波乱の聖女 ~孤児であった少女は苦難の末に、如何にして幸せを掴んだか~
聖王国の聖女、ゼナ・ミスラーンの人生は波瀾万丈であった。
王国歴440年。ゼナは王都の貧民窟で生まれる。七人兄弟のド真ん中であった。
貧民窟の生活はひもじい。残飯を拾い集めるようなさもしい日々。しかしながらそれでも家族は睦まじく、上から下へ賑やかな暮らしをしていたという。
しかし446年に起こった大火によって、彼女は両親と上三人の兄姉を奪われた。上下左右に火が移り燃え盛る中で、彼らは微かに残った水を四人にかけて逃がした。僅かな家財も全て焼け落ちた身で、ゼナは残った弟妹を養っていかねばならなかった。
前にも増しての極貧生活を過ごす中で、彼女に転機が訪れる。聖天教の神託だ。
聖なる神によってもたらされる奇跡は謎めいていることが多い。神託も、一度に一つしか降らないときもあれば、それぞれ別の人間に別々の内容が降ることもある。言葉の時も映像の時もあった。が、それでもいくつもの国難を救ってきた実績を持つ。なので国は今回も神の言う通りに行動した。
『440年生まれの孤児の中から、次の聖女は現われるであろう』
その言葉に従い、王国は国中から該当する孤児を集めた。それは貧民であったゼナも例外ではなかった。
そして神官の使う『見極めの奇跡』によって素質有りと認められ、聖女候補として教会へ召し上げられたのだ。
ゼナ、10歳のことである。
ゼナにとっての幸運は、そのおかげで弟妹たちを教会の運営する孤児院へ入れられたことだろう。
ゼナにとっての不幸は、召し上げられたのは彼女一人では無かった上、その中に貴族の少女がいたことだろう。
もう一人の聖女、ジュエリア・マクル・アイリースは紛う事なき貴族令嬢であった。不幸なことに、神託のある前の年に両親は馬車の事故で死んだ。とはいっても貴族のことなので、すぐに親類の元へ引き取られたのだが。
それでも一応は神託に該当するだろうと連れて来られ、そして聖女候補と認められた。
聖女候補としての生活は過酷だった。特にゼナのような、ジュエリア以外の真の意味でのみなしごにとっては。
聖女は当たり前のように奇跡を起こせなくてはならない。中でも『癒やしの奇跡』は必須だ。身体を癒やし、病を治すその奇跡は聖女の代名詞であり、その力が最も強い者が聖女として認められる慣例であった。
奇跡を目覚めさせるには祈りと荒行しか無い。座禅に水垢離、冬空の下での舞の奉納などをさせられる。幼い少女にとっては酷な修行だ。
それでも目覚める兆しの無かった候補は教会を退去させられた。その後の行方は知れない。荒行で身体を壊した身寄りの無い少女たちがどうなったかは、誰も。
ゼナは必死に耐えて、祈った。聖女候補から外されれば、また弟妹たちを露頭に迷わせることになるからだ。
ゼナはまだ幸運であった。奇跡を目覚めさせることが出来たからだ。ゼナは三十人から五人にまで減った聖女候補の中に残ることが出来た。その中にはジュエリアもいたが、彼女が本当に奇跡を使えたかどうかは記録に無い。
ここまで残ったことで、ゼナは聖ミスラーン教会よりミスラーンの名字をもらった。ゼナ・ミスラーンを名乗るようになるのはここからである。
聖女の修行はまだ終わらない。
それからは『癒やしの奇跡』をもって競うことになる。聖女の中で誰が一番かを決めるためだ。今度は日夜問わず人を癒やし続ける日々が始まった。
教会へ列を成して並ぶ人々をひたすら癒やし続ける日々。中には軽い腹痛や掠り傷でやってくる者もいた。それでも教会は拒まない。その者からのお布施がある限りは。
少女たちは碌に眠れず隈が出来た目元を化粧で隠し、心労で色の抜けた髪を染め直しながらも人々を癒やし続けた。
過労で聖女候補たちが倒れていく中、それでもゼナは残った。最後に残った候補は二人だけ。ゼナとジュエリアだけだった。ただし、ジュエリアは貴族ということが考慮され人を癒やす義務は免除されていた故に、癒やしの奇跡を発揮した記録は無いが。
だがやはり、人々を癒やし続けたという結果は覆らない。二人から聖女を選ぶ際には、流石に実績の有無が物を言った。実際に癒やしてもらった民衆の支持もあり、もっとも癒やしの力を持つ者と認められ、ゼナは今代の聖女として認められた。
みなしごから人々から賞賛される聖女に至る。麗しい物語だ。そのままならば苦難の日々が報われ、少女は幸せを掴んだと結んで終わるだろう。
だがそこで終わらなかった。
457年。国の第二王子の伴侶として、ゼナを迎えるという王命が下されたからだ。
聖王国ではあり得ないことでは無い。聖天教と深く結びついた聖王国では宗教関係者は貴族とほぼ同義に扱われる。聖女候補ならいざ知らず、本物の聖女であるならば王族が血縁に迎えるのも無い話ではなかった。
教会にとっては王家との結びつきが強まる好機。王家にとっても聖天教と縁が強まるのは望むところ。そしてゼナにとっても決して悪い話では無い。ただの孤児が王族になれるのだから。弟妹たちだって、一応は縁戚になれる。
だが、第二王子にとってはそうでは無かった。
元々第二王子は癇癪持ちであり、些細なことで烈火の如く怒るたちだった。
無実の使用人を鞭打って、死に追いやった数は片手の指では足りない。その気性が案じられ、国政には関わらせないという判断が国王によって早々に下されていた。そのことを告げられた日、更に三人のメイドが犬の餌となった。
故にこそ教会との結びつきを深めるだけの政略結婚に使われたのだが、王子にとっては面白くなかった。
その鬱憤の矛先は、婚約者として王宮に入ったゼナへと向けられた。
折角の政略結婚を、無為にする訳にはいかない。
その程度の分別はあったようで、王子は決してゼナを殺めるようなことはしなかった。
だがしかし、それ以外のことには容赦しなかったという。
ある時はゼナの痩せこけた容姿を嘲笑い、磨けばマシになるだろうと水桶に顔を押しつけ溺れさせかけたという。ある時は白髪混じりであることを醜く思い、嫌がるゼナの髪をざっくばらんに切ってしまったという。ある時は雑巾の方がまだ綺麗という襤褸布を着せ、煌びやかな夜会を見世物のように連れ歩いたという。
ゼナはここで一生分の辱めを受けた。実に悪辣な行ないである。
それでもゼナは耐えた。耐え続けた。せめて弟妹たちがみんな独り立ちするまでは、と。
だが運命はそんな健気な彼女を嘲笑うかのように転じた。
ジュエリアが、ゼナを偽の聖女と断罪したのだ。
その女は聖女を語る卑しい売女であると。自分こそが神託にあった真なる聖女であると。
国はすぐに真実を教会に問い合わせた。事実無根のその言を教会はなんと認めた。ジュエリアの身を預かる貴族家から多額のお布施があったからだ。その貴族家はどうやら、自分たちの血を王族に入れ込みたかったらしい。あるいは最初からそのつもりだったのか。
王族としては、別にどちらでもいい。欲しいのは教会との繋がりだけであり、聖女の正体はどうでもよかった。教会がいいと言うのならば、その通りにするだけだ。
そして第二王子は――貴族然としているジュエリアの美しい容姿に惹かれた。見窄らしい女よりも、そちらの方が断然いいと。
既に教会から出て数年が経っていた為に、国民もゼナの功績を忘れかけていた。そこへゼナの聖女として起こした奇跡はジュエリアのものを掠め取ったからだと言われれば信じてしまう。故にすんなりとジュエリアは真の聖女と認められ、国民もそのゴシップを盛んに煽り立てた。
彼女を聖女と崇める者は、気付けばどこにもいなかった。
ゼナを婚約破棄し、偽の聖女と弾劾する断罪劇が始まった。
彼女に味方する者は誰もいなかった。罪ありきと決めつけられ、反論は全て封じられ、反逆者の如く乱暴に組み伏せられた。
そして罪人としての刑罰が定められた。
実刑は――島流し。
それも、つい最近開拓が始まった新大陸。そこは一年以上生存できる確率が半分を下回る恐るべき大地であった。
実質、死刑。
哀れゼナは罪人の烙印を押され、死が埋め尽くす大地へと――
「そこ、間違ってるわね」
簡易的な屋根の下で書き物をする青年。その隣で、女性が指を差す。
「ん、どこだい? 上手く書けてると思うんだけどなぁ、『波乱の聖女、旧大陸での半生』」
「死が埋め尽くす大地、じゃもう無いでしょ?」
そう女性は、たっぷりの陽射しを浴びて朗らかに笑った。
掻き上げる髪は銀に染まり、瞳は宝石のように煌めいている。柔らかな風にたなびく薄手のワンピースから覗く手足は健康的に肉付き、日に焼けて艶めいていた。バックリと開いた背中からは痛々しい罪人の焼き印が垣間見えるが、彼女が堂々と背負えば、それも望んで身につけたように錯覚してしまう。
そんな女性――ゼナを、書史家の青年は眩しそうに見つめた。
「確かになぁ。君が来てくれたおかげでもう誰も死ななくなったから」
「呆れた話よね。『癒やしの奇跡』を持った人間を誰も派遣しない所為で、病気が蔓延って死に至ってたなんて。勿体ながらずにさっさと寄越していれば、今みたいな豊かな資源を聖王国は享受出来たのに」
「仕方ないさ。それで新大陸の民たちが叛意を持ち、新しい国家を築くのも自業自得、だろう? こうして聖王国の悪辣な記録を残したくもなる物さ」
青年は書いていた羊皮紙を一度畳み、甘く蕩けた表情でゼナの肩を抱く。
「君みたいな妻を持てたのも、聖王国のおかげかな?」
「ふふっ。それもそうね。私も幸せだわ。結局偽聖女を殺して自分も縛り首になっちゃった第二王子より、遥かに逞しくて優しいしね」
「それと比べられても微妙だけどね……」
「あははっ、ごめんごめん!」
苦々しい顔になる自身の夫を、ゼナは愉快げにからかった。そんな二人に外から呼び声が掛かる。
「姉さーん! 義兄さんも! もうご飯出来たよ、みんな席についてるよ!」
「おっと。これはまずい」
「そうね。早く行かなきゃ。みんな食いしん坊だから」
弟に呼ばれ、二人は屋根の下から歩み出す。二人がいたのは崖上の小屋だった。見下ろせば白い砂浜が、そして青い海がどこまでも広がっている。
故郷は遥か海の向こう。もう帰ることは叶わない。
しかし振り返れば、未だ発展途上だが活気溢れる新大陸の街と、そこで手を振る家族たちの姿がある。
「もう、遅いよ! 可愛い甥がぐずっちゃったよ」
「うぅ~……」
「あはは、ごめんごめん。すぐにご飯にしようね?」
「あれ、僕の分のパン足りなくない?」
「義兄さんは前もってご飯の時間伝えてたのにすっぽかしたので減点で~す」
「そんなぁ。もうご飯に困ることも無いじゃないかぁ」
「ふふふっ! ほら意地悪しないで。みんな仲良く、お腹いっぱい食べましょう?」
よく似た幼子を抱き、賑やかな弟妹たちに囲まれ、優しい伴侶を隣に、ゼナは。
心の底から、幸せそうに笑っていた。