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四話



 次の日は体育のある木曜日だった。二人一組になれ、とジャージ姿の先生が指示を出すと必然的にグループに入っていないあいとあの子が残った。あの子は外だというのに体育館用の靴を履いていたけどあいは別に気に止めなかった。

 相変わらず彼女と口をきいていない。彼女もなるべくあいに話し掛けないようにしていた。

 だけど今日はなんだか様子が違った。


「ねぇ 小島さん、図書委員の課題なんだけどさ」


 あいはいつものように彼女を無視した。


「小島さんはもう書き初めてる?」


 昨日のうちに済ませてバックの中に入っているけど彼女にそれを伝える義務は、あいにはない。


「ねぇってば」


 彼女はあいの肩を掴んだ。あいはそれを振りほどいた。


「ねぇ……」


 弱々しい声があいの後ろから聴こえた。あいは振り向きさえしなかった。


「返事してよぉ!」


 あいは鼓膜が割れたかと思った。彼女の絶叫は広いグラウンド一面に強くこだました。遠くで木の葉が揺れる音がした。


「小島さん! 来なさい」


 ジャージ姿の先生があいの手を掴んで職員室の方へ引っ張った。彼女が蹲って泣いているのが横目に見えた。あいはただ倒れないように足を動かした。

 自分を職員室に連れていくより彼女の側についていてあげればいいのにと思った。自分がそうしようとは思わなかったけれども。


「何があったの?」先生は職員室の中にある個室にあいを押し込んで詰め寄ったけどあいは「わかりません」と答える以外になかった。わからないのだ。返事してよ、と泣き叫んだ彼女の気持ちが。

 ただなぜか胸が痛かった。


「わからないはずがないでしょう!」


 先生は性質に怒気を含ませた。あいの痛みが少し引いた。先生があきらかに義務か演技でそうしていることが見てとれたからだ。


「わからないものはわかりません」


 あいがもう一度言うと先生は机を叩いた。ますます演技臭い動作だった。それであいの胸の痛みは完全に消えた。


「あなたが吉川さんに何かしたんでしょう!」


 先生は金切り声を上げた。それがトドメだった。あいは完全に表情を消した。人を教える人間はこの程度なのかとある種の失望も感じていた。


 カラカラと不意に横滑りのドアが弱々しく音を鳴らした。あいも教師もそちらを見た。


「違…… うん…… です…… ック」


 泣き声で喉をひきつらせながら吉川が立っていた。


「今日…… ック 学校に…… 来たら…… ック」


 彼女は続きを言えずに片手に持った青い袋を先生に差し出した。あいの通っている高校では革靴が義務付けられていてそれは彼女が運動靴をいれるために使っている袋だった。

 先生は怪訝そうに袋を受け取って中身を覗き込み「キャァッ!?」悲鳴を挙げて後退った。

 手から袋が滑って床に落ち、中から無数の虫の死骸が飛び散った。




 LHRは視聴覚教室で交通ルールだかなんだかのくだらないDVDを見る予定だったのをあいのクラスだけが免除された。

 担任教師は生徒指導の体格のいい先生の横で顔を青くしている。


「名乗り出ろ、そしたら退学は勘弁してやる」


 生徒指導の先生が吠えた。対価が間違っているとあいは思う。


「せんせぇ」


 あいの二つ隣に座っている女子がにやつきながら手を上げた。


「あたしたちなんにも知りません」

「そぉそぉ」周りが同調する。


「小島さんがやったんじゃないんですかぁ?」

 誰かが言った。

「なにせ親のいなくてまともな教育受けてないしぃ」

 誰かが、言った。


 それは入学式の日にあいをグループに誘った女子なのだがあいはその顔も名前も覚えていなかった。


「小島 本当か」


 先生が怒鳴り声をあげた。ただうるさいと感じた。


「わたしはやってません」


 あいはきっぱりと言った。教室の中の空気が冷めていくのがわかった。先生は大きく舌打ちするともう一度、吠えた。


「明日また訊くから、自分がどうしたほうがいい今日1日ゆっくり考えとけ!」


 それが捨て台詞のように聴こえてあいはなんだか可笑しかった。



 放課後、あいは図書室にはいかなかった。彼との約束なんてどうもいい。ただ確かめたいことが一つだけあった。

 吉川が教室に来た。あい以外はみんな帰ったあとの教室に。


「待っててくれたの……?」

 吉川の声は慰めを欲していた。

「うん、ちょっと話したくて」

 あいの声は淡々としていた。


 だけどそれでも吉川の暗い目に光が戻った。

 一瞬で、失われる光が。


「自作自演よね?」

「……え?」

「ああでもすれば同情して私が話し掛けるとでも思ったの? わたし、ああいうやり方は一番嫌い」

「っ……ち 違う…… 違います!」


「ねぇ、なんで今日に限って体育館用の靴なんて持って来てたの?」


 あいの推論は正しかった。まだあいのクラスは授業で体育館を使ったことがなかった。だいたい彼女以外にあんなことをするメリットがある人がいないのだ。

 あいは吉川に近づいた、びくんっと大きく波打つ。あいはゆるく彼女の肩を抱いた。耳元で言う。そのほうが効果的だと思った。


「でもあなたをそこまで追い込んだのはわたしかもしれない」


 頬を伝った雫があいの肩のあたりを濡らした。吉川は泣いていた。喜びか悲しいかもっと別のものなのかあいにはわからなかった。だからあいは言葉を続けることが出来た。


「だけどね…… 二度と、わたしと口をきかないで」


 吉川は全ての動きを停止した。


「勘違いしないで。あなただけじゃなくてわたしは誰とも関わりたくないの」


 涙だけが重力に抗えずにぽろぽろと落ちた。

 これでいい。これで彼女は二度とあいに近づかないだろう。


 あいは一人になりたくて屋上に来ていた。“あの子”は教室に置いたままだ。あの子は置物みたく何の動作も見せなくなっていた。

 あいはそれがなんだか堪らなく可笑しかった。


「ふふ……」だから声を挙げて笑った。


「ははっ あっはっはっ」


 だけど表情は全く動いていなかった。あいは声だけを吐き出し続けた。

 あいは自分が壊れてしまったのかと思った。教室で聞いた「親がいなくてまともな教育受けてないしぃ」という言葉がいまさら頭の中でぐるぐると回り出した。

 なんだか台風の日に一日中、傘をささずに居るようなスレた快感があった。


「……悲しそうだね」


 あいを正気に戻したのは彼だった。振り返る。優しい、どこか歪な笑みがぼやけた視界に映る。


「図書室にいないから探しにきたんだけど」


 悪戯に成功した悪がきみたいな微笑をしながら彼はハンカチを出してあいの頬を丁寧に拭った。


「どうだったかな、あの本」


 表情を崩さずに彼は言った。あいは不意に彼が憎くなった。よりによっていま一番一人になりたいいま、あの本の話をされたくなかった。

 あいは彼を打ちのめしてやろうと思った。自分の感じた憎しみを彼にぶつけてやろうと思った。

「つまらなかった」とあいは切り出した。あの中に書かれたことは全部偽物だ。両親を亡くした子供のことなんてちっともわかっていない。

 あいは自分の感じたことを全て言葉にしたつもりだったが全然言い足りなかった。あんまり強い気持ちだったので気持ちより言葉の方が先に尽きてしまった。

 彼はあいが息を切らすまで微笑んだまま聴いていた。

 あいの言葉が切れた頃を見計らって彼はようやく表情を変えた。


「やっと同じ考えの人に会えた」


 笑顔の消えた彼の表情はあいのそれとそっくりだった。ただあいのモノより数段冷たく恐かった。


「また来るよ、図書室で会おう」


 あいはなんだかぼーっとしながら彼の後ろ姿を見ていた。気持ちが空っぽになってしまったみたいな空虚さを感じた。

 感情を全て吸い取られてしまったようだった。それくらい彼の見せた闇は深く、暗かった。




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