三話
中間テストが近づいていた。あれからあいはあの子と口をきかなくなった。図書委員の仕事は交代でやることにしてそのことを書いた紙をあの子に突きつけた。あいはもう彼女の名前を覚えていない。
文芸部が図書室を勉強会に使うと司書の先生から聴いたとき、 あいは顔をしかめた。利用者の少ない放課後の聖域が崩されることを危惧した。
だけどその心配は半分は杞憂に終わった。文芸部の勉強会は静かなものだった。いつも三十分ほどだけいる、一人を除いて。その三十分だけはあいにとって苦痛だった。
テストが終わってあいの聖域はいつもの静けさを完全に取り戻した。
そのうち図書委員の課題が出された。新しく入った本の中からまだ読んでいないものを一人一冊選んで紹介文を書いて来い、ということだった。
本のリストを渡されてあいはげんなりした。あいはそれに書いてあるほとんどの本を読んでしまっていた。新しく入ったといってもあいが入学する少し前に入った物らしい。
前に読んだ物で書こうとしても貸し出しの履歴に記録されていて誤魔化すことは出来そうになかった。あいは仕方無く一冊の本を取った。その本は書店で帯を見ただけで読む気を無くしてしまった本だ。
それは幼少のころに両親を事故で亡くした少年の話だった。
あいはさっさと済ましてしまおうと思い放課後、すぐにその本を広げた。
読み初めて少しして「あっ」と短い声が近くで上がった。図書室にはあいの他には司書の先生がいるだけだ。いつもは。
今日に限って、彼が居た。あの三十分だけ喋って帰って行く忌々しい彼が。
「それ、君が借りてたんだ」
彼は嬉々とした表情で言った。あいは関わり合いになりたくなかったし、まだ数十ページしか読み進めていないその本を特におもしろいとも思っていなかったので「必要なら返しますけど」と無機質な声を出した。
紹介文は他の本で書けばいい。あいが読んでいないのはあいが嫌いな恋愛の話ぐらいだけど、書けないことはないだろう。
「いいんだ、一度は読んだから」
彼はあいの無愛想な声にも表情を崩さなかった。「ただね」そのまま向かいに座った。正面から見ると彼の一見優しそうな笑顔がどこか歪に見えた気がした。
「その本の感想を聴かせて欲しいんだ」
言われてあいはふとこの本の冒頭を思い浮かべた。
十数ページを使って鮮明に描かれた、両親を亡くす切っ掛けになった事件。両親を喪った主人公の思いにあいは幼い頃の自分を重ねた。
だけどそこから先は全く共感出来なかった。この話の主人公は前向きだ。両親を亡くしたからこそ強く生きて行こうとする。
「明日、また来るよ」
言い残して彼は席を立った。
その言葉にあいはあいの聖域が台無しにされるのを感じた。
下校時刻になる前にあいはその本を読み終えた。読んでるあいだは時間の進みがすごく遅く感じていた。
最後まで共感出来なかった。くだらなかった。
ありがちな障害。
同情して主人公と友達になる人々。
ハッピーエンド。
くだらない。本当にくだらない。
障害に立ち向かう必要なんてない。避けてしまえばいい。
同情を嬉しくなんて思わない。むしろ寒気がした。
ハッピーエンドなんて取って付けたようだった。親の居る人向けに書かれた偽物だった。
胸がムカムカした。嫌いでも恋愛小説を読んだほうがいくらかましかもしれなかった。自転車で帰る三十分の道のりであいは何度かクラクションを鳴らされた。あの本のせいだと思いたくはなかったが家に帰って流し読みをしながら各章の主要なシーンを思い浮かべてもっとムカムカしてしまった。