狐狸ショウってゆーねぇ、あ~名刺とかもーないんだったぁ。ごめーんね?」
ひらりと手を振ったお兄さんの前に、僕はひざまづいた。
「お兄さん! 僕なんかを認識してくれて、ありがとうございますうぅぅううう!」
就職活動をはじめてからこっち『僕』という個人に目を向けてもらえたことは無かった。
無名大学の学生。
特筆するところのない男子学生。
特技や特別な経験を持たないどこにでもいる男。
明確な目標もなく入社を希望する有象無象のひとり。
そんな視線ばかり向けられ続け、懸命に書き上げた履歴書すら見てもらえずにお祈りメールばかりが積み重なる日々。
街中でも僕は空気で、本当に僕が存在しているの自分でもわからなくなりつつあったのに。
―――お兄さんの視界に入ってごめんなさい。でも、存在を認識してもらえてうれしい!
「ありがとうございます。ありがとうございます!」
ダンジョンに入ったのに死ねないのかと落胆した気持ちが吹き飛んだ。
地面に身を投げ出して頭を下げる僕を前に、お兄さんは「お? おぉ? こいつぁちっとキマりすぎたかぁ?」と瓶を揺らしていた。