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七話


 二学期が始まってから、あいは以前の状態を維持していた。

 二学期が始まってから、彼女は何事もなかったようにグループの中で生活していた。

 二学期が始まってから、吉川 かえでの席には一輪の花が置かれるようになった。

 二学期が始まってから、クラスの雰囲気は何も変わらなかった。


 彼の言った通りだった。“人が一人死んだだけ”だ。そのくらいじゃあ世界は何も変わらない。

 あいはなんだか虚しかった。



 放課後の図書室にまた彼が訪れるようになったのは木枯らしの吹く寒い十一月の半ばだった。


「太宰 治の“人間失格”についてどう思う?」と唐突に訊いてきた。

 『こころ』のように思い出さなくてもその話をあいは序文の数ページを暗唱できるほど読み返していた。


「少し共感する」


“普通の人の感じることがわからない”

“全てがバカバカしく感じる虚しさ”


 主人公のハマった麻薬はあいで言う本だ。変えようのない現実からの逃げ場所。


「俺もだ」


 彼は口元だけを緩めて笑みを作った。目だけが笑っていなかった。


「君は両親を亡くしたんだよね?」


 彼は“君は鉛筆を無くしたんだよね?”と置き換えても違和感のない口調で言った。あいは頷いた。

 あいの両親は列車の脱線事故で死んだ。二人はあいを庇って折り重なるように死んでいた。あいはその光景をよく覚えていないけどゴシップのように書かれていた当時の新聞記事には「夫婦の愛、一人娘を守る」と大きく書いてあった。あいはわずかだが両親の感触を覚えている気がする。

 だけど、彼は違った。


「俺の両親は俺を連れて心中しようとしたんだ」


 彼はあいとは全く別の感触を覚えていた。車の震動。着水の衝撃。雪崩れ込んでくる塩辛い水。訳もわからず車内から逃げようとする自分。


「結局俺は愛されていなかった。本当にあいしてたらちゃんと俺を殺してくれたはずだ」


 あいは何も言えなかった。言う資格はないと思った。しばらく間を置いて彼は「君のことが好きだ」と言った。それから寂しそうに笑った。


「俺と心中しないか?」


 彼の焦点があいから離れる。どこか遠くを見る。

 あなたはどこを見てるの? なにを見てるの? あいは言い様のない不安に駈られた。察したように彼が言葉を紡ぐ。


「俺たちは両親が死んだことなんか少しも悲しくない」

 あいは頷いた。物心つくかつかないかのことだ。周りの人間が思っているよりも遥かに悲しみの風化は速かった。


「それよりもそのことについて噂されることや同情されることが悔しいし、悲しい」

 あいはもう一度頷いた。“両親のいないかわいそうな子”として扱われるのが何よりも嫌だった。


「だけど世間は俺たちの気持ちを決して理解しようとしない。彼等の信じる正義や同情を俺たちに押し付ける。それが嫌だ。辛い。

 だから俺は死にたい。君はどうだ?」


「わからない……」とだけ、あいは言った。

 彼の気持ちは分かる。彼の辛さも悲しみも嫌というほどあいが感じてきたことだ。

 だけどあいの人生はそれだけじゃなかった。

 不器用な叔母を思い出す。

 優しい声をした叔父を思い出す。

 彼女との会話が意外に楽しかったことを思い出す。

 彼を、思い出す。


「時間が欲しい。少しでいいから」

「わかった」


 彼は席を立った。


「一週間、それがリミットだ。それを越えたらきっと俺は一人で死ぬ」


 彼はあいの元から去って行った。引かれたままの椅子があいには悲しかった。なんだかすごく悲しかった。




 夜になってもあいは眠れなかった。いろんなことを考えていた。自分のこと、吉川のこと、叔母のこと、叔父のこと、彼女のこと、彼のこと。

 ぐるぐると回って、回り続けて、結局一睡も出来ないままでいた。

 あいにとってどうということのない一日が彼に残った七分の一の時間だと思うと、辛かった。この一日が終わらなければいいのにと思った。

 だけどやっぱり次の朝は来てしまうのだった。




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