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『間川 ルイ 様
お世話になっております。ナロウ株式会社 人事部の乙須です。
この度は、弊社の採用試験をお受け頂き、誠にありがとうございました。
今回の選考についてですが社内にて慎重に検討した結果、誠に心苦しいのですが
ご希望に添いかねる結果となりました。
なにとぞご了承いただけるように願います。
末筆ではありますが、間川様のより一層のご活躍をお祈り申し上げます。』
「ああ……またか」
スマホを見つめながら思わず声がもれる。
百通目のお祈りメールが届いたのは、大学の卒業式の日だった。
『誠に心苦しいのですが』『ご希望に添いかねる』『より一層のご活躍を』。
見慣れた文面を眺めて、出てくるのは乾いた笑いだけ。もう削れるメンタルすら残っていない。
「はは……は……死のう」
よろよろとスマホを操作し、お祈りメールを視界から消す。
代わりに開いたのはいつからかお気に入り登録していた個人のホームページ。その名も『自殺のすゝめ』。
首吊り、飛び降り、列車への飛び込み。
思い浮かぶあれこれを解説したそのサイトのトップにデカデカと書かれた文字が、今日も僕の決心を鈍らせる。
『自殺した後処理はお金がかかります。自殺の場合、保険金も出ません。その点、お忘れないように』
僕は働くこともできず、貧乏人ゆえに死ぬことすら選べない。
「だったらどうしろっていうんだよぉ……」
みじめな気持ちで部屋の床に項垂れていると。
ブーッブーッ。
スマホが震えた。
―――もしかしてどこかの企業からの電話かも!
「も、もしもしっ」
飛びついて電話に出る。相手には見えやしないのに、床に正座をしてしまったのは反射だ。
『あ、間川ルイさんですか? 学務の者ですけど』
聞こえた若い女性の声に、身体から力が抜けた。
―――なんだ、大学の事務方だ。
「あ……はい、僕が間川です、けど」
『本日卒業式ですが、大学には』
「ええと、行ってない、ですね……」
―――まずい。行かないといけなかったのだろうか。
内定をいくつももらった学友たちと会うのが気まずくてすっぽかしていたけど、何か用事があっただろうかと慌てて記憶をさらうけれど、思い当たらない。
緊張が去って、代わりに焦っていると、学務の女性が言いづらそうに声を小さくする。
『ああ、では電話口で結構なのですが、大学側の統計のために就職先が決まったかどうか、確認させてもらいたくて』
「んっ」
首を絞められたような気がして、息が詰まった。
僕のもらした声が聞こえたのか、聞こえなかったのか。女性が返事を待つ沈黙がひどくうるさい。
耳元でドックン、ドックンと騒ぐ心臓が、いっそ止まればいいのにと思うのは何度目だろう。
ひからびた喉が口のなかでもつれる。
このまま黙り込んでいれば終わらないだろうか。そんな考えが頭をもたげてきた。
―――けど、相手を待たせてる。
僕ごときが誰かを待たせるなんて、おこがましい。
お姉さんの人生のこの一分一秒を僕が浪費させているだなんて、許されるわけがない。
自分を奮い立たせて、声を振り絞る。
「……ません」
『はい?』
「決まって、ません……」
『あ……』
思わず、というようにもれたお姉さんの声。続く言葉が無い沈黙が、痛かった。
『……あの、では! たとえば、家業を継がれる方や、さらなる研究のために留学、あるいは他大学の大学院へ進学なさる方もいらっしゃいますし……』
「…………」
早口で並べられる就職以外の項目、そのどれひとつとして僕に該当しない。
家業は潰えた。多額の借金と父親の死体を残して、母と僕を苦しめるばかり。
卒業研究はもう忘れてしまいたい。資料を集めれば雨漏りで濡れ、ようやく作ったデータは置き引きにあい、最終的に「君を残して置いてもこっちが困るからねえ」という教授の言葉で僕の卒業論文は締めくくられた。
そんな調子で進学なんて、頭に浮かぶわけもない。
『ええと、では……あ! もしかして、攻略者になられるのでしょうか!』
光を見つけた、と言わんばかりに声を弾ませる女性に答えるのが心苦しい。
僕のことなんかで気をつかわせて、そして落胆させることが申し訳ない。だけど、黙りこんで時間を食い潰すことを思えば、答えないわけにもいかなかった。
「攻略者適正オール1、です。典型的な器用貧乏タイプだそうで……はは」
『あ……そう、ですか……では、就職先が決まりましたら、あの、電話で結構ですのでご連絡をお待ちしています』
「……はい」
『失礼します……』
プツンと切れた電話の向こう、居心地の悪い沈黙が残っているように感じるのは感傷的すぎるだろうか。
「せめて笑ってもらえたら、救われたのかな……」
ひとりきりの部屋でつぶやいて、殺風景な部屋の窓から外を眺める。
よく晴れた空の下、見慣れた町並みは春の陽射しに包まれていた。
遠く、霞がかる景色にぼやける塔型ダンジョンを眺めて、僕は四年間を過ごした寮の一室をあとにした。
※※※
―――もう、寮には帰れない。
学生のための格安寮は、卒業した学生に扉を開いてくれるはずもなく。
今の僕が持っているのは、着古した安物の上下とアルバイト代を貯めて買った吊り下げのスーツ。それから必要に駆られて契約した支払いの終わっていないスマホと、わずかな現金だけ。
寮の部屋は何もかもが据え付けで、四年間を過ごしたというのに僕の持ち物はリュックひとつにおさまった。
教科書類も後輩に売ってしまえば、本当に僕の持ち物なんてほとんど無い。
今夜の寝床も無い状態だけれど、行くあてもない。
―――どこへ行こう。
ふらふらと歩いているうちに、気づけばダンジョンの前へとたどり着いていた。
さっき、窓から見たせいで意識に残っていたのだろうか。
およそ二十年前、僕が生まれたころ、突如として世界各国に現れた『ダンジョン』。
フィクションのなかにしか存在しないはずの魔物がはびこるダンジョン内部は、当初は警戒されたけれど。
ダンジョン内部だけで、魔法としかいえない力を発揮できる人々が確認されてからは、新たなる資源の宝庫として国に管理されるようになった。
ダンジョン内部に入る資格を持つひと、それが攻略者。
豊富な資源を得られるとはいえ、ダンジョン内部は命の危険もある。
抜きん出た攻略者適正を持つひとだけが使える魔法をもってして、ようやく生き延びられる弱肉強食の世界だ。
「僕にとってはダンジョンの外も、じゅうぶん弱肉強食だけどね……」
ダンジョンに入れるのは攻略者だけ。
けれど資源の豊富なダンジョンの周りには、攻略者を対象にした高級な宿が建ち並び、有名な攻略者を一目見ようとやってくる観光客を目当てにした店が集まってくる。
そうしてできあがった大きな建物群は、ダンジョン街と呼べるほどにまで成長する。場所によってはまるでテーマパークのように。
今も、ベンチに座った僕の前を観光客たちが笑いながら歩いていく。ぼうっと座る僕のことなんか見えていないように、楽し気に。
―――視界に入っていたら邪魔だよね。退いたほうが良いのかな。いやでも今、動いたらそれこそ景色を楽しむ邪魔になって、迷惑かもしれないし。
息を潜めて動きを止めた僕の前を通り過ぎざま、観光客が手にした串から肉のかけらが地面はぽろり。
すかさずやってきたカラスがくわえて持ち去るのを、僕は羨望の眼差しで眺めてしまった。
―――いいなあ、食べこぼしにだって需要はあるのに。僕は応募できるだけ全部の会社に応募したのに、どこにも必要とされなかったんだ。僕もせめて、食肉用に成れたら世間の役に立てたのに。
恨みがましい思いを抱きかけて、そんな自分を叱咤する。
―――僕みたいなやつが食べものに嫉妬するなんて、図々しい! 僕なんてクソ……いいや、堆肥にできるクソ以下の、死体の処理にすら困る不要物のくせに。
鬱々としてきた思考のままにため息をひとつ。
「はあ、ダンジョンの中みたいに、死体が消えてくれれば良いのに」
ダンジョン内で死んだ者は、魔物であろうと攻略者であろうと肉体が消失するらしい。
原理は不明だけれどそれはどのダンジョンでも共通していて、僕のバイブルである『自殺のすゝめ』でも、理想の死に場所として挙げられていた。
「まあ、適正の低い一般人はダンジョンに入れないんだから、理想でしかないんだけどね」
ぼやきながら目の前の塔型ダンジョンをぼんやりと見上げる。
入り口には国が雇った管理施設が作られ、入り込むすきはない。塔の上部に見える窓のような部位は、ダンジョン内部へは繋がっていないと聞く。
塔型のダンジョンをよじ登ったところで、安らかに死ねるなんて上手い話はないわけだ。
「どこかに管理されてなくて、僕みたいな廃棄物が入れるダンジョンがあれば……」
つぶやきかけて、はたと気づいた。
「あるじゃないか」
管理されていない、ゴミみたいなダンジョンを僕は知っている。
僕の進路が決まった。
ダンジョン死だ。